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感情と、考え方。わわわ。

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さかい年表

酒井悠宇(さかいゆう)です。21歳です。 今までの人生をざっと紹介する記事です。 2002-2015 北九州市に生まれ落ちました。 保育園から小学校卒業まで10年間、水泳を習ってました。 足が速かったので割とモテました。 トランプマジックにやたらハマっていました。 クラス会でマジックを披露した時、失敗して地獄のような空気になったのを強く覚えています。 2015-2018 中学校、入りたい部活が特になかったのですが、帰宅部はモテなそうだったので、一旦友達と柔道同好会に加

    • 4/18「ぜんたい」

      僕たちが生活できているのは、僕たちが生活費を稼いでるからではなく、人の生活を支える人が居るから。 椅子取りゲームを30人でやるなら、「誰が座れなかった」とか「椅子が減った」とかが目にみえるけど、1億2000万人になった途端、それが見えなくなる。 大きく見た時「AIだったり、ロボットによる効率化でイス自体が増える(1人あたりの生産力が上がる)」と言えるのだと思うけど、目の前を見た時、実際にそんな技術の恩恵にあずかれて居る人はどのくらい居るだろう? 大きな企業に属す人であれ

      • 4/14「くみあわせ」

        おいしくて希少な「食材」。 総じて仕入れ値が高い。 ブランドを借りれるから、安心感もって提供できる。 おいしくて希少な「料理」。 アイデア次第で、安く作ることが可能。 「おいしいと感じる仕組み」に関する少しの知識が必要。 希少な体験を、低リスクかつ低コストに。 その辺の感覚がもっと掴めれば、さらに楽しい気がする。 希少っていうのは、 「ほんとのほんとに世界に1つしかない」 である必要はなくて、 「周辺にない」 というだけでいい。たぶん。 学びの多い、 本当に貴重な体験

        • 4/12「手品」

          「実際にそうである」も技術で、 「実際そうではないが、そうであるように見せる」も技術。 受け手が楽しんで、満足しているなら、後者は詐欺ではなく手品。 手品の何がいいって、低予算。 トランプ1組あれば、なんでもできる。 アイデアで、組み合わせで、予算以上の演出ができる。 やっぱり、「それ自体の品質」を売りにすると、 それ相応の人脈やお金が必要になる。 もっとアイデアで、工夫で、組み合わせで、利益を出せると、かなり楽しい気がする。というか、それが「"自分で"商売をする」とい

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        さかい年表

          4/10「つづける」

          蓄積ゲームの世の中で、 あくまでも、「やすさ」の話だけど。 「どう見られているか」にはやっぱり、どんなに強い意志を持っていたとしても、影響を受けてしまうものだと思う。 「あの人は、コツコツものを続けられる人だね」と見られていたら、「その人」は、コツコツものを続けやすく。 「あの人は、コツコツモノを続けられない人だね」と見られていたら、「その人」は、コツコツものを続けられにくい。ような気がする。 「続ける人」という錯覚を、最初に生み出せれば、それがモチベーションになって、

          4/10「つづける」

          4/7「仕組みの強さ、説明の優しさ。」

          ホントのホントに新しいものが作りたいとかは、今はたぶんなくて。 周辺にない商品や、周辺にない考え方を、仲間がいるその場にストンと置くような、そんな動きが僕は好きで、そう言う動きを介して、世の中と関わっていけたら楽しそうだなぁと、最近よく思うようになった。 そのためには、その置いたものに対しての説明を、優しく、人に伝わる形で、どのくらいできるかが、かなり大切なんだろうなぁと思っている。 ストンと置く時、強さが必要だと思う。 嫌われるかもとか、恥ずかしいとか、そういうことを

          4/7「仕組みの強さ、説明の優しさ。」

          3/27「決めて、断つ。」

          自分が生まれて死ぬまでの間に、今までの世の中になかった解釈や、誰にでもできる楽しみ方をみつけて、それをなるだけたくさんの人に広められたら、楽しいだろうなと思う。 自分の、いちばん根っこの方にある特性を使って、人の役に立つ。それが、いろんな方向に無理がなく、自然と広がっていくもので、かつ、もっとも広い範囲に、影響を及ぼすことができる手段な気が、ぼんやりとしている。 逆に、いちばん最初に、もっとも広い範囲に影響を及ぼそうとすると、その影響はまさに、「今の自分が認識可能な『もっ

          3/27「決めて、断つ。」

          2/14「つぎ」

          次への意識が、薄いかもしれない。 なんとなく、次がなくても良いと思っている。 というか、無くしたくなくても、無くなってしまうもの。と認識している。 でも、本当に、次がなくても良いか?と考えていくと、 やっぱり、次がある方が嬉しいよなぁと思う。 何回か、次がなくなったなぁ。と感じたことがある。 次があるという前提で生きていて、次がなくなったことが、寂しかったことがある。 寂しい思いが怖いから、無意識的に、期待を持たないようにしていたかもしれない。次がある方が嬉しいのに、次

          2/14「つぎ」

          2/5「じゅんび」

          もーりーさんていう、旅系のYouTuberの方がこの間バイト先にきて下さって、もーりーさんのチャンネルで「YouTubeはじめます!」とか言っちゃったもんだから、何かしら今週木曜日までに動画を上げないとなのだけれど、とくに何をあげたら良いかがわからんので、その辺整理しつつまとめていくnote! 重要にしたい考え方 ・ぼくはすでにおもしろい:YouTubeをやる為に、今の生活にプラスしてやることは「動画作成行為」以外ない。 ・だからとくにやることはない:既に生活の中に含まれ

          2/5「じゅんび」

          2/2「きろく係」

          すでに、全部ある。 そういう前提を忘れていた気がする。 全部あって、ありすぎて、 それに飲まれて、訳がわからなくなって、 何に今触れられていて、今自分ができることが何なのか、 ぜんぶがわからなくなるような、そんな感覚だった気がする。 よくよく考えてみると、 身体を持って今ここに存在していることが、ものすごく独自なことに気づく。それをそのまんま、表現して、伝え続ければ良いだけなことがわかる。 なにもない。 そういう前提が多すぎる。 なにもないから、何かを手に入れましょう

          2/2「きろく係」

          1/5「かがみ」

          その人がそう見えるのはたぶん、自分がそうだからだと思う。 考えても仕方がない部分は世の中にたくさんある。 「それと似た状況の時、自分がどうであるか」は、そういう部分を予想する材料として強く影響すると思う。 誰からも見られない部分において、丁寧な処理を行う人は、人に対しても、「誰からも見られない部分において、丁寧な処理を行うんだろうな」と本心から思いやすと思うし、 逆に、誰からも見られない部分において、ごまかしたり、かくしたりする人は、ひとに対しても、「ごまかしたり、かく

          1/5「かがみ」

          12/31「ムカデ」

          ムカデを見つけると大興奮する人がいた。 ムカデは、効き目の良い火傷薬になるからと言っていた。 「大興奮」は、僕が、ムカデを見て、直感的に感じる感覚とは違っていた。 視点を得れば、感覚が変わることを知った。 僕たちは、主観の中に住んでいる。 みたそのままではなく、みたものにたいして、解釈を行って、せいりしている。 ムカデが現れて、キモいと思って不幸になる人と、 ムカデが現れて、ラッキーと思って幸せになる人がいる。 ムカデについて知らないから怖い、 ムカデについて知ってる

          12/31「ムカデ」

          11/24「なにもない」

          やっぱり、「なにもない」ことと、向き合い続けるのが人生なのかもしれない。 そんなに言い切れることはない気がするし、そういう風に演出しているだけで、実のところはそれじゃないことのが多いし、そこからだとそうなだけで、そうじゃないところからだと全然そうじゃなかったりする。 だから多分、「なにもない」んだと思う。 それを楽しいと思ったり、思わなかったり、 寂しいと思ったり、思わなかったり、 そうだと思ったり、そうじゃないと思ったり。 作ったら壊れるし、 壊れるからといって作ら

          11/24「なにもない」

          11/16「じぶんへ」

          もうそろやろかー、じぶん。 おもいっきしやっていいんやけ、今できるんやけ! おもいっきしこけても誰も気にせん。 頭ん中だけで、現実こねくり回して、敵作っとる場合やない! やれ。言い訳すんな。 カッコつけんな!そういうとこださい!!

          11/16「じぶんへ」

          10/29「選択肢はある?」

          なぜか、できるかできないか分からない、あいまいな領域に魅力を感じてしまう。 AかBかで迷っている吉田さんと、AとBの両方がやりたいことに含まれる田中さんがいる。 選択肢という言葉に何か、客観性のようなニュアンスが含まれている気がするが、そもそも、自分が知っていることの中からしか生まれない主観で、感想で、偏りな気もする。 それが個性だろと言われるかもしれないが、あたかも選択肢かのように演出されている演劇に対して、脳死でリアクションしているだけという側面もある気がしている。

          10/29「選択肢はある?」

          10/24「たまたま。を、見せびらかす」

          みんな、たまたまこの世界に生まれてきた。 たまたまその体で、たまたまその性格で、たまたま今の状況で。 そういう状況から、たまたま自然発生するものを、みせあいっこするのがいいんじゃないかと思う。 「こういうたまたまからは、たまたまこういうものが生まれたよ」というコミュニケーションは、ものすごく心地よく感じる。 純度の高いポジショントークが聞きたいと思うから、意思を入れないでくれよと思うが、でも、目の前で、そういうふうに生存していることが、最も説明的なのかもしれない。 口

          10/24「たまたま。を、見せびらかす」