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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十五話 子種をよこせ!

子種をよこせ!

鶴丸を失った秀吉は、姉の息子秀次を養子に迎えることを私に告げた。私は「必ずまた子を産みますから、それは止めて下さい!」と嘆願したが、秀吉は耳を貸さなかった。早く妊娠して、豊臣の後継者の座を取り戻さなければ、と私は焦った。だが肝心の秀吉は鶴丸を失ったショックで男としての自信も失い、私の元に通うことも少なくなった。このままではいけない、と私は策を練った。

 翌日、私は秀吉と秀次、豊臣家一同が居並ぶ席に「秀次様にお祝いをお渡ししたい」と申し出た。完全アウェイの中、私は艶やかに装って登場した。私を見た秀次の目が光った。私は秀次の前で頭を下げ「このたびは誠におめでとうございます。これはささやかですが、私からのお祝いの贈り物です」と侍女に持たせた祝いの品を渡した。私は秀次に上目使いの笑みを向けた。これが男に気を持たせる妖艶な笑みだと知っていた。じっと彼を見つめた後「さすが豊臣の後継者になった秀次様、男としての器に優れ、つい見とれてしまいました」と私は小首をかしげ、恥ずかしそうに眼をふせた。

横目で秀吉を見ると、秀吉は苦虫を嚙み潰したようにぶすっとした顔になっていた。私は心の中でほくそ笑み、長居は無用、と立ち上がった。「それでは失礼いたします」と頭を下げ、部屋を出る前そっと秀次の顔を流し目で見て微笑んだ。私に見とれる秀次の袖を、秀次の母親で秀吉の姉が引っ張った。彼女は唇を歪め、私をにらんだ。寧々も能面のような顔で、私など初めからいないように無視している。部屋を出た私は「ふん、成り上がり者達め」と心の中であざけり、胸を張って廊下を歩いた。

その夜、秀吉は私を抱きに来た。いつもより荒々しく私をくみし抱く彼の耳元で、私は声も絶え絶えに「やはり、あなたはすごい」囁いた。秀吉が帰った後、お湯で身体を拭きながら男は単純だ、と可笑しくなった。男の嫉妬は上手に利用すればいい。

その日の閨で男としての自信を取り戻した秀吉は、忙しい公務の合間を縫い以前のように私のところに通い始めた。この時期、秀吉は関白の座を秀次に譲った。私は寝物語でいつも、秀次をほめた。

「秀次様はすっかり関白の器になっておいでですね。
お若いのに、大したこと。
さすが、あなたの姉上様のお子様ね」

「秀次様は、内大臣ね。天皇様に一番近いお立場だわ。すばらしいわ!」


そう秀次への誉め言葉を口に出すたび、秀吉はいきり立つ。
「なんの、あの若造。
関白になったとて、わしの手のひらで躍らせておるだけじゃ」
「あら、そうなの?
でも、それは秀次様が優秀だからあなたの手のひらで踊っているだけね。今は」

「今は?」

「ええ、秀次様は賢いですもの。
あなたが完全に政(まつりごと)から手を引かれたら、自分の手腕を発揮しよう、と待っておられるのよ」

「なんじゃと!
そんな勝手な真似は、させん!
あいつは、まだ若すぎる!」

「いいえ、あなたがお気に召さないのは、秀次様がご自身の本当のお子ではないから。
もう一度、私があなたのお子を産みます。
他の側室達が産めなかったあなたのお子ができたのは、私のお腹にだけ。
そして今度生まれてくる子は、きっと鶴丸の生まれ変わり」

「なにっ?鶴丸の?」

「ええ、私達の大切なたいせつな鶴丸。
その子がもう一度、私のお腹に宿り、あなたのお子として生まれてくるのです。
だから、産んでやらねばなりませぬ。
さぁ、もう一度わたし達のお子を作りましょう!
大丈夫、必ずお子はやってきます。
鶴丸の生まれ変わりが、私のお腹にやってきます」

そう言って私は秀吉の皺だらけの手を、私のお腹に押しつけた。

もはや宗教のようだ、と自分でもわかっている。それでも私はもう一度、鶴丸に会いたかった。
あの子がまた私のお腹に宿り、私の元に帰ってくる、と信じていた。

私は毎晩、寝る前に鶴丸のことを思い出す。あの子のあたたかいふわふわした身体。愛らしいまなざし。あんなに小さかったのに五本の指に桜貝のような爪のあった手。そしてこらえ切れず、鶴丸の名を呼び涙を流す。
泣くだけ泣いたら、私はもう一度赤子を産みこの手に抱きしめる!と強く決意した

秀吉とのsexは、今や私が秀吉の上にのしかかって馬に乗るように彼に乗る。
そんな自分を快楽のためでなく、子種を絞る取る淫猥な鬼子母神のようだと、どこか遠くで見ている自分がいた。
いなくなった子供を求めるように、私は子種を求める。手をのばす。

よこせ
よこせ
私に子種をよこせ!

心の中でそう叫び、私は秀吉の上で激しく腰を揺らす。それは男女のいとなみではなく、戦いだった。

秀吉と寝た翌日、私は治長に身をゆだねた。今度は治長との戦いだ。
そうやって幾度も夜を重ねたが、なかなか子種は居着いてくれない。私はますます焦り、鶴丸の時と同じように妙薬を飲んだり、神社を巡った。だが子種が根付かない理由が、何となくわかっていた。

頭では、子どもがほしい、と願っている。
でも心の奥底で、また子供を失ったらどうしよう?という恐れが潜んでいた。鶴丸を失ったショックでそれがトラウマになり、子宮が子種を引き入れない。妊娠して出産する喜びより、欲しいものを手にして失う怖さが私の子宮を支配している。子種を受け入れない身体で、妊娠などできるわけがない。

超えられない怖さの壁にいら立ったある日、私は爆発した。
「どうして、子ができないの!!」
そう叫び、治長に枕を投げつけた。

「もう、私は母になれないの?
鶴丸を抱けないの?
子どもがほしいのよ!
子どもが!
いくらでも子種をくれる、と言ったじゃない!あれは嘘?
どうしてなの?
どうして、その子種が留まらないの?」

そう言って治長の頬を打ち、拳で彼の胸を力任せに何度も叩いた。
治長は私を止めようとせず、ただ殴られ叩かれていた。
やがて私はハァハァ肩で息をしながら、その場に崩れ落ちた。治長のせいではなく、自分でも理不尽だと知っていた。彼に当たって悪いと思ったが、気持ちの持って行きどころがなく、止められなかった。
私は力尽き、畳にぐにゃりと座り込んで泣いた。ひとしきり泣いた後、ずっと目の前に立っている治長を見上げた。

私はハッ、とした。治長は声を出さず涙を流していた。胸を衝かれた。そして彼が鶴丸の父親だった、と思いだした。自分の悲しみだけにかまけたが、悲しいのは私だけではなかった。本当の父親である治長も平気なわけがない。彼の気持ちを掬い取った私は立ちあがり、彼を抱きしめた。

「すまぬ、すまぬ、治長。
お前も辛いはずなのに。
私は自分一人が孤独に戦っていると思い込んでいた。
だけど、お前も一緒に戦っていた・・・・・・」

治長は私を抱きしめ「茶々様、鶴丸君を失ったことは、本当にほんとうにつらいことでした。
でも、わたしより茶々様の苦しみ、悲しみの方がはるかにお辛かったでしょう。
よくぞ、それを乗り越え、新しいお子を、と思われました。
なのに、わたしの力が足りず、申し訳ありません」

治長は頭を下げた。

「何を言う、治長。
そなたは、何も悪くない。
私が、受けつけないの。
もし子供を授かっても、また失う、と思ったら怖くてたまらない。
どうしたらいいの?私にはわからない」

私は治長に抱かれながら、弱音を吐いた。彼は私の背中を撫でながら言った。

「茶々様、大丈夫です。
わたしがその怖さや災いを、すべて吸い取ります。
あなたはただ、健やかなお子を産むことだけを考えていて下さい。
わたしがあなたをすべての災厄から守ります」

それは、私が一番聞きたかった言葉だ。私は浅井の父を思い出した。父に甘えた幼い娘時代は、幸せに満ちていた。だがそれはほんの短い時間だった。父を失った私はもう娘に戻れない。治長はまるで父のようだ、と思った。

でも父ではなく子種をもらう相手だ。私は彼の肩から着物を脱がせた。彼の胸は、私が叩いた拳で赤く染まっていた。

「こんなに、赤くなって・・・・・・
さぞ、痛かったでしょう・・・・・・」

そう言いながら、治長の胸に唇を這わせた。突然、デジャブが襲った。以前もこんなことがあった、と思い出した。
あの時は傷ついた私を、治長がやさしく癒してくれた。
今度は私が治長を傷つけた痛みを和らげる。

そう決めて、彼を抱きしめて彼の身体の一つ一つにそっと唇を這わせた。でもわかっている。彼が傷ついたのは、身体ではなく心だ。
身体の痛みは時間が経てば消えるが、心の痛みは時間と共に深くなる。

私達は共に、猫のように身体も心の傷をなめ合った。
そこに欲望があるのかないのか、どちらでもよかった。

十二月の夜半の冷たさが、身体を震わせる。
私達は抱き合い、二人で一つの布団の中でぬくもりを分け合った。外では風がぴゅうぴゅう吹きつけ、ガタガタと戸を揺らす。

じき年の瀬が来る、と治長の腕に抱かれ思った。
鶴丸を失った、辛かった一年が終わろうとしていた。

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したたかに生き愛を生むガイドブック

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