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#和室
憶昔席(西本願寺 飛雲閣)
「憶昔席(いくじゃくのせき)」
京都西本願寺境内の滴翠園(てきすいえん)内に建つ飛雲閣に付随する茶室。
寛政7(1795)年9月に席披き(せきびらき)が催され、寺側の記録によると西本願寺十八代門主・文如(もんにょ)を正客に、藪内家六代・比老斎竹陰(ひろうさいちくいん)も相伴に加わっていたそうです。当時、文如は比老斎に茶道の相伝を受けており、この茶室はその比老斎の指導・好みで建立されたと考えられ
国宝茶室 如庵(愛知 犬山有楽苑)
「如庵(じょあん)」
愛知県犬山市の有楽苑にある国宝茶室。
元々は建仁寺の塔頭正伝院に設けられた茶室で、織田有楽斎の作とされています。有楽は織田信長の実弟であり利休と同時代を生きた茶人の一人です。
明治6(1873)年正伝院は同じ建仁寺の永源院と合併され、正伝院の建物は四散します。明治41(1908)年に売却され、如庵と書院とは一旦は東京三井家本邸に移されます。
その後、大磯の同家別荘を経
国宝茶室 密庵(京都大徳寺 龍光院)
「密庵(みったん)」
国内に現存する国宝茶室(待庵・如庵・密庵)の一つで、江戸前期の茶人・小堀遠州の作。
密庵のある龍光院は京都大徳寺の西南の端に位置し、特別公開も含め一切の拝観を行っておらず完全非公開となっています。そのため、他の二つは見ることができることから「最も見るのが難しい国宝」とも呼ばれます。
密庵は現在、書院の北西隅に組み込まれていますが、当初は独立した建物であったそうです。
国宝茶室 待庵(京都妙喜庵)
「待庵(たいあん)」
京都府大山崎町の妙喜庵にある茶室。
待庵は現存する最古の小間席であり、多数の茶室遺構の中でも類を見ない古い手法や部材を留めています。
江戸時代以来、侘び数寄の大成者・千利休の唯一の遺構と伝えられ、天正10(1582)年に豊臣秀吉が明智光秀と戦った山崎合戦の際、秀吉が利休に命じて造らせた茶室であるともされています。
書院との接続状況から現地で建造されたものではなく、別の