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そるとのこころとからだの話

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わたしの経験に基づいたメンタルヘルスの話。わたしは専門家では御座いません。一個人の思いをシェアします。
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記事一覧

【パニック障害】発作が出る感覚

「私はこの世界で何もできない」 「抑圧されて生きていくだけ」 「周りの人に合わせて、ぎゅっと縮こまって、生きていくんだ」 私がパニック発作が出る感覚は、こんな感じ。 そこから、 「私はこの世界で何かを成し遂げられる」 「自己発揮できる」 「私は私として、のびのびと、生きていくんだ」 この気持ちに変わると、発作なんて起きないのだ。 他人軸の場合に発作が出て、自分軸になると発作なんて出ない、と言い換えることができるかも。 きっと、本来の私は、自分軸で生きたいんだろうな。

感情は私の子供

ネガティブな感情を否定して生きてきた。 否定すると、それは心の奥底に堆積して、得体のしれない「人生のモヤモヤ」として私の体に残る。 感情は、私の子供だ。 感情は、感じきるためにある。 「こんなことを感じてはいけないのに」と思考で判断してしまう、感情を抱いたとする。 思考はなかなかスパルタに、色々なものをジャッジする。 この世の中で生きるために大きな役割を果たしてくれるんだけど、ジャッジしすぎなのが、玉にキズ… 思考がそんなことを言おうと、私は、その感情を全肯定する。

【女性性解放】私の膣と、世界平和の話

私の膣は、今年の初め、何の感覚も持つことはなかった。無感覚であった。 そこに目を向け、解していくにつれ、私の抑えられていた感性が噴き出るように復活し、同時に色々な不安障害の傾向も明らかに身を潜めてきた。 だから、私は女性のメンタル不調者にこう言いたい。 「膣ケアをして!」と。 ごちゃごちゃ考えるよりよっぽど話が早い。 世界が官能的に見える。 穏やかで、緩やかで、不安のない世界。 安心に包まれた世界。 思考でごちゃごちゃしても、なかなか難しい。 スポーツを、本を読むだけで

足りないものを満たすために。性感の話も。

足りないものを満たすために、外に手を伸ばす人がいる。 自分にとって何が足りないのか、それをどうしたら満たせるのか。 出会い系サイトで文字を書いているのだけれど、なんとなくその雰囲気感が「合わない」と明確に感じるようになってきた。 人間、色々あっていい。 どんな幸せの形でもいい。 他人の人間関係、不倫、婚外関係なんて、どういう形でも良いんだけれど、不足するものを満たすために他人を巻き込む、という行為を、きっと自分がずっと取って来ていたから、一種の同族嫌悪としてなんとなく「う

今、苦しい理由を考える【アダルトチルドレン】

日常生活を送っていく上で、壁にぶち当たることがある。 「こんなことはいけない」 「やってはいけない」 「これは非常識だ」 嫌悪感を抱くと共に、私は勇気を出して、自らタブー視しているものへ目を向ける。 そこには、自分で作った扉がある。 見た目は立派に見えるけれど、本当にそれは、これからの私にとって必要なものなのだろうか? そもそも、これはどういう過程で作られた扉なのだろうか? 私が「これはいけない」とたくさんの扉を作っていく内に、私の部屋は小さく小さくなってしまった。

メンタル不調に「セルフプレジャー」! 是非試してほしい

最近の私が最も力を入れて取り組んでいるのは、「膣ケア」だったりする。 10年のパニック障害、2年の適応障害を持つ私は、物心ついてから心身が健康な時期はなかった。 30代前半の私は、20代後半から「やばい」と色々なことに取り組んできたわけだけれど、劇的に効果が出たのは以下の二つだ。 ・呼吸 ・膣ケア 呼吸については、ヨガの専門家の方の方が詳しいだろうから、ここでは割愛する。心は触れないから、体から触ろう。 体のケアの中でも、呼吸は最優先すべきものだと感じる。 さて、こ

人の目が気になるのは、寄り添ってもらえなかったから【アダルトチルドレン】

これは、私の実体験。 ◇ 「おかしく思われないか」いつも怖かった。 中学生の頃、母に「周りに合わせなさい」と言われた私は、自分を押し殺して、周りの様子を窺うことに終始した。 元々、大人しかった私は、外の世界に向けて何も行動をすることができなくなった。 私は、世界の中心にいない。 私以外の人が、この世界の中心なのだ。 数年前まで、本気でそう信じ込んでいた。 だって。 ありのままの私はこの世界に受け容れられない。 と、母が言っていた。 私は、周りに合わせなきゃいけ

今の私のパニック発作対応方法

イメージの中で、 「箱庭」の中にいる私を、 「箱庭」の外に出してあげる。 ◇ 「箱庭」は、今までの私の価値観によって作られた。 「完璧にしなきゃ」 「真面目に見られなきゃ」 「おかしいと思われてはいけない」 そういったガチガチで狭い価値観は、両親との関わりを中心に形成され、 立派なものになってしまった。 私は、その価値観=「箱庭」の中にいた。 それが世界の全てだと信じ込んでいた。 狭い価値観を持っているからこそ、 「箱庭」の外で自由にしている人たちを、嫉妬していた

社会に合わせすぎて、パニック障害になった

察しが良すぎたわたしは、この社会に何もかもを合わせすぎて、体調を崩したの。 基本的に親の影響を受けてきたけれど、親はこの社会にうまく馴染んでるのね。一方、わたしは生まれつき、この社会に馴染む素養を持っていなかったの。 「お前がおかしい」と言われ続け、それを信じ続けたわたし。 もう、信じないけれど。 人間の歴史を紐解いて、今のわたしの立ち位置を知りたい。そして、これからどうやって生きていくのか、決断したい。 だから、学ぶんだ。歴史学を、哲学を、心理学を、経済学を、文学

すべてわたしのからだ

髪の毛一本さえも、すべてわたしのからだ 足先から、爪の先っぽから、皮膚も、組織も、睫毛さえも すべてわたしのからだであって、他人に容易く預けるものではない この肉を纏って生まれてきたからには そういう自負を持ってもいいのではないか この肉がないと、ここに留まることはできないし 肉という"設定"すらわたしが選んできたものだから 今まで適当に扱ってきたこの元素の塊を "わたしのもの"として大切に扱う これが自然なのだと、今は思う 今までが雑すぎたね

趣味を見つけて また気楽になった話

最近更新していなかったのには、ひとつ、理由がある。小説を書きまくっていたのだ。 小説を書いて、体調が良くなった?話をしてみたい。わたしはパニック障害だとか適応障害だという症状を持っている……で、これはもしかしたらもう過去形になるかもしれない。 小説――わたしは昔からオタクだった。中高生の時は、ひたすらに小説を書きまくり、自分で読んでいた生活だった。 だが、いつの間にか、大人と言われる年齢となり、それらを捨てた。と、同時に、映画や小説、アニメなどのストーリー性があるコンテ

適応障害 パニック障害 楽しんで暮らしたらいいんよ

最近、適応障害とパニック障害の記事をたくさん書いてきたわけだけど、そこには意図がある。 正直、わたしはこの文字を使いたくない。 病名とか言われるやつね。 そういうのを忘れたとき、人は本当に健康になると思っているから。 だから、各種SNSの説明文で、わたしはこういった文字を使わない。 HSPとか発達障害とか、そういうのもまったく同じ。 そういうラベル付けを利用する分にはいいけれど、本当に"自由"に生きるためには、そんなラベルを忘れるくらいでいい。 むしろ、忘れたと

パニック障害 わたしなりの向き合い方

10年来のパニック障害について、「何か語ることがあるか」と訊かれたら「言うほどない」と答えちゃうかな。 でも、適応障害の記事を書いたので、折角なのでパニック障害についても書いてみたいと思う。 でも、正直、適応障害と一緒なんだよね。 適応障害は、会社のあれこれが重なって原因が明白だった。 ただ、それだけ。 初めて発作が出た時のことを、克明に覚えている。 うまくいかない就活。 大学内の会社説明会で、死にそうになったのだ。 あまりにもヤバいから、理由をつけて席を立っ

適応障害 わたしなりの向き合い方

適応障害と言われて1年が経過した。 ほわわんと過ごしてきて、「適応障害になる前より、生きやすくなってきたかも~」となったわたしの、適応障害との向き合い方を書いてみようかなあと思った。 まあ、別に、病気と向き合ってはいないんだけど、こういうタイトルにした方が分かりやすいかなと思ってさ。 "病気"と向き合う前に"自分"と向き合うべき。 病気なんて、人類が勝手に名付けたもの。 わたしのこころとからだの調子を、医者は勝手にそういう分類をつけただけで、病名自体は「どうでもいい