#小説感想
「社会に依拠せず、自分が世界とどう対峙するか」を語っているコーマック・マッカーシーの作品が大好きだ。
黒原敏行がマッカーシーの作家性だけではなく、作品一冊ごとに話をしている。こ、これは贅沢すぎる。
記事の終盤で黒原敏行がこう語っているように、マッカーシーの作品の特徴は、社会がほぼ機能していない、ゆえに自己がむき出しのまま世界と直で対峙する(せざるえない)ところにある。
今の時代だと「自己を抑圧するもの」として捉えられることが多いけれど、社会は「脆弱な自己を守る鎧」でもある。
共同体の内部
「風よあらしよ」の感想。「悪者になってはならない」は女性にとっては、もはや呪いに近いのではないか。
野枝が大杉栄と出会うまでは凄く良かった。
子供時代、十代の野枝はとても魅力的だ。
何としても学校に行き勉強がしたい、このまま田舎の片隅で平穏に暮らす一生で終わりたくない、世の中が見たい、自分の力を試したい。
「風やあらしは強ければ強いほど、それに立ち向かえる」
野心と克己心、上昇志向、自分の可能性を追求したいという情熱と渇望、その反動としての焦燥と鬱屈がこれでもかと伝わってくる。
自分
作者が作内人物の内心を理解していないことがあるのか?
「作者が作内人物を理解していないこと」は自分はあると思っているが、「火山島」7巻でちょうどそういうことがありうるかどうかを考えさせられる例が出てきた。
主人公・李芳根(イ・バングン)が幼馴染の柳達鉱(ユ・タルヒョン)の裏切りを確信して、船の上で弾劾する。
二人が話しているところに、船員たちが乱入してきて、柳達鉱をリンチしてマストに吊り下げる。
李芳根はリンチを止めようにも止められず、吊るさ
「重い問題を乗り越えようとする物語」について。
前からちょくちょく書いているが、自分はカクヨムで美里さんというかたの作品が好きで、興味がありそうな話はフォローして読んでいる。
先日、連載していた「青い夜」が完結した。
この話は、この話単体としてみると(大変申し訳ないが)そこまで面白く感じなかった。
ただ美里さんのこれまでの作品を読んできた自分には感動があった。
「話が前に進んだ!」と思ったのだ。
美里さんの話は同じ元型から派生した
「『革命』の上に『反』をつけるだけで相手を断罪し、自己の立場を絶対化し得るような意識を軽蔑をこめて批判する」←それな。
相変わらず「火山島」を読んでいる。
上記のセリフは、梁俊午(ヤン・ジュノ)が主人公の李芳根(イ・バングン)を評した言葉だ。
自分は李芳根という人物が余り好きではないが(穏当な表現)、この言葉には共感した。「いいね」を百叩きくらいしたい。
芳根は済州島の裕福な家の出だが、日本支配の時代に天皇の銅像に小便をひっかけた罪で留学という態で日本に追放される。
日本でも思想運動をした罪で捕まるが、
コーマック・マッカーシーの文章を読むと、「物語において必要な情報への感覚」が変わる。
いま「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(以下「ノーカントリー」)を読んでいる。
めたくそ面白い。
ハードボイルドのような余計なものを切り詰めた端的な文章が好きなので、マッカーシーの文章も好きだ。
「ノーカントリー」はマッカーシーの他の作品と比べても、「そこを削る」という感覚がなかった部分まで削られている。
「ここまで削るのか」と驚いた。
例えば殺し屋のシガーが、ホテルで対立