思考の成就について(叶う・叶わないという考えは不要であること)
ここしばらく興味があるのは、思いを成就させないということが可能であるのかどうかという点だ。
通常はどちらかというと「叶える」「実現させる」ことに人は関心を持ち、そのために力を注ぎもする。
これはあたかも「放っておいたら叶わないことがデフォルト(初期設定)」と言わんばかりだ。しかし、それこそが幻想である。
すべての思考は思考として認識できる時点である種の形を持っているが、それらが私たちの一般的に「現実」と認識する次元に、あなたが体験する形で現れるかどうかには選択がある。
端的に言えば、あなたがそこへ波長を合わせるか、フォーカスするかということが関係してくる。
これはひとつの特定の事象に対してというより、それが含まれる「周波数域に」意識チャンネルを合わせるかどうかの選択であると言ってもいい。
こうした仕組みを理解すると、私たちが考える成就や実現という現象は何なのか、その正体もわかり始める。
実現を願っているとき忘れているもの
何かを思い、願うとき、「叶うように」「実現するように」と力がこもる。場合によってはその成就を「助ける」気持ちで、何か行動したり画策したりしようとする。
(純粋なインスピレーションによる行動は、ここに含まない。参考記事◇「インスピレーションだけを軸にすること【縦の関係は横の関係】」)
それは余計だ、逆の効果を生むということを(どうしてそうなのかこの記事の後半でも説明するが)理解している人であっても、「いや、やっぱり何かはした方がいいに決まってる」「何ができるのだろうか?」と心の中では考え続けてしまうとき、思考と現実の仕組みについてだけでなく、自分自身という存在についてある大切なことを忘れている。
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