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「生きづらさ」のその向こう

    第一、自分は何事も長続きしない節がある。
    こと仕事に関しては、自分でも感心するほどよく働くのに、ある時ぷつんと糸が切れたようにすべてを敵にして辞めてしまったりする。3日坊主とかそんなことはさすがにないけれど、人に自慢できるようなことでもない。

    昨年あたりか『HSP』という言葉を知った。
一般的な人の基準よりも「気にしぃ」で苦労する種類の人、その傾向にあること、が単語となってやってきたんだな、という理解だ。「そういう面って自分にもあるかもな、すぐ仕事辞めちゃうし」自分としてはそれはあまり理由にはならない、少し疲れやすいだけだとも思った。

     2021年、新しい年の始まり。

     1月のある夜のことだ。
  
   「今日会社でさー」

     仕事から帰って、適当な夕飯を済ませたオットが会社での出来事を話し始めた。
    この人は職場の話は積極的にしない。でもたまに人物については話すことがある。中間管理職ど真ん中のこの男、さて今回は何をのたまう。  

    昨年からオットの働くグループに新卒の青年が入ったのだと話していたことがあった。なかなか変わった様子を醸し出していてコミュニケーションに戸惑っている話を聞いたことがあった。名前は知らない。
 
  「あの子いるじゃん、新卒の変わった子。今日会社に出てこなくて、寝てんのかと思って午前中めちゃくちゃメール入れたんだけど、午後になっても連絡つかないからさすがにおかしいってなって総務に連絡したんだよね。実家にも連絡して、お母さんが遠方から明日寮に行くことになったんだけど、そいつこの週末に寮から引っ越していたってわかってさ」

   その青年については、たまに様子を聞いていた。
   「なんかだんだんうまい話もするようになった、馴染んできた」
とか
   「『仕事がしたいっていうより笑いが取りたいからトイレでリーゼントにした』とか世話役の子から報告があってさ、なんかもうわかんねえ」
なのに
   「『こんな僕を拾ってくれた会社のために頑張りたい』って言ってんだよな」

   ははーん、こじらせていますね。

    オットはこう言った。「めちゃくちゃ心配だ、もう仕事が嫌とかで逃げててもいいから無事でいて欲しいんだよね」
   その夜はその青年の今までの話をするなどし、心配した。



     次の夜、帰宅したオットから静かに「ダメだった」と聞いた。
   

     どうして。


お母さんがその引っ越し先で青年の死を確認し、会社に連絡があったそうだ。事故だったそうだ。

世話役の少し先輩の女の子も、オットと同じ管理職をしている同僚も、普段全く泣くことのないオットも泣いたそうだ。それだけを聞いて、そのまま就寝した。

     次の日、いつものように自宅でひとりになったわたしはやっと泣いた。
こんなに悲しいことがあっていいものか。
   どうにも泣けて立ち直れそうもなかった。
こと切れて、母親に見つけられるまでの1日以上の青年を思うとたまらなかった。

    事実、オットが話す青年の話は、オットの優しさや思いやりのあるものだった。オットは業務として、その青年をはじめ、その人を活かせる場所や業務について日々考えて工夫する役割をしている。周りの世話役の先輩たちもそういう指示を受けて彼と接していた。その人たちも優しさと思いやりをしっかり持っていた。普段、淡々と業務をこなしてきた大人たちが青年の死に涙したのはそういうことだ。
   それは、社会人としてあるべき姿であるが、持ち得ていない大人のほうが多いと思われがちである。面倒な人間は爪はじき。


     あくまで彼の死は事故であった。
「その日に家に行ってドア蹴破っていれば助かったのかもしれないな」オットはそうも言っていた。

      それ以上、なにも起きなかった。
彼の死はそっと現場の関係者に知らされただけで、弔いの行事等に関わることもなく日常の業務をした。


    昨今「生きづらさ」を訴える声が非常に多くなった。
   でも、青年から本当に大切にすべきことを学んだ。
   こじらせてても、生きていて欲しいと思っている人がいる。

    あなたの周りには、あなたを想っている人、意外といるんじゃないの。
あなたがいなくなって本当に立ち直れない人がいることに気が付いていないのに『HSP』とか繊細とか敏感とか主張する。
それはそれで構わないよ。大丈夫だぞ。
その繊細さでわたしたちを見つけてほしい。

     青年が生きづらさを抱えていたかは知らない。
 これは、わたしから見えたものだ。

     会社の管理職のオジサンもね「無事なら逃げていようが何でもいい」って言ってるよ。後のことはそういう仕事の人がやるから。
苦しかったら逃げていい。命さえあれば。この先、ひとつやふたつは「楽しい」とか「よかった」とか思える出来事がある。

   それはさておき、青年には生きてそこに勤め続けてほしかった。

    オジサンと青年の最後のやり取りについて、聞いていた話はこうだ。
    年末に鼻水をズルズルし、咳き込みながら青年は職場にいた。隣でオジサンは「お前、このご時世(コロナ禍)に客先で働いてんだからさ、具合悪いなら帰れよ」と。
    青年は「風邪です、大丈夫です」
    オジサン「熱はないのか、計ったのか」
    青年「大丈夫です」
    オジサン「計ったのか」
    青年「計ってないです」
    オジサンは2000円渡して「体温計買ってこい、あと有休もうないんだろ、ちょっとなんとかなるか相談してみるから」
    まだ新卒ということもあり、自宅にて研修をしたということにしてもらえないかと上司に相談し許可を得て、青年を自宅に帰した。

   よくなって出勤してきた青年が「ありがとうございました」と言ってくれたのだとオジサンは言っていた。きっと、オジサンもうまく青年を休ませてあげることができて嬉しかったから、オバサンに話したんだと思うよ!
   つまりはこちらも施しを得ていたということだ。

   そのやりとりが最後だった。
  
   
    到底「安らかに」などとは言えない。いつでも帰ってこいと言いたい。
    大丈夫だから。

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