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「マイノリティ」について考える④~マイノリティって何?~

前回までの記事について、本当にたくさんの方に読んでいただき、心から嬉しいです:)

※前回までの記事はこちら
「マイノリティ」について考える①
https://note.mu/sae8320/n/n9a175aab282a
「マイノリティ」について考える②~会社を休んで気付いたこと~
https://note.mu/sae8320/n/nc782ec4cfe73
「マイノリティ」について考える③~会社を休んでどう変わったか~
https://note.mu/sae8320/n/ncc49c92f8aca

今日は、いったんはこのテーマの完結編?として、なぜ今回のシリーズのタイトルを”「マイノリティ」について考える”にしたのか、を書きたいと思います。

テーマとして掲げるにあたって、「パニック障害とは」とか「病気になってわかったこと」とか、もっとわかりやすく引きの強い言葉を使うこともできたと思いますが、私はそういう言葉をあまりテーマとして使いたくありませんでした。私が実際に病気になって、悩みぬいて、会社を休んで・・・という中で感じたことは、病気だからということに限らず、もっと普遍的なものだったなぁと思ったからです。

病気を隠していた間は、とにかく病気を隠して「普通の人」のふりをして生活をするのに必死でした。言わずとも、なんとなく社会の中で病気に対する理解が浅いことを感じ取り、より一層言えず、すごく孤独や疎外感を感じた。
会社を休もうと決心したときも、なんとか休まずに働ける方法がないか、ということも考えなかったわけではなく、それを探る過程で傷つくこともたくさんあった。病気のことを理解しようとしてくれる周囲の人もいれば、組織の中のトラブルのように扱われるときもあった。在宅でだったら続けられるかも、と思ったけど、在宅勤務の制度もなかった。別に会社のことを批判したいわけではなくて、それぞれがそれぞれの立場でギリギリで、これが今の、社会の現状なんだなって、突き付けられた気がした。「なんでもできる戦士」でなければ、必要とされないのか?とも考えた。

疎外感を感じたり現実を突きつけられるたびに、これって私だけが感じてることではないなと思うようになりました。
すごく小さいこと(といっても、本人にとってはものすごく大きいことだけど)でいえば、例えば飲み会が嫌いなのに、飲み会が好きな人が多い部署に入ってしまって、人間関係のためにストレスを抱えながら飲み会に行く人。その人はきっと飲み会中は孤独だし、嫌なのに嫌と言えないことに虚無感を感じ、次の飲み会に誘われたときのことを想像し、ブルーになる。
不眠症で悩んでいるのに、体調を崩すと、上司から「最近残業少ないのにねぇ」と呟かれる。
男社会で働くママさんが、時短で働きながらも周りに負担をかけてしまっているという思いから、仕事そのものについて自由に物を言えない、とか。
親の介護が必要になった瞬間に大事なプロジェクトが決まってしまって、断れば今後の出世に響くと思って上司になかなか言い出せない、とか。
LGBTQとか、性の悩みを持っていても、周囲の目が気になって絶対に誰にも知られたくない・言いたくない、と思う。結婚は?っていう悪気のない言葉に深く傷付いたり。
兄弟の職業を聞かれて、アルバイトをしているって言ったら、そんなので大丈夫なの?とか余計なお世話を吐かれたり。

これらのことって私が経験したことではないけれど、どれもこれも、すぐ隣に転がっているような気がしてならなかった。
いわゆる「マイノリティ」って、性別、人種、身体のつくり、貧富、、、とかそういう「種類」によって区分されがちだけど、少なくともいまの私に聞こえる「マイノリティ」は、そうやって自分の中の大事な部分を少しずつ殺しながら周囲の空気に合わせて、孤独感を感じている全ての人のように感じます。そして、それって、究極的には、全員、マイノリティなんじゃないかなぁって。

目に見えるようなものでも、そうでなくても、それぞれがそれぞれの事情を抱えていて、それでも押し殺さなきゃやっていけないのって、単純に、あんまり幸せじゃない。

病気はただの一例に過ぎなくて、みんながもっと自分のことを言いやすくなって、一緒に考えて、それぞれが生きやすい場所を作っていければきっとみんなもっと幸せだし、それを考えるためには、まずは、自分も、隣の人も、友人も、みんながそれぞれ「マイノリティ」な部分があるんだってことを知ることから始まるような気がしました。そうしたら、生活の違いも、価値観の違いも、出来ること・出来ないことの違いも、受け入れられるような気がしたから。
だから、テーマを”「マイノリティ」について考える”にしました。

病気のことを会社に打ち明けようかと悩み果てていたときに、母が「何も悪いことしているわけじゃないのに、どうして隠さなきゃいけないの?」と言った言葉が、今も残っています。たしかにその通りなんだけど、全然その発想はなかったわー、と、「母は強し」だなぁと思った。笑 あらゆるひずみの中で苦しんでいるひとは、何も悪いことしていないんだよねぇ。 

ずっと頭の中で考えていたことではあったけど、上手に書けずあまりにも抽象的な話になってしまった気がして、上手く伝わっているだろうかと心配です。笑

一朝一夕には解決できない、ものすごく根深い問題があると痛感したから、これはきっとずっと考え続けていくテーマなんだなって思っています。
考えることは日々更新されていくから、そのうちまた”「マイノリティ」について考える"シリーズを書くと思います。
何かのきっかけになれば、とても嬉しいです:)

次回からも、いろいろと書いていきます。考えていること、気付いたこと、好きなもののこと、、、
お付き合いいただければ、幸いです。

Sae


「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。