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そるとが人生を考えてみた

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感受性が豊かで心身に不調を抱えてきたわたしが、人として生きることを考えてみた。
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素直に謝れる人間になりたい

今の私の人生の指針は、心をオープンにすること。 できるだけ、嘘を吐かない人生を生きて、素直に謝れるようになること。 私は器用な人間ではない。 不器用な人間だ。 嘘を吐いたり、誤魔化したり。 幸いにも、今の私はそういうことをしなくて済む環境なので、それを続けたい。 私は罪悪感が強いタイプだ。 嘘を吐いたり、誤魔化すことに、耐えられない。 それは私のQOLを著しく下げる行為で、自分のために、そういうことをしたくない。 その指針を実現するために、私には課題がある。 素直に謝れ

光が強いほど闇も濃くなる。私は人生のコントラストを歓迎する。

恋人がいる。 相手と会えて「すごく嬉しい」と感じたとしよう。 一方、相手に会えない時は「さみしい」感覚が強くなる。 世の中、光と闇の波がある。 光が強いほど闇も濃くなる。 人間として生きる以上、これは定めなのだ。 私は、光が強くない場所でずっと生きてきた。 その分、ある意味闇は濃くなかったんだけど、私はなんとなく生きている実感がしなかった。 外部と接触を断ち、光も闇もない、波がない所で生きることはできるけれど、それをした私は「自分がロボットのようだ」と感じていた。 だから

思春期のなかった私

私は今まで口を噤んで当たり障りなく生きようとしてきたが、それをやめることにした。 その話を身近な人にしたところ、「あなたには思春期がなかったんだと思う」と言われた。 …しらなかった…(;´・ω・) 私には思春期はなかったよ。 この文章を読んで、私は大号泣して、今日も目が腫れております。 誰でもいつだって成長できる。

愛は行動

恋人からの愛情を感じられないとか、愛の言葉がないだとか、そういうことで悩む女性はたくさんいる。 昨日、「この愛は、異端。」と言う漫画を読んだのだけれど、この数ヶ月私が悩んでいたことにピタリと答えをもらった気がした。 愛は行動である。言葉ではない。 言葉はいくらでも嘘を吐ける。 一方、行動は、嘘を吐けない。 その行動は、短期的にはその深い意味が分からないこともあるだろうし、その時の私の期待に応えていないかもしれない。 でも、長期的に見たら、その行動は私の人生にどういう影響

周りに配慮しすぎて主張してこなかった私が、主張を始めたら

誰も傷つかないようにするためには、当たり障りのないことを喋るしかなかった。 そして適当に愛想笑いをして、心の交流を感じず、なんだかつらくって、ひとりになる。 そんなことばかり、続けてきた気がする。 でも、そういうのに飽き飽きして。 「もしも誰かが傷ついたとしても、私は私として生きるために主張してみたいし、そうしたら新しいことを教えてもらえるかもしれない」 だから、最近の私は、以前より強く主張を始めた。 結果、多分、その方が良いんだと思う。 ・周りは私が思っているより傷

日本製「アイドル」に対する所感

私は、三次元男性アイドルに強い思いを持ったことはない。 そして、それは「危険な行為」なんだろうなあと感じてきた。 だって、その人は、人間だもの。 ファンに素晴らしいパフォーマンスを見せ、夢を見させてくれるかもしれない。 でも、実の所、その人は生身を持つ人間だ。 何かがあって、「裏切られた!」と感じることもあるかもしれない。 彼らは、お仕事として、「アイドル」を演じているだけだ。 今まで私が買ったCDの中で最も多いのは、二次元男性アイドルだ。 「二次元は信奉してもいいよなあ」

出会い系サイトでBANされかけた

出会い系サイトで、「恋愛では幸せになれない」「恋愛では孤独は癒されない」という文章を書くと、いつも審査が通らなくなったり、イエローカードを突きつけられるのは、なぜなんだろう…? (私は、出会うつもりもなく、文章を書き続ける謎の人間だ) 出会い系サイトにいる人は、異性を求めている。 恋愛で、結婚で、自分の何かが満たされると信じている。 そういう中で、私がそういう内容を書くと、それは「迷惑行為」なんだろうなとは思うけど… 言論の自由って…?(;´・ω・) * 実の所、自分

この世界は自慰行為の産物である。

現代科学によると、脳によって私たちが今感じている世界が作り上げられている。 つまり、私は赤いと思っているものと、隣の人が赤いと思っているものが、同じ色だとは限らない。 私は私の脳の中で生きていて、この世界は、映画のマトリックスのような世界であってもおかしくない。 そして、それは私達には判別のしようがない。 「世界の構造」は、課題設定として、適切ではないのだ。 自分が感じたこと。 例えば、隣の人がクスリと笑ったとして、その行為でどのような感情を得るかは、結局のところ、「自分次

孤独の中でしか孤独は癒されない

淋しさを癒すため、どうするか? 友達を作る、恋人を作る、結婚する。 色々な方法があると思うけれど、それは根本的な解決にならない、と感じている。 ①自分と繋がる ②他者と繋がる この流れは、順番に起こらなくてはいけない。 自分と繋がらずに他者と繋がった場合、それは「他人を搾取」する行為に繋がるから。一種の依存関係になる。 だから、まず、自分と繋がる必要がある。 孤独でないと、自分と繋がることはできない。だから、孤独は必要なんだ。 * 今朝、ふと、気づいたことがある。

「これに頼ろう」という甘え

私はたくさん甘えてきた。 このブレスレットを買ったら、この施術を受けたら、ヨガをしたら、体が柔らかくなったら、お守りを持っていたら、彼がいたら――。 自分の外のものを頼りにして、生きづらくて暗い世界を生き延びてきた。 一時的な効果はあった。 プラセボ効果というものがあるように、人間の思い込みの力は強い。 でも、私の持ち物はどんどん増えていった。 お白湯も必要、お菓子も必要、このジュエリーが必要――私のバッグはどんどんパンパンになっていった。 この行為自体が他人軸である、こ

それってほんとに"自分らしさ"?

去年の12月中旬から、今年の初めにかけて、わたしはstand.fmの音声配信をストップしていました。去年の3月からずっと続けていて、活動を止めたのは初めてでした。 なんで、ストップしたの? わたしのなにかがそう言ったから!(攻殻機動隊?) ――個人的な事情はさておき、そのサイトの文化に染まりきる自分に嫌気がさした、という側面があります。 最初は良かったのです。でも、どんどん泥臭いことが分かっていき、なんとなくその中に染まり……。 これって、ほんとの"わたし"だっけ?

親の中にわたしがいる

親を見ていると、その中にわたしがいる。 与えられた価値観。 今までの人生で、外の世界から押し付けられた価値観。 それらが親の中に埋まっていて、 それにいちいち「イラっと」してしまって、 ともすれば声を荒げてしまいそうになる。 でも、それは、わたしの中にある価値観と同じ。 同じだから、反応してしまうの。 何の共鳴もしないものには、そもそも「イラっと」なんてしない。 親にわたしと同じものが埋まっているから、 「イラっと」しちゃうの。 すべて、親のせいにしてた

人生、感じたもん勝ち

みんなが「美味しい」と言うご馳走があっても、わたしがそれを「美味しい」と感じないと意味がないように。 人生はわたしの感覚でできているから、感じられないとそれは"存在しない"のと同じになる。 だから、人生、感じたもん勝ち。 心身の調子を崩してしんどい時も 小説を書いて没頭している時も 音楽に感じ入っている時も 味を感じなくなって泣いていた時も 何も楽しいと感じられずに皮膚をつねっていた時も 人との別離に喘ぐ時も それはすべて私の感覚で。 落ち込みがあるほど、

有名になるより大切なこと

他人の真似をして「有名になった」としても、きっとモヤモヤしちゃうだろう。 私自身の人生を健康に満足して生きていく。