あの世で仲良くなった人・心の濃厚接触

すでに亡くなった人たちを、夢の中という異次元で「ご案内」する業務が、この数年は減っていた。
あ、小説の書き出しじゃないよ。私の人生の、現実の経験ね。

ゼロではないが、頻度が相当少なくなっていて、日常的な感覚に上ってくることはもう、ほぼない。

必要がなくなったからかもしれない、私の潜在的な関心事が変化していったからかもしれない、そもそも、その業務を私が「意図的に」志願した覚えはなかったのだから、変化したところで理由もよくわからない。

しかしその経験を積み重ねることで、人間の死後のあり方の一片を垣間見ることができ、「生きている間に」私たちの本質を関心のある人たちへ向けて説くことに役立ったのだから、私の出会った「今、この時にはすでに亡き方々」に心から感謝している。
(「亡くなった人をご案内するエピソード」の一部は、ブログのカテゴリー★霊的な話★★夢、明晰夢、体外離脱★内に収録している。記事は新しい順の表示になっているので、古い方を辿っていただくと出てくる。)

この記事では、先日夢の中で出会ったある女性とのエピソードを書く。
その人と私は知り合ってまだそう経っていない感じで、知り合ったと言っても「あちらで(この物質的体験の世界ではなく異次元で)」という形だ。
つまり、この現実では私の知らない人だ。

複数の夢を見た中でのひとつで、彼女とのシーンは比較的短いものだったのだが、起きる直前に近い夢だったのと、その出来事の独特の持ち味と彼女の印象のために、私に鮮明な余韻を残した。

亡くなった人と交流する夢の多くがそうだが、夢には日常の延長として「いかにも、自分の普段の思考が形をとった感じ」のものがある一方で、自分の発想「外」にある、とても作り上げることができないだろうと心底思う内容もある。
そういうとき、この物質的経験の世界と異なる次元での活動があり、実際にどこかには存在している人と「交流」をしたんだなという実感がある。
(広い意味では、夢はすべて、異次元での体験を「解釈」した記憶だが。)

今回のエピソードは、状況設定自体はわりと日常的なものだったのだが、私と彼女が交わしていた会話が「日常の、起きている間のこの私」の発想ではなかった。
時節を織り込んでいるという意味では納得な内容なのだが、私の思考上のシナリオに全くなさそうな会話に、「夢を見ている側の私」が意外さを感じていた。

マスクの話題や濃厚接触という言葉も出てくるのだが、これまでこのnoteで書いてきた通り、私はウィルス関連の情報をはじめ、色々な物事に対して「一般的」と呼ばれる考え方をおよそしていない。
社会的「マナー」として、また、周囲の人々を不安にさせない配慮として、公共の場でウィルス感染拡大防止の「対策」と言われているものには従っているのだが、それは決して私の信じていることだからではない。
このあたりは説明すると長文になるので、
「地球を体験している霊的存在であるあなたができること」
「半人半霊、仮死仮生」
「映画『アナと雪の女王』みたいなことが起こっている現在【あなた自身の力への恐れを手放そう】」
「外向きな『日常』から目を向け直す【あなたの人生を生きることと、内なる力】」
……などや、その他の私の記事を、関心ある方は読んでみてね。

前置きはこのくらいにして、実際のエピソードに入ろう。

私がこうした「異次元での交流」について書く理由のひとつは、いつの時代のどこに生きていた誰という「名前」など具体的情報がわからなくとも、私が直に接したその人の息吹を残したいという気持ちがあるからだ。

一緒に過ごした、笑った、話した、感情を共有した――それが「この世界」でではなくとも、私は覚えている。ほんの束の間の交流でも、その人たちは私の人生の一部なのだ。「こちら」で関わる人たちと同じくらいに。

彼らのことを、私の中に取り置くだけでなく、アウトプットできたなら……そう思う。その存在の感触を、私を通して伝えられたら。
記事を書くのは、そうした思いの表れだ。

眠る前から呼びかけられていた

振り返るとその日は、起きている間から何か特殊な感覚があった。
心に空きスペースを作ることをリクエストされているような、普段とは違う意識状態を作るよう「呼びかけられている」感触があったのだ。

はじめはそれに気づいておらず、普段通りに記事を書いたりしていた。
しかし、どうも仕上がらなかった。
もしかすると内でまだ熟成する必要があるのかも……そう思った私は執筆をあきらめ、リラックスして過ごし、早めに寝ることにした。

ところが同じ特殊な感覚が続いていて、そのまま寝ようとするより、いつもと違う意識状態を作りたいような衝動があった。
それで滅多にないことなのだが、ふと思いついてクリスタルボウルの演奏を聞いてみることにした。

私は音楽好きだが、ヒーリングミュージックを聞かない。
大昔、ヒプノセラピーに関わっていた頃や、ヒーリングミュージックのCDも販売しているような会社に勤めていた頃には、自分が好きだと思えるヒーリングミュージックを聴いてみたこともあったが、相当過去の話だ。

クリスタルボウルの演奏を聴くことなんて、スタッフとして参加した海外のとある人のライブ時以来のことで、優に十年以上ぶりである。
公開されている動画を探して、イヤホンで聴いてみることにした。

けれどもなかなか自分好みの演奏が見つからない。
なんだかんだで長い時間、クリスタルボウルサウンドをあれこれ聴いてみることになり、最後に「この演奏が一番いいなぁ」と思うものをじっくり聴いていたのだが、美しい音だなと思いながらも、

「あっ、いつもの自分の静寂状態の方がいいや」

と、気づいて動画の途中で終わりにした。
そして眠ったのである。

今振り返るとこれも、「寝る前の準備段階」として、特定の意識状態にフォーカスを向けるのに貢献した可能性はある。

それはこういうことだ。
意識内にたくさんのチャンネルがあると想像してみよう。
あなたの波長によって、どのチャンネルを見られるかが変わる。
もし、あるチャンネルから誰かがあなたを「呼ぶ」としても、あなたがそこに自ら波長を合わせることができなければ・正確にチューニングすることができなければ、あなたはそのチャンネルを受信し経験することはできない。

色々な波長域があるので、「深すぎてもダメ、浅すぎてもダメ」なところにチューニングする場合、ただ意識を鎮めて瞑想状態になればいいということでもなくなってくるのだ。

寝る前の私は、その調節をしていたのかな、とも思う。

異次元の私の部屋を訪れた女性

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