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原典を読みながら環境・農業問題について考えてみる

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聖書や日本書紀、平家物語などを読みながら、「日本」について外国人に説明するにはどうしたらいいかとか、農村部の論理と都会人の論理がどう違うかと言ったことについてのヒントを考えていま…
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#旧約聖書

認識能力と「死」の起源

認識能力と「死」の起源

たまに見かけるお話なのですが、農業は人為的なもので、農地などは原生自然ではない、原生自然を人の手で改変したものだと言う考えがあります。

これはこの通りなのですが、そこから、農耕の発生以前には、狩猟採集経済だったのだから、自然の中で採集していれば良いとか、

中には、旧約聖書のエデンの園の話を持ち出して、「園の中のどの木からも取って食べてよい」と言う聖句がある、元々は採集経済で生きていたのだと言う

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これからは「ミャオミャオ時代」

これからは「ミャオミャオ時代」


転換後の時代をどう呼ぶか?

今は時代の転換点のようです。新しい資本主義だとか、ポスト資本主義だとか、人によって言い方は違いますが、何か「今まで」の社会のあり方が変わり、「これから」のあり方が産まれてくる…
おそらく、そうなのでしょう。
ただ、それを「新しい」とか「ポスト」とかと言うのは、「今まででないもの」と言っているだけの事です。
「これからの時代」の特徴を捉えて、「平安時代」とか「鎌倉時代

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冠水を越えて・・・オクラの本葉が出る

冠水を越えて・・・オクラの本葉が出る

ノアの方舟物語では、洪水の後、ノアが鳩を飛ばすと鳩はオリーブの若葉を加えてきます。

それでノアは、水が引いた地があることを知ります。

でまぁ、この後、方舟から出てきたノアと地上の全ての生き物に対して、神様が

「世界が続く限り、種まきと収穫、暑さと寒さ、夏と冬、昼と夜は終わることがない」と約束されて、

この世界がある限り、農業の営みと季節の循環は続くんだって事になるわけです。

この聖句の「

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家庭菜園、半農生活と責任、持続性他

家庭菜園、半農生活と責任、持続性他

「碁に凝ると親の死に目に会えない」と言う言葉があります。

囲碁にハマってしまうと、親が亡くなると言う時でも、行かないで囲碁をやっている・・・

何かにハマってしまうと、他の事はどうでも良くなると言う意味です。

現代だったら、パチンコ依存症とか、ゲーム依存症みたいなことかもしれません。

僕の知り合いで何人か若年性の「脳梗塞」をやった人がいます。食生活とかお酒の飲み過ぎとかがあったようで、奥さん

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江戸時代、リンゴは広島県・新暦7月に存在したか?

江戸時代、リンゴは広島県・新暦7月に存在したか?

井原西鶴の「好色一代男」の巻五「当流の男を見しらぬ」の章に「山がつの手籠に入れ林檎の盛りを見せける。それかえと腰につけたる銭をなぐる」と言う表現が出てきます。

山にいる人がリンゴを籠に盛ってきた、それを買えと腰につけていた銭を投げたと言う意味です。

舞台は安芸(現・広島県)、旧暦6月で新暦7月頃に相当します。

好色一代男の初版は天和2年(1682年)です。小学館の日本古典文学全集の解説によれ

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中立的な説明は、活動を促進する他

中立的な説明は、活動を促進する他

先日、近くの畑がある農家の人が、僕が草取りをしているところにやってきて、畑の前の部分、刈払機で刈ろうかと声をかけてきてくれました。

僕は、その際、実際に草を一つ一つ示しながら説明しました。「これはイヌムギと言って、もうじき枯れて倒伏する。すると倒伏した部分の地面を覆って他の草が生えるのを防ぐから刈らない方がいい。」

「これは背が高くなる地下茎タイプの草で、昨年、ここで刈払機を使ったが、地下茎が

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「資本主義」は終わるのか?

「資本主義」は終わるのか?

人類の歴史の中でいろいろな「体制」が登場してはやがてなくなっていきました。

だから、「資本主義」と言う体制もいつかはなくなるはずだ・・・

これは真実だと言えるでしょうか?

例えば、あんまりなくなっていない「体制」と言うものがあります。

例えば、「法治国家」とか「貨幣経済」と言う「体制」がそうです。

「法律」ってものがどういう風に登場してきたか?について、旧約聖書に面白い事が書かれています

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善・悪の根拠は「外的規範」なのか

善・悪の根拠は「外的規範」なのか

善人が不幸になり、悪人が幸福になる、天道、是か非か(天の道は正しいのか、間違っているのか)

史記・伯夷列伝はこの問いを記しています。

さて、性善説を唱える孟子と反論する告子の論争は、「善・悪」と言う事柄について、興味深い視点を提供しています。

性は生、つまり、生きている事自体が人間の本性だと言う告子に対して、孟子はだったら犬だってウシだって生きている、
犬やウシの本性と人間の本性は変わらない

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神様や仏様の「約束」と救われる資格

神様や仏様の「約束」と救われる資格

なぜ、善人が不幸になり、悪人が幸福になるのか?
史記は「天道、是か非か(天の道は正しいのか?、間違っているのか?)」と記しています。

親鸞聖人の考えを解説した歎異抄は「弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて」と言う言葉から始まっています。

「阿弥陀如来様が立てた近いの不思議な力で救われると信じて」と言うような意味です。

南北朝時代の「神皇正統記」にも「神は人をやすくするを本誓とす」とあります。

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そもそも、「神」は人の幸せを願っているものなのか?

そもそも、「神」は人の幸せを願っているものなのか?

善人が不幸になり、悪人が幸福になるとしたら、「天道は是か非か(天の道は正しいのか?、間違っているのか)」と史記・伯夷列伝は疑問を投げかけます。

この疑問に対して、旧約聖書に記載されている通り、「天」や「神」の側から「造られた者が造った者に分別がないと言えるのか?」、「私(神)が世界を造った時、お前(人間)はどこにいたのか?」と答えてこられると、ある意味、行き止まりとなります。

私(人間)は「私

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「私」がなぜこうなのかについて、「カバ」や「ワニ」を持ち出されたらどうするか

「私」がなぜこうなのかについて、「カバ」や「ワニ」を持ち出されたらどうするか

司馬遷の著作・史記の伯夷列伝は、「天道、是か非か(天の道は正しいのか?、間違っているのか?」と言う問いを投げかけています。

暴虐な紂王を打倒して周王朝を創始した武王。
それに対して、暴力をもって暴力を打倒するのはおかしいと指摘し、周王朝が提供する穀物を拒んで餓死した伯夷。

史記は、盗賊をしていても長生きする者もいる、もっぱら悪い事ばかりしていても幸福になれる者もいる、

善人が不幸になり、悪人

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社会の改革と個人の不幸

社会の改革と個人の不幸

「るろうに剣心」と言うアニメがあります。

主人公の緋村剣心は、明治維新を実行したい志士達に頼まれて、幕府側の人を殺す刺客となります。
しかし、剣心に殺された人達にも家族がいたのです。

こうした社会の改革と個人の幸・不幸の矛盾について、史記は、伯夷列伝の中で「天道は是なのか、非なのか(天の道は正しいのか、間違っているのか」と述べています。

殷の紂王は暴君でした。周の武王は紂王を打倒しようと考え

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誰もが欲動を持っているから許すと言う論理

誰もが欲動を持っているから許すと言う論理

北京女子図鑑って動画ドラマを見ました。
もともと、地方から東京に出てきた女性たちの姿を描いたウェブコラムで東京女子図鑑と言うのがあって、実写ドラマ化されたようなのですが、
北京女子図鑑はその中国版で制作されたようです。

その北京女子図鑑のドラマの中で地方都市・成都から北京に出てきた主人公は、男性の社長と交際します。
しかし、男性社長は、他の女性と結婚。

「彼は結婚したくないんじゃない、あなたと

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春分後満月時の引き潮、平家物語「屋島」と旧約聖書「出エジプト」

春分後満月時の引き潮、平家物語「屋島」と旧約聖書「出エジプト」

例の「十戒」の映画に出てくる海がバーンと割れるシーンですが、

実は、イースターが春分後の満月の後の日曜日と言われていますが、

元々、「過ぎ越しの祭り」が春分後満月祭なので、とにかく、その時季です。

このお話との比較で、平家物語巻第十一「屋島」には、興味深い記述があります。

(義経が)近藤六を召して「屋島の城の様はいかに」とのたまへば、「さん候、知ろしめさねばこそ候へ。城は無下にあさまに候。

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