ももちはま さちこ

1978年生まれ。北海道出身。 横浜市在住。 サポートしてくださる方がいらっしゃればあ…

ももちはま さちこ

1978年生まれ。北海道出身。 横浜市在住。 サポートしてくださる方がいらっしゃればありがたいです。 ホークスファン。 コスメオタク。音楽も好き。本は買うだけ。 最終的にどなたかへポジティブなものが届けばいいなと思っています。

最近の記事

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スパイス狂い

「こどもはカレーが好き」 「カレー作っとけば間違いない」 冗談じゃないと言いたい。 カレーに喜ばない子供だっている。わたしは積極的にカレーライスを食べたいと思わない子供だった。人参や玉ねぎが嫌いというわけでもないけれど「今日はカレーよ!」「やったあ!」みたいな感情はなかった。 作るにしてもカレーはやる気のないときに思い浮かぶくらい。 田舎育ちで説明がつくかわからないけれど、わたしは料理をおいしく作ることができる方だ。結婚して北海道を出るときに心配した友達が『基本の料理』

    • フクロウ物語

      自宅の断捨離的整理整頓がひと段落着いたところで、表札を作ることにした。 もうこれはただやらずに10年強経ってしまった。 整理整頓をするときに、ちょっと風水を取り入れようとした。 整理整頓自体、風水的に良さそうなものではある。 自分が調べて知ったのは「玄関にゴルフクラブなどの遊びの道具を置くと仕事に身が入らないのでよろしくない」 物がなくなった玄関にはちょうどオットのゴルフクラブが置けそうなスペースが登場したのだが、和室に置いていただくことにした。玄関に置く方が便利だとちょっ

      • 40日間 4LDK正常化計画まとめと手紙

        このところ、ゴミの話しか書いていないが、ゴミのことしか考えていないので仕方ないと思う。 わたしの日記によると6月29日頃に始めた自宅の整理整頓(世にいう断捨離)はほぼ終了した。約40日間かかったようだ。 何をもって終了かと、それは「ゴミステーションまで車にゴミを積んで捨てに行かずに済むようになった」にしようと思う。まだ、整理したい部分は1割くらいあるし、フローリングの拭き掃除を始めとする清掃もこれからしようと思う。なんなら誕生日プレゼントには床拭きロボットが欲しいところだが、

        • 結局「それでいい」ひと

          連日、4LDK正常化計画という名の断捨離の記事を書いているが、今朝になってさすがに疲労の色が濃くなってきたので、朝のゴミ捨てをおこなってからは今日は一旦片付けと距離を置くことにした。 ゴミステーションまで徒歩で100mくらいなので重たいもの、たくさんのものを運ぶのが大変なため毎回車に積んで、家族と一緒に捨てている。 土日と水曜以外毎日何かを捨てに行っている。行っている。行っている。 目下、捨てる日々を送ってはいるが、何も買っていないかというとそうでもない。収納用品等につい

        • 固定された記事

          かたづけ侍 おつかれ侍

          昨日は自分の洋服を選別して収納する作業を大体終えることができた。 Before After の写真でもアップしたいところだが、散らかり方が到底お見せできる状況ではなかったので今は控えたい。 共用のウォークインクローゼットをオットに明け渡したので自分は別の部屋のクローゼットにしまえる分だけの洋服にしようと精を出した。 結構、冬を越した白物が黄ばんでしまっていたり、何年も越したものに記憶のないシミがあったり「へえー、こうなってたのか」と思った。 また着たいものは酸素系の漂白剤を

          かたづけ侍 おつかれ侍

          かたづけ侍 すて侍

          前回、4LDK正常化計画という名の不要物廃棄と部屋の整理整頓をおこなっているという記事を書いた。 まだ終わっていない。 毎日コツコツ要らないものを集め、要るものは整理整頓しているうちに東京五輪が始まった。 大体済んだのは、台所、階段下の収納2つ、和室、洗面台の下、リビング、玄関、そうでないのは2階のオットの段ボール箱3つ、子供の部屋、寝室、クローゼット3つである。 開会式の日に、暇そうなオットに段ボールの整理を頼んだ。 段ボールからポイポイ新しく用意した箱に迷うことなく

          かたづけ侍 すて侍

          30cmと50cmのはざま

          ずっと、気になってはいるけれど見て見ぬふりをしてきた。 4LDKの我が家が2LDKしか機能していない、余計な物でいっぱいになっている部屋がある。 部屋だけでなく収納なんかも色々なものが適当に突っ込まれてはじけそう。 何年、5年やそこらじゃないくらいそれを続けてきたように思う。 ある日、それを片付けようと思い立った。 この時点ではかなり重苦しい決断である。 以前、学びの場で先生が仰るには「勉強を続けることは大きな歯車を回すことと似ている、はじめにとても大きな力がいるけれど

          30cmと50cmのはざま

          その向こうの向こう

          「あのさ笠山、今なんの話してるかわかるか」 「うん、それでこれはどうなってんの」 リモートワークというものが我が家でも展開されている。 場所がないわけではないけれど、春先は寒かったのでオットはダイニングでそれをおこなっていた。我が家はリビングダイニングなのでなんとなく暖房が一つで済む。 オットがどんな仕事をしているかは昔からほとんどわかっていない。 会社名とかは大体わかるのだけれど、中身となるとてんで分かってこない。 昔は職場近くに家があったので、忘れ物であったり、サンダ

          その向こうの向こう

          弱ったこころのゆくへ 後半

          一度沈んだ自分の心を復活させる方法について悩むのもまたつらい。 カーテンで視界を閉ざして問題から逃げても心は沈んだままだ。 警察に通報したり、代理人を立てて交渉してもらえばいい、困っているのだから誰かの力を借りよう、アルバイトしてでも費用を用意して! この極端なゴールを設定したとき、少し力が湧いてきた。 カーテンを開け、窓をいつもの状態に戻すと自分の心もほぼ回復していた。 しかし、右側の首筋が痛くなり首が回らなくなっていた。寝違えたのか。 また日曜がやってきた。 人生

          弱ったこころのゆくへ 後半

          弱ったこころのゆくへ 前半

          メロスばりに激怒したよね。 半年前、秋の終わりのことだ。 向かいの住宅にピアノが来たことを激しく知った。 ピアノには「調律」といって、引っ越しなどでピアノを移動させた後や定期的にまたはコンサートの前など、音の狂いを整える調律師に来てもらって、その微妙な音階をひたすら聞かされる作業がある。それを微妙といったのは、滑らかだけれど何の音楽でもなく、楽しくもなんともないから。 その調律の音が向かいの家の開いている窓から直に聴こえてきた。 まず 「終わったな」と思った。 ピアノ

          弱ったこころのゆくへ 前半

          韓国で生活してみた part3(終)わたしと生徒その他編

          韓国での生活も半年を過ぎたころ、わたしのクラスに20歳の男性3人が連れ立って入ってきた。 わたしは初級から日本語を教えることはできたが、ネイティブとして上級クラスを任されていたので、テキストは設定されていたが、使う必要のない人にはどんどん会話してもらえるように適当にしていた。 で、その3人は完璧な日本語を話し始めた。 「あれれ、様子がおかしいよ、何をしに来たのかな」 話を聞いてみた。 その三銃士は馬山出身の国費留学生でソウルにて日本語教育をすでに済ませていた。 休暇で帰省

          韓国で生活してみた part3(終)わたしと生徒その他編

          韓国で生活してみた part2 3(さん)にまつわる話

          前回の記事で綴ったように、わたしはひとりで韓国への飛行機に乗って韓国へ入国した。「おや、誘ってくれたサイトウさんはどうした」と思われたかたがいるかどうかは定かではないが、そう、我々は別々の地域で働くことになっていた。 サイトウさんはかの有名な釜山市、わたしはというとそこから車で2時間弱の馬山市(マサン市)という小さな街で働くことになった。釜山は観光などで訪れる人も多いだろうが馬山に行く人はそういないのではないか。そういう意味ではレア体験であったが「サイトウさんそれはないぜ」と

          韓国で生活してみた part2 3(さん)にまつわる話

          韓国で生活してみた part1わたしの言霊信仰編

          2000年、大学を卒業して就職しなかったわたしは車の免許を取った後、日本語教師の養成学校に半年間通った。 就職しなかったのは、ただ単に仕組みがよくわかっていなかった。自己アピールみたいなものもやっているうちに「自分をアピールするなんてできない」と投げ出した。 日本語教師の養成学校は自分の興味で通い始めた。外国の人が一生懸命話す日本語が好きだったのと、バリバリ文系だったので自分を活かすならこれかなと思った。 学校に入ってすぐに「日本語教師では食べて

          韓国で生活してみた part1わたしの言霊信仰編

          「生きづらさ」のその向こう

          第一、自分は何事も長続きしない節がある。 こと仕事に関しては、自分でも感心するほどよく働くのに、ある時ぷつんと糸が切れたようにすべてを敵にして辞めてしまったりする。3日坊主とかそんなことはさすがにないけれど、人に自慢できるようなことでもない。 昨年あたりか『HSP』という言葉を知った。 一般的な人の基準よりも「気にしぃ」で苦労する種類の人、その傾向にあること、が単語となってやってきたんだな、という理解だ。「そういう面って自分にもあるかもな、すぐ仕事辞

          「生きづらさ」のその向こう

          さよなら原辰徳

          自分の生まれた北海道のとある地について、なんてつまらない場所なのだろうと思い始めたのは中学から高校にかけてだった。 幼稚園や小学校からの友達、知った顔にずっと囲まれた環境でそれなりに育っていった。今となっては緊張の少ない環境はそれはそれでよかったようにも思う。 子供というものは、どんな状況からも割と遊びや楽しみを見つけて生きる生き物だなと思う。理由については別の機会に書こうと思う。 中学2年のある時、友達のなおちゃんが「ジャイアンツってカッコいいから観

          さよなら原辰徳