映画「アナと雪の女王」みたいなことが起こっている現在 【あなた自身の力への恐れを手放そう】

家族がかけていたテレビのニュースで、私が見た中ではイタリアやアメリカの人々だったと思うが、海外の人がウィルス感染防止のために着用している「青い手袋」が度々目に入っていた。医療現場だけではなく、道行く一般の人々もその手袋を身につけていることがあった。
防水素材に見える鮮明な青色の手袋で、あちらではあれがよく流通している商品なのだろうか。日本では私は見た記憶がないが、昨今の海外の映像では度々見かけた。

それが目に焼き付いていたせいで、ある晩、あの青い手袋から映画「アナと雪の女王」のエルサのはめていた手袋を連想したのだ。

後述するエルサの手袋の方がやや薄い色だが、似ている。
その映画の内容とからめて「自分自身の力への恐れ」を手放すことを促し、お話しするのが、この記事だ。

私はブームのときには「アナと雪の女王」を見ておらず、関心も持っていなかった。
ところが1年ちょっと前、2019年のお正月に、家族がテレビ放送していた「アナと雪の女王」を録画して、後で皆で見たのだ。

ディズニー映画を好きでなかった私の心にも響いた作品

私はディズニー映画があまり好きではない。
ウォルト・ディズニーが存命だった初期の頃のものは別として、ディズニーアニメの登場人物たちの表情が苦手で、受け付けなかったのである。
アメリカ人にとっては違和感のない顔なのかもしれないが、日本人からするとアニメであんなにも顔の表現が大袈裟で、動物や人間以外のキャラクターたちまでもが人間くさい(特に、アメリカ人らしい)表情をするというのはどうも……。

しかも近年になればなるほどCGを多用するのも好きではなかった。アニメの表現って、現実に寄せればいいというものでもないだろう、と思ってしまうのだ(架空の世界を描くにしても、現実的リアリズムに基づいてそれを再現していくという姿勢に共感しない)。
いずれも、個人の好みの問題と言えるが。

それから、これも比較的近年になってからの傾向だが、色々な人種をなんとかして盛り込もうとしているのも、アメリカ文化のpolitically correct(政治的正しさ)を意識している風で、かえって不自然さを感じたりしていた。
これは外国人の私からすれば「ディズニー映画の中に自分たちと同じ人種が出てこなくても、べつに何とも思わないよ」と思うのだが、アメリカの会社であるがゆえに、アメリカ国内の多様な人種を物語に登場させようと意識してしまうのは理解している。(この点については実はもっと掘り下げた話をしたいので、別の回で改めて書く。→後日追記……該当記事は◆「対立概念は幻想(反対するよりも真の因を見る)」

それでも高校留学していた頃、アメリカのホストファミリーに何本かのディズニーアニメを見せられたし、その後も少しは新作を見る機会もあった。
けれども、上記の「違和感」はなくならず、私にとってはどれも好きな作品だとは思えなかったのである。

ただし、とても遅ればせながら見た「アナと雪の女王」は別だった。
物語の舞台や風景描写も好きだったし、ストーリーも心に響くものだった。
特に私はエルサとアナ同様に二人姉妹なので、幼少期の描写からして現実に重ねて思うところあった。
私と妹も子どもの頃、一緒に遊びながら、物語の中で姉妹の絆を象徴している雪だるまのキャラクター「オラフ」のように、二人の世界の中でいきいきと生きているキャラクターを創ったものだ。
そして、エルサとアナと同じように、大人になっても私たちの間では、その世界もキャラクターも存在し続けている。

だから、お正月という家族が集まる時に妹と二人、肩を並べて「アナと雪の女王」と、放送で二本立てだった同シリーズの小作品「家族の思い出」までもを見たのは、私たちの心の奥にそういう、姉妹そろって見る意図があったのかなと感じた。(私だけでなく妹もこの映画を見たことがなかった。)

ちなみに、続編である「2」は私は見ていない。1作目への言及をするので、「アナと雪の女王」を見ていない方のために以下のリンクを載せておく。

●アナと雪の女王—Wikipedia(ストーリーの概要があるのでネタバレを避けたい人は注意)

●Amazonで販売中のDVDへのリンク(現時点では、ブルーレイとDVDセットのものしか見つけられなかった。日本語・英語両方見られるバージョンへのリンクのつもりだが、仕様や商品詳細は必ずご確認を

●ディズニーの公式サイトでも、以下の通り販売中のようだ。

また、以降の記事内では、映画のネタバレとなる部分もあることをお知らせしておく。

象徴として——自身の力を封じ込める手袋

私が思い出したエルサの手袋とは、エルサが自身の魔法の力をなるべく作用させないために、長年の間はめていた手袋だ。

映画の中ではエルサの子どもの頃からその手袋が登場するが、成長した現在も用いていることが、以下の歌のシーンを見るとわかる。
やっと城の門が開くことにうきうきするアナとは対照的に、エルサは物思いに沈み、怯えてもいる。
そしてエルサは「今日だけ乗り切ろう!」と決意している、そんな歌だ。

●Frozen Sing-Along Edition(Disney公式)- First Time In Forever(日本語題では「生まれてはじめて」)

noteでは動画の開始時間を指定して貼り付けることができないようなので、この歌の「2分20秒」からに注目してほしい。エルサの登場シーンだ。
手袋を外すとどうなるか、どのように手袋を用いているかが描かれている。

(★補足……私は「アナと雪の女王」を最初は日本語吹き替え版で見たが、普段、海外の映画は原語で字幕という組み合わせが一番好きな私でも、この映画に関しては日本語版も声優陣の魅力あふれるものだったと感じた。
ただしその後、映画内の歌の自分の気に入った曲を購入するにあたって英語と日本語の違いを確かめてみると、訳語によってかなり意味が異なる箇所も出ていることに気づいた。それで私は、曲は英語版の方を購入した。
総括すれば、日本語版の方では、エルサやアナの状況と、それに伴う能動的な決意や心情が表現できていないところがあり、ひとりよがりな印象を与えやすいと思う。
上の動画のエルサの歌のパートも、日本語では「ひとりでいたいのに……」から始まるが、英語では、
「Don't let them in 
Don't let them see 
Be the good girl you always have to be」
から始まり、以下もまだ続くのだが最初だけ訳すと、
「(城内や部屋に)人を入れるな
(エルサの魔法を)人に見せるな
いつもいい女の子でいなければいけないよ」
と、お父さんから言われてきたことを、両親が亡くなって大人になっている今も自分に言い聞かせているのである。)

物語を見ていればわかるのだが、エルサの手袋は、エルサの力を本当の意味で封じる作用を持ってはいない。
エルサにとって手袋は、おまじないやお守りのような「自身の心がけ、約束を思い出させる象徴」であって、手袋というモノ自体に効力が備わっているわけではないのだ。

それでも、自分の力を恐れているエルサにとっては、手袋を外すことが恐ろしい。これから行う戴冠式で、手袋を外す場面があることも心配している。

その状態は私から見ると、現在起こっているウィルスへの、一定数の人々の姿勢と全く同じに見える。
☆その理由を詳しく書いた記事はこちら。
「半人半霊、仮死仮生」

ある人は「科学的根拠に基づいて」ウィルス感染拡大を防ぐために、手袋やマスクやその他の色々な品物、そして特定の行動が欠かせないと思うかもしれない。「物質世界」に焦点をあて、自分を「肉体」と信じる観念のもとにあれば(そしてそれは現在まだ標準的であるが)、それはとても根拠のある確かな考えとして本人に安心感を与える。
そして、その安心感の分だけの「効果」もあるだろう。

しかし、エルサの手袋が本当にエルサの力を抑えることはできず、エルサは自身の力と向き合い、その正しい使い方を思い出す必要があったように、私たちが今直面しているのは「自分たち自身の力」なのだ。

地球規模で、誰もに「平等に」脅威を与えているかに思われるウィルスは、私たちひとりひとりが「自分の力をどのように使うか」自覚することを促している。

エルサは自分の力が抑制できなくなったとわかったとき、ひとりでいられる場所へと逃げた。自身を、人々から隔離したのだ。
そしてそこで、自分ひとりの静かな生活を送ろうとした。

これは、恐れを根本解決することになっただろうか?

どこへ逃げても、自分の内が世界に反映される

ここから先は

1,955字

¥ 750

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?