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1/5「かがみ」

その人がそう見えるのはたぶん、自分がそうだからだと思う。

考えても仕方がない部分は世の中にたくさんある。
「それと似た状況の時、自分がどうであるか」は、そういう部分を予想する材料として強く影響すると思う。

誰からも見られない部分において、丁寧な処理を行う人は、人に対しても、「誰からも見られない部分において、丁寧な処理を行うんだろうな」と本心から思いやすと思うし、

逆に、誰からも見られない部分において、ごまかしたり、かくしたりする人は、ひとに対しても、「ごまかしたり、かくしたりするんだろうな」と疑いやすい気がする。

考えても仕方がない領域に対して、疑心暗鬼になってしまうのは、それが実際にそうだからではなく、自分が普段から、ごまかしたり、かくしたりしているからなのかもしれない。

なぜ、それが、ずっと続いているのか。
それは、それが、利益を継続的にもたらし続けるからだ。
もたらし続けるから、今もなお、目の前にある。

でも、たくさん、無駄な労力をしたいなとおもう。

目の前に答えがあるのに、自分の無知故に、真反対に歩いて行くことになり、結果、同じ所に辿り着く、という「無駄な労力」の結果得る学びは、もの凄く感動できるし、その後の人生においても、長く使っていける武器になるとおもうから。

「自分を見るための鏡として、ものすごく最適な人ですね」と、あの少ない情報量だけで発言していたが、今になって尊敬の念が湧いてきた。やっぱすごい。

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