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どこまでも解らない答え

毎日毎日家に居て、よくそんなに書くネタ有るねーと次女が感心した口調で言ってくる。

有るでしょ、だって私の頭の中には60年の記憶が有るんだよ、赤ちゃんの頃の事は覚えてないと言っても、ある程度の年月の記憶がある。

記憶って不思議なもので、自分の感情で良くなったり、悪くなったりする、見る方向が一定なのだから、それは仕方がない。

子供の思い出は良いことばかりじゃなくて、悪い時間の方が前に出てくる、それは誰もがそうでは無く私だけなのかもしれない。

自分を悲劇のヒロインにするつもりは無くとも、今考えると納得いかないって感じることは多い。

私は長女で一番最初に生まれた女の子だったので、(我が家は2人兄弟であとは弟だけである)父には甘く、母には厳しく育ってられた。

母の持論は「女の子は外に出ていくのやから、厳しくしておかなあかん。」だった。

外に出ていくの意味が解らない人に言っておくと、結婚してよそのお家の子になるって事だった。

私が子供の頃もそんな考えは廃れてきた時代だったが、まだまだそんな考えの人は多くて、母もそのうちの一人だった。

外に出る子と公然と言っていた母は、弟の事は可愛がっていて、弟とは一緒に旅行に言ったり、弟には家事をさせなかったりして明らかに違う対応をしていた。

誰もが自分は兄弟よりも損していると思いがちなので、私も被害妄想なんだろうと考えていたら、ある日母がこう言った。

「やっぱり、性が違う子供は可愛い、同性はちょっと違うわ。」

なんですとー、私は可愛くないとはっきり宣言しちゃってるじゃないですか、そんな言葉を言う?

母の言葉に困った顔をして、父親が言った。

「俺はどっちも可愛い、別に男やからとか、女やからとかは無いな。」

そうでしょうとも、それが普通の親の言葉でしょうね、母は自分の言葉で他人が(私も其以外の人も)どう考えるかが抜けていた。

言葉の感性が抜け落ちているのに、普通の親のように指導をしようとするから、問題が出る。

私が気が弱い人間だったから、反抗もあまりしないで、親から離れる道を歩いてきたのを、あの人は知らないんだろうな。

弟も自分が良くしてもらっているとは考えていなかったらしく、私が結婚するときに、母が結納返しとしてタンスや本棚を買って家に置いていた時。(私はそんなの要る人なら結婚しないと言い張っていたけど)

「これ姉ちゃんがしてもらったの覚えとくで、俺もやって貰わないかんで。」と言ってのけた。

情けない。

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