新PCを手放し、別のPCを購入した話【今の自分のエネルギーに揃えること】

2020年6月28日 末尾に追記を入れました!

前回の記事から果てしなく時間が経ったという気持ちがあったけど、日付を見ればまだ1週間。そんな風に長いこと更新ができてない感を抱いたのは、書きたいときに記事を書けない「スタンバイ」状態にあったからだ。

買って半年のまだ新しいパソコンを手放し、別のパソコンを購入することに決めたので、しばらく普段のようにはパソコン作業ができなかった。

ちなみにこの記事は、昨年までサブ機として利用していたけれど、そろそろ限界も近い古いパソコンで毎日、書き足し、書き足ししたものだ。
動作がとても遅いので、なんとか機械をなぐさめながら、少しずつ下書きを作成し続けた(だからというわけではないと思うが、かなりのボリュームのある記事なので、そのつもりで読んでね)。

一時しのぎとはいえ代用機としてよりよく機能してほしくて、内部データのクリーンアップを行うなど色々手を尽くしたのだが、やっぱり「フォォォォーン!」とものすごいファンの音が回りっぱなし。私が夜中に執筆していたら、トイレに起きてきた家族が「掃除機かけてるの?」と、寝ぼけまなこで尋ねてきたくらいのうるささであった。

この記事は、なぜ、まだ新しいパソコンを手放して別のパソコンを買ったのか。仕事道具であるパソコンを通して経験した物理的現象に、私はどんな内的意味を見出したのか。また、自分の目的やライフスタイルに合った道具を選ぶことの大切さなど、複数のテーマを含んでいる。

約半年の間使ったパソコンは、私にとって初めてのMacコンピューターで、以後はMacを使うつもりでいたのだが、意外なことに結局Windowsユーザーに戻った。その点で、MacとWindowsの違いに興味がある人にも参考にしてもらえるかもしれない。

人生の中で一見そう深遠に見えない出来事から、そのときに必要な気づきを得ることがある。自分自身のことなのに、よくわかっていなかったな……と認識するチャンスは日常にゴロゴロあるのだ。

どんな分野においても、あなたの内にあるポリシーを曲げて行動してしまうと、疲れたり、物事がスムーズに運ばなかったり、忙しく行動はしていても「実のあることをやっていない」という虚しさを伴うものだ。
そうした感覚に気づいたとき、正直に自らそれを認めれば、直ちに「ズレ」を修正することができる。根本から進む方向を変える必要があると理解して実行に移すことができるのだ。

経験することでわかる今の自分

私がMacのコンピュータを購入した経緯と、その際の気づきを書いた記事はこちらにある。
「ガラケー家族がスマホにしたら。スピリチュアル視点をまじえて語る【第1話 意識変化は物理的現象になる】」と、
「ガラケー家族がスマホにしたら。スピリチュアル視点をまじえて語る【第2話 強制され得るという錯覚から目覚める】」

それらの記事内で、パソコンは私の「書く」活動の象徴であると言及したが、象徴とあえて言うまでもなく、自分の腕みたいな実際的道具でもある。

今回手放したMacのパソコンの購入を検討していた当時の私は、それまでの仕事内容(スピリチュアルカウンセラーとしての諸活動)を徐々にクローズし、執筆活動に絞る過程にあった。
これからの自分に対するヴィジョンの「さわり」は自覚できていたものの、全容やリアルな実感まではまだ経験していない段階であった。
それを思えば現在の私と、そのときの自分の持っていた少し先の自己のイメージとの間に「ズレ」があったことは不思議ではない。

結論から言うと、Macのコンピューターは私の用途には合っていなかった。
個人的な感想として、バリバリ文章が中心の執筆業には全くしっくりこないマシーンであった。

ただしこの記事は、たとえばWindowsとMacとのどちらが「優れているか」などの判定・評価のための話ではなく、あくまで私個人の目的に沿ってMacを使って感じたことや、それに伴って気づいたことをお話しする。

手にしたMacは、今の私には「これじゃないな!」感が満載だった。
それでも、せっかく買った品だからと約半年はコンピューターの方に自分を合わせるべく努力したのだが、これではまるで「道具を使う」のではなく、「道具に使われている」形になり、本末転倒だと悟ったので、素直に自分に合った他のパソコンを買い直すことにした。

実は、その選択はMacを使い始めた早い段階でよぎったのだが、どんな機械も使い始めはそこそこ手こずった経験と、後述する観点から、そんなに早くは決断できなかった。
でも、ついに手放すことを決意した瞬間からワクワクし、その選択に沿って行動すればするほどエネルギーが活き活きしてきて、楽しい感覚のまま今に至る。決意後は実際の物事の展開も驚くほど早く、スムーズだった。

そもそも、なぜMacを選んでみたか

私は、新しいガジェットが出れば嬉々として買いたいというタイプでなく、自分に合ったものを長く使いたいタイプだ。
それは先述の過去記事内で、昨年までガラケー愛用者だったことも書いたので想像がつくであろう。

そんな私が、パソコンを買い換える流れになったのは、それまで使っていたWindowsのサポート終了が近づくと同時に、メインの愛用機が壊れ始めたというやむをえない事情からだった。少なくとも、物理的にはそうだ。
しかし、真の動機とはそのような外に見える現象ではなく、「自分の内側」に先にあるものだ。

私はWindowsのファンではない。
むしろ、Windowsに不満があったからこそ、消去法でMacへ移った。
ただ、Macが積極的に欲しかったから選択したのではないという点は、今回の展開において特筆すべきだろう。もしMacに憧れや思い入れがあったら、手放すことはなかったかもしれない。
私は現在、他にもアップル製品を複数使っているが、特にファンにはなれていない。使っていて良いところもあり、悪いところもあり、好きでも嫌いでもないという感じだ。

近頃の私は、タイプライターやワープロが文書作成のツールだった時代を、羨ましく思うようになっていた(私自身もその時代の一端は経験しているが)。道具の目的が特化されていて、シンプルだったなーと思うからだ。
そんなことを思ってしまうほどに、使っているMacパソコンとの合わなさに疲れていたのだった。

現代のデバイスには沢山の機能があるからこそ、自分の重きを置きたい用途を前もってかなり明確にしないと商品を選ぶのに苦労するし、実際に使ってみて初めてわかることも多い。
また、海外製の安価なパソコンも増えてきたとはいえ、ほとんどのパソコンはそれなりに高額なので、そうそう気軽に買い換えはしない心構えで選ぶ人も多いであろう。私は、そうだった。

それなのに、私が購入したMacコンピューターを手放す決意の背中を押したのは、本体への微妙な感想に加え、様々な手続き時や、不具合が起きて修理に至るまでのサポートとのやりとりへの違和感もあった。
「この企業とは、今後も何かあったときこういう感じになるのか」という点からも、自分には合わないなという結論が出た。
ただし、こうした「現実の経験」もまた、私のそのときの内の状態、本当に思っていたこと、いわば「自分のエネルギー」を反映した現象だったと考えれば、アップル社のサポートに原因があるとは言えない。

つまり、私の使ったコンピューターという「物」や、その背後にある企業との不調和は(物理的不具合も含めてすべて)、「私自身のポリシーやライフスタイルと噛み合っていない(エネルギー的なズレ)」という見解を明確化してくれただけだと認識すれば、そうした経験による疲労や違和感も、元は自分の中に先にあって、私自身が軌道修正して道具を選択し直すための機会だったのだと理解し感謝することができた。

でもせっかくの実体験なので、どんなところが私に合わなかったかは具体的に記載しておこう。

Macノートの良かったところ、良くなかったところ、「マシーンに自分を合わせる」ことへの疑問

Macのノートパソコン(Macbookシリーズのとある製品)のどんなところが良かった、どんなところが自分にとっては不十分だったという情報をここでざっと述べるが、この感想は逆に、私には必要のない機能があなたには必要で、「Macのノート、いいな!」と感じることに繋がるかもしれないということも付け加えておきたい。

ちなみにマシーンのスペックだが、私には初めてのMacなのでどれを選べばよいかわからず慎重になった結果、メモリもストレージも一段階ずつ上げる形でカスタマイズした(が、実際に使ってみての感想としては、それも私の用途では不要だったに違いない)。

以下は、購入したマシーンを使ってみての私の感想である。

<Macのノートの良かったところ>
■デザインが洗練されている。
私の好みだというわけではなかったが、とてもきれいだとは思った。
その見た目に慣れてしまうと、他メーカーのパソコンのほとんどがもっさりとして見えるくらい。

■動きがスムーズ。
執筆やネット閲覧が主というライトな使用法だった上、十分すぎるスペックで購入したせいもあるかもしれない。
ただし、その程度の作業でも、購入半年以内で不具合が出てしまったため、各個体ごとの当たり外れはあるのかも(これは、どのメーカーでもあり得ることである)。

■音が静か。
たまに「サーッ」という感じの音は鳴るが、耳障りではない。これまで私が使ったことのあるパソコンの中では、最も静音性に優れていた。

■本体内蔵のスピーカーの音がいい。そのまま音楽を聴いても十分楽しめるレベル!

■トラックパッドへの、力の入れ具合(企業の情熱)がすごい。
トラックパッドについて色々思うところはあったが、マウスが要らなくなるほど充実していることは間違いなかった。

<私個人に合わなかったり、不十分だったりしたところ>
■日本語入力がダメすぎた。文章を書く仕事だと、これはかなりの問題だ。
変換がスムーズにできない、ごく普通によく使われる語の変換候補がなぜか後方にある、など。
私にとって邪魔なライブ変換はオフにしたり、自分なりの設定変更はしたのだが、満足いかない結果となった。
Macの日本語入力に見切りをつけ、他の日本語入力プログラムをダウンロードして使うという方法もあるようだが、そこまでしてMacを使い続ける必要が私にはなかった。

■キーボード(バタフライキーボード)が良くない。Macbook ProもAirも、新モデルは別のキーボードへ変更になっている。
バタフライキーボードは故障もしやすいらしくて、公式の無償修理の対象になっている。
本体が薄すぎることも、キーボードの打ちづらさに加担していると感じた。軽量化やデザインに沿った結果なのだろうけど、実用に快適ではなかった。
私は慣れるまで、キーボードが低すぎて(本体が薄いので)高さを出したいあまりに、本体の下に本を敷いてみたりもした。
それでもある程度は慣れたのだが、たまに他のキーボードを打ってみると、楽すぎてびっくりした。自分に合ったキーボードが大事であることを痛感。

■そこまで重要だとは思えない細かい設定の選択肢が色々ある割に、えっ、ここは変えられないんだ……と思うことがあるアップル特有のセンス。
これは、パソコンと同時期に思いがけず使用し始めたiPhoneを使っていても感じたことだ。
柔軟性があるようで、独自にこだわっているスタイルを絶対に変えないクセがあると思う。そのクセと感性が合う人には、魅力なのだろう。
私にとってはけっこう不便に感じる点が多く、魅力よりも「これがなければいいのに……」と思ってしまうことの方が優勢だった。

■いぶし加工みたいなアルミニウムボディが苦手。
熱が直に伝わるので、寒い時期には冷たいし、暑い時期には熱い(本体内部から熱を発しているときも熱い)。
トラックパッドも含めてその素材なので、触り心地に直に影響してしまう。
これまで気にしたことがなかった指の表面の汗なども意識するはめになる。本体が熱くなっているときは指も湿りがちで、トラックパッドの滑りが悪くなるのを実感したからだ。
スマホやパソコン用の指サックというものの存在を初めて知って、買おうか検討してしまったくらいだ。
このように、Macのノートを使っていると、快適に使いたいばかりに購入を考えてしまう追加品も続々と出てくる。
そしてアルミニウムボディはけっこう汚れやすく、手垢が目立つ(この点において、後述する「お手入れの際に触るだけで電源が入ってしまう仕様」は致命的だった)。

■ポートが少なすぎる。もはや無線での接続を想定しているのだろうけど。
私の購入したマシーンはUSB-Cのポートが2つと、イヤホンジャックのみ。
LANケーブルに接続することも、これまで使っていたUSBメモリ(Type-A)を使うこともできないので、USB Type-Aハブを兼用しているLANアダプタを購入した。
たとえば電源アダプタに接続する場合、本体の2つのポートのうちの1つを使うので、もう1つをLANアダプタに使えば、全部塞がってしまう。
私の使い方ではハブなどの外付けの製品は必須だった。

■Windowsでは選択肢が豊富だった業務ソフトが、Macでは使えない。
Mac用のソフトを買ってみたのだが、使い物にならないほど良くなかった。
すべてをクラウドで管理する人は別として、この点でWindowsに戻るか、Windowsと2台持ちを選択するかの二択になる人は多いのでは。

■私がオンラインで行う作業に、Macのブラウザ「Safari」が適していない。
たとえばSafariでこのnoteや自分のブログを作成していると、ところどころエラーが出る。スムーズに進めることができないため、他のブラウザをインストールして使っていた。

■蓋を開けたり、ACアダプタを電源に接続したり、キーやトラックパッドに触れたりしただけで、自動的に電源が入ってしまう仕様への疑問。
これはすごく不便だった。立ち上がってほしくない時に立ち上がってしまうのが鬱陶しいのに、オフにする機能はない(自己責任で行う裏技的なものはネットで調べれば見つかったが、それでも一部しか無効にできない)。
キーボードやトラックパッドを拭いてお手入れしたい時にもオフにできないので、さすがにこれはユーザーの利便性を全然考えてないんじゃないの、と買って早々に思ったことのひとつである。

<総合的感想>
デザインや絵、写真、動画、音楽制作などをする方にはきっといいマシーンなんだと思う。ディスプレイの美しさや音の良さは確かだ。
音楽鑑賞や動画観賞にも満足度は高いだろう。エンターテインメントに使いたい人にもおすすめできそうだ。
私も音楽は好きなので、スピーカーの音質の良さは大歓迎だったが、それは遊びの要素としてはありがたいものの、実務にはさほど重要ではなかった。

Retinaディスプレイも作業中の反射に難儀するし、True Toneやナイトモードといったディスプレイ色への配慮も、私にはどういうわけか合わなかった。それらの機能をオフにしている方が疲れないのだ。
つまり、私にとってはMacの良いところの多くが不要で、「宝の持ち腐れ」になってしまうのだった。一方で、執筆に大切なところが欠点となっていて困った。

総合して、私の目的には見事に合わなかったと言える。
見た目も含めて明らかに素敵なマシーンなのに、自分にはこうも合わないということをしばらくは受け入れづらく、「Macに自分を合わせよう」と努力したのだが。

このMacを使うために購入した品物も多かった。いまだかつてないほど多くの品を「買い足す必要が生まれる」マシーンだなぁ、という感想を抱いた。
壊れやすいキーボードの保護のために(事前情報を知ってしまったので)、キーボードカバーを、ポートが少ないのでLANケーブル用のアダプタやハブを、これまでのUSB-Aが使えないのでバックアップ用に新しい外付けメモリを入手しようかな、ああ、日本語入力もブラウザもこのままじゃ不便だから別なものをダウンロードしなくちゃね、という具合に。
自分にとっての十分役立つ使い方を実現するためには、追加するものがどんどん増えていくのだ。
うーん、本体の見かけからいっても、いかにもシンプルを意識してる感じのデザインなのに、この矛盾はなんぞや!?

……ということは、このマシーンって私に合っていないのでは。
そう気づいたのだった。
そんなにも外から他の道具を補わないと、自分の使いたい用途に満たないということは!

道具は、自分が使うもの。
道具に自分が使われるのではない。

すでに入手した品をなんとかうまく使いこなそうという方向に思考が囚われると、これが逆転してしまう。

購入した以上は最善を尽くして慣れようとしたし、長期の使用を当然のことと予想して有料の延長保証にも加入したし、まさか早々に手放すことなんて表層的には考えてもいなかった……のだが、
「いいマシーンだよね、慣れれば好きになるよね、デザインも美しいし」と、自分を説得する気持ちを繰り返し持たなければならなかった。

そうして自分を励ましつつ、Macのことを日々勉強しながら使いやすい環境を整え、操作にも慣れてきた頃、なんと不具合が起こった。
新品だし、繰り返される不具合だとは思いたくなかった……のだが。

ほどなくして、「気のせい」と流せるものではなく、修理の必要な現象だとわかった。慣れてきた矢先の厄介事。しかし、放っておけば仕事にも支障が出てしまう。
自分で解決できる方法をネットで探し、一通り試しても変わらなかったのでサポートに修理を依頼すべく連絡したが、なんと修理受付までのプロセスが予想よりも長くかかり厄介であることを、このときは知らなかった。

企業の方針への違和感と、自分の心の洗い出し。やりたくないことをやるという現実の根本にあるものは

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