ガラケー家族がスマホにしたら。スピリチュアル視点をまじえて語る【第2話 強制され得るという錯覚から目覚める】

愛用のガラケー本体に、限界が見え始めてしまった前回(第1話)
それでもガラケーに不満がなかっただけに、スマホを欲しいという気持ちが全く生まれなかった私は、どうしたかというと……。

あがいた。良く言えば、ベストを尽くした。これまで通りの3Gのガラケーを使い続けるために。
つまり、問題なく使用できる本体さえ用意できればいいわけだ。そうすれば持ち込みの機種変更という形で手続きができ、「ガラケー同士の乗り換え」ができる。

ここで説明しておきたいのだが、現在もキャリアショップで販売されているガラケーと似た外見の折り畳み型の機種は、スマホ同様のOSが入っていて「ガラホ」などの呼び名で親しまれているものだ。私が持っていたガラケーと見た目は一緒でも、中身は異なる。こちらは機能や料金を総合的に見て、私にとってのメリットが見出せず、持ちたいと思えなかった。
タッチパネルでなく物理的に押すボタンがあるとか、二つ折りであるとかの形だけはかつてと同じなのだが、「あえてこれを選ぶ必要が感じられない」私には、それならいっそスマホでいいなと思う製品だったのだ。

※この話は全3回を予定しています。各回の購入もできますが、「2020年1月後半のエッセイ」に全編を収録しますので、通しで読む方はマガジンでの購入もご検討ください。

ガラケーにさよならしたくなかった理由

その「ガラホ」とは区別して、私が3Gの古いガラケーを使い続けた理由は、第1話の冒頭で書いた通り、仕事上パソコンの利用が欠かせず、ネット作業を含めて全てパソコンで間に合っていたことがひとつ。タブレットやスマホ画面よりも、パソコンの方が圧倒的に見やすいし作業しやすい。

それから、外出時を含めての「携帯電話」として、旧来のガラケーはとても優れていたからだ。
本体は小型で持ち運びやすいし、アプリなどの余計な動作もないので電池が長持ちする。何年かにいっぺん、充電池(千円程度)を交換しさえすれば、使い方にもよるが1週間くらい充電しないで持つことがザラだった。これは災害などでの非常時にも有効なのではないだろうか。
カレンダー、スケジュール管理やメモ帳、辞書などは全てウェブに繋がなくても本体に入っている。バックアップはマイクロSDカードでOK。EメールやSMSをするのにも機能は十分で、通話もしやすく、全て物理キー(ボタン)で操作するので誤発信もない。料金プランもリーズナブル。いいことずくめで、ストレスを感じたことがなかった。

なぜ、こんなに良いものをなくしていってしまうのだろう。本体がもしまだ使えていたら、わざわざスマホに変えることを私はしなかっただろう。

新品が発売されていないなら、使える中古を探すまでだ。
そう決意した私はネットで、ガラケーの中でも自分の使い慣れている機種の中古があるかどうかをまず探してみた。
販売された形跡はあっても、すでに取り扱い終了していることが多かったのだが、やっと1つ状態も良さそうなのを見つけて喜んで購入した。

そして実物を手に、キャリアショップへ手続きをしに行ったのだ。

全力を尽くした結果、スマホ街道を歩むことに

無事に手続きを終え、代金を払い、晴れやかにショップから出てきた。店員さん確認のもと、この中古ながらも新しく入手したガラケーはもう開通している。早速、家族に電話してみた。
すると……

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