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韓国で生活してみた part3(終)わたしと生徒その他編

韓国での生活も半年を過ぎたころ、わたしのクラスに20歳の男性3人が連れ立って入ってきた。
わたしは初級から日本語を教えることはできたが、ネイティブとして上級クラスを任されていたので、テキストは設定されていたが、使う必要のない人にはどんどん会話してもらえるように適当にしていた。

で、その3人は完璧な日本語を話し始めた。
「あれれ、様子がおかしいよ、何をしに来たのかな」
話を聞いてみた。

その三銃士は馬山出身の国費留学生でソウルにて日本語教育をすでに済ませていた。
休暇で帰省した折、馬山に日本人の日本語教師がいると聞いて来たのだそうだ。
国費で日本の大学へ通うことが決まっているとのことだった。
スーパーエリートに出会った。軍隊は免除だと聞いた。
その中のひとりが北大に入ることになっていたので帰国後も交流は続いた。

他にも様々な人がわたしのクラスにやってきた。
好きだったのは、ビョン・ミジョンさんという当時2歳年上の女性だった。
彼女は絵画教室の教師をしており、日本語もかなり堪能で、色々な話をしたのだが、当時若かったわたしに違った価値観を教えてくれた。

フリートークのテーマとして「日本人の悩みに答えてください」というのを開催した。ネットから拾った悩みを理解してもらい、アドバイスをしてもらうものだ。恋愛や夫婦関係の悩みが人気で、みんな自身の持ち得る語彙を一生懸命使って答えてくれた。

ビョン・ミジョンさんはずば抜けていた。
「好きな人に恋人がいます、告白するか迷っています」
という悩みに対して、ビョン・ミジョンさんは、紙に何やら描きながら以下のように説明してくれた。

「先生、このようにサッカーのゴールがありますね」四角を描く
「それで、ここにゴールキーパーがいます」人を描く
「でも、ゴールキーパーがいても、選手がボールを蹴ればゴールに入ることがありますね」おお!
「だから、恋人がいても告白すればいいと思います」

わたしにとってこの回答は斬新だった。
以降「夫婦は譲り合いが大切ですね」など、もはや何の話か忘れたが心に残る名言をよく残してくれた。

わたしが韓国に住み始めて年を越すと2002年であった。
2002年といえば日韓W杯が開催された。
当時、韓国代表は4位という好成績を残したのだが、もちろんわたしは韓国を応援することになった。国じゅうがそうだったし、韓国代表は面白かった。韓国が勝つと次の試合は国民の休日となった。みんなが赤いTシャツを着て韓国代表の話をした。もちろんわたしはパブリックビューイングに連れていかれた。

そんななか、ビョン・ミジョンさんはこう言った。
「韓国チームは素晴らしいです。わたしは韓国に1点も入れることができないですね」
その発想はなかったよ。
これが愛国心というものか。
韓国人の愛国心についてはすでに我々は語り終えていた。教育がそうさせているのだとか、色々と彼女は冷静に分析していた。

ビョン・ミジョンさんの名言がとても好きだった。
当時、交換日記もしていたが、アガサ・クリスティーを一生懸命紹介してくれたり、好きな映画を教えてくれたり、とても楽しい時間を過ごした。


韓国生活もそろそろ1年になる頃、契約の更新はしないことにして7月に帰国することにしていた。
サイトウさんとは電話だったり、たまにわたしが釜山へバスで出かけたりして会うことができた。サイトウさんも帰国するということで「打ち上げをしませんか」とメールが来たので、釜山へ向かい、食事をした。

「いやあ、おつかれおつかれ」と話をした。
サイトウさんには同い年の日本人の彼氏がいたが遠距離恋愛をしていて別れたとか、勤め先の語学学校の人間関係が大変だとか色々聞いていた。
しかし、あるタイミングでサイトウさんはこう切り出してきた。

「さちこさん、体調崩したりとか大変でしたよね」ああ、あれね。
「で、これなんですけど」

と言いながら、一枚の薄い冊子をカバンから取り出しわたしに差し出した。
それが何かわかるまで、そんなに時間はかからなかった。

宗教の勧誘じゃないか。

「わたし実は、釜山で道を歩いているときにそばを通ったバスのタイヤがパンク(バーストのことだと思われる)して腕に当たったんです、でもけがをせずに済んだんです。それもこれのおかげだったのかなって」ええ!

「月300円支払うんですけど、それで命が守られるんならって思って」
支払いのページをわたしに見せながら真面目に話をしている。
「さちこさん大変だったし」

この展開は考えたこともなかったわ。
確かにあの体調不良は大変だったけど、そもそも、神様って近くでバースト起こさないようにしてくれるもんじゃないの、しかもお金もとるの。

どう、する。

「なるほどね、まあ困ったら考えてみるわ、これありがとう、ちょっとお手洗いに行ってくる」わたしは席を立ち、トイレに入ってひとりになった。

笑った。
トイレで。
これはすごいや。1年間気が付かなかった。なんならもっと長い付き合いだ。全然そういう話をされたことなかった。なんでこのタイミングなの。

食事を終えて、バスで馬山に戻った。

そのあと、ビョン・ミジョンさんにその話をした。
ビョン・ミジョンさんは「自分も友達だと思っている人に遊びに行こうといわれて教会へ連れていかれたことがあり、裏切られたような気持ちがして気分が悪くなった」と同情してくれた。
彼女は日本語もマスターしていたし、優しい人だった。のちに彼女が日本に留学しに来て会ったこともあった。

ハチャメチャな結末を迎えた韓国生活であったが、色々おかしな出来事は起きていた。

・勤め先の語学学校の院長がヤクザだった。
・ある日、学校の廊下に蚊取り線香のようなにおいが漂ったので、何だろうとアメリカ人の同僚に聞いたら院長がマリファナを吸っている煙だった。
・院長はそのことについて「パワフルシガレット」だと申し開いていた。
・ある朝、同僚のカナダ人がアパートのオートロックのドアの前で倒れているのを発見した。よく飲み歩き、破天荒な人だったので死んでいると思ったが、カギをなくして酔ったまま寝ていただけだった。
・自分の隣の部屋に住んでいるのもヤクザだった。ある夜、酒を飲んで部屋で暴れ始め、自身の部屋の家具をすべて廊下に投げ出していた。
(おかしな出来事ではないが割と見かけたもの)
・仲良しのハン・ミヨンさんが突然二重にして「せーん(先生のこと)、これいいでしょう」と見せてくれたこと
・同じく同僚の中国語の先生(韓国人)も突然二重にした。しかし、仲間内で「あれは失敗」と言われていたので声を掛けないようにした。
・ブランド品の偽物文化、見ているうちにちょっと欲しくなった自分がいたこと。
・「ボウシンタン」という犬のスープがあること。男性で食べる人がいると聞いたが見ることはなかった。しかし、市内を見渡すと屋上で犬が吠えていて「あれが食べられちゃうのかな」と心配したこと。
・女性4人で馬山ツアーをしたときに待ち合わせで自家製のキムチをプレゼントしてもらったが「どこかに預けておいたほうがいい」ということになり目の前のロッテリアの冷蔵庫に入れてもらってそのまま忘れたこと。
・学校のクリスマス飲み会で焼酎をしこたま飲んでしまい、そのあと外国人仲間でクラブに行ったが「HOME」という単語を発して記憶をなくし、クリスらに部屋に担がれ大量の水(「飲め」ということだったようだ)に囲まれて目が覚めたこと。
(番外編)
・クリスが日本にやってきてコマーシャルに出演していたこと

などなど。

サイトウさんとは帰国後1度メールをしたが会うことはなかった。
わたしが日本にいない間に「冬ソナブーム」「韓流ブーム」が到来しており、かなり驚いた。
細かいこともまだ記憶にあるがもう20年経つことに驚く。
小さな島国の住人である日本人、たまには外国人になってみるのもよい経験だと思う。


END

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