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好きだけど、好きだから、さようなら

ふたりの人間が出会い共に歩み始めるとき、そこに生まれる物語というのはほんとうに千差万別で世界のどこを探しても同じものは1つとしてない。それを人間は遠い昔から知っていて、「一期一会」とか「袖振り合うも多生の縁」だとか言葉にしてずっと語り伝えてきたのだろう。誰かと誰かの出会いが生む新しい物語、そこに巻き起こる魔法。それは何よりもこの世界を美しく彩る宝物なのかもしれないと思う。

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私とパートナーは5年前に出会い3年間の同棲を経て、別れることを決めてからは半年くらい、具体的な引っ越し時期を決めてから1か月ちょい経っている。

私たちの別れ方はちょっと変わっていると思う。今でもお互いに誰よりも大切な存在だし、あと10日あまりで引っ越しなことが信じられないくらい仲良く一緒にいるし、今までどおり家族にも会うし(家族も私たちが別れることはもう知っている)、何より毎晩「引っ越したくない」と2人で泣く始末だ。😂

じゃあ何で別れるのかというと、「それがお互いのよりよい未来のためだよね」と同意したから。それぞれが進みたい未来のステージが違うということに気づいて、よし、じゃあ各自その道を進もうかと決意できたから。

だから私たちは、これからも大切なソウルメイトとして連絡を取り合うし、定期的に会うし、彼の家族とも良好な関係を続ける。そしてそれはお互いに他のパートナーができても変わらない。そうふたりで話して決めた。

考えてみれば当たり前なのだけれど、けっこうぶっ飛んだスタンスなので、周りに色々と言われることもあった。夢物語だとか理想論だとか、親が理解してくれるはずがないとか。

そう言われ続ければそうなのかなと思えてきて、不安になったこともある。でも私は、ちゃんと望んで行動すれば夢でも理想でも現実になるんだと分かった。証明してくれたのは彼の両親だった。私たちの決断を理解し尊重してくれ、「ふたりが別れてしまうのは悲しいけど、でもWe're happy for you」と言ってくれた。それだけでなく、私には直接「Kana、あなたがバルセロナに引っ越す前に家族みんなで会いましょうね。さよならなしに行っちゃだめよ、約束よ」と何度も言ってくれた。いつもはこういう突っ込んだことは言わない人だけに、余計に泣けた。

だからわかった。誰かにまつわる物語を本当に理解するのって、きっと当事者じゃないとできない。なぜなら本当に大切な物語というものは、言葉で「語って理解する(させる)」ものではなく、その物語を「感じて生きる」ものだから。

そう、人は誰かを100%理解することなどできないのだろう。だからこそ互いの想いや決断を尊重し合い、相手の痛みや苦しみを懸命に想像し、分からないながらも「分かりたい」と願い寄り添う─それだけでいいのだと思う。

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私も疑う日があった。あんなに毎日ケンカばかりだったのに引っ越しが決まったあと急に絆が深まったのは「まぁ残り少ないしお互い仲良くやろう」って思ってるからにすぎないのかな?とか。

でも、それも違うとわかった。なぜなら私と彼との関係は、この別れがあってこそ真価を発揮するものだったから。私たちは別れという道を選ぶことで、より真っ直ぐな気持ちでお互いを愛することが出来たから。これを機に終わるのではなく、私たち2人の物語はこの「別れ」というチャプターがあってこそ面白く成り立つのだということがわかったから。こればっかりはなんて文字で表していいのか分からない、説明のしようがない。けど、そうとしか言えない日々を2人で生きている。

わたしたちはずっと、旅に出たかったのだ。
だから出会って共に歩み始めた。
共に学び、共に成長して、
はるばる一緒に空港までやってきた。

行き先を決めるまでものすごく迷ったね。
お互い見たい景色があって、
行きたいところがあって、
それを1つの目的地として一致させるのはものすごく難しいことだった。

そして出した結論。
「それぞれが見たい世界を見に行こう、後悔しないように」
ここに至るまで決して簡単なことではなかった。だからこそ、ものすごく勇気ある決断をした自分たちを心から誇りに思う。

さぁ、そろそろ搭乗の時間だね。
飛行機に乗り込む列に並ぶときの、あのなんともいえないワクワク感とさみしさが、まさに今の2人の気持ち。

あなたを乗せて飛ぶあの飛行機が、あなたの行きたいところに連れて行ってくれることを。

わたしを乗せて飛ぶこの飛行機が、わたしの見たい夢に向かって飛んでいくことを。

それぞれが願って、一歩一歩前に進んでいく─そんな今。

こんなに美しい物語はなかなかないぞと、我ながら思っているのでした。そんな我らに乾杯。

Kana

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