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まいにち易経_0606【深い洞察力と理解力】仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す、この故に幽明の故を知る。[繋辞上伝:第四章a]

易與天地準。故能彌綸天地之道。
仰以觀於天文。俯以察於地理。是故知幽明之故。
原始反終。故知死生之説。精氣爲物。遊魂爲變。是故知鬼神之情状。

易は天地となぞらう。故に能く天地の道を弥綸びりんす。
仰いで以て天文を観、して以て地理を察す。
是の故《ゆえ》に幽明の故《こと》を知る。
始めを原《たず》ね終りに反《かえ》る。
故に死生の説を知る。精気は物を為し、游魂ゆうこんは変を為す。
是の故に鬼神の情状を知る。


『準』は符合、『弥』は糊で封をする意味、『綸』は太い糸から条理の意味になる。『幽』は暗、『故』は事、『反』はふりかえって見ることを意味する。『精』は官能で陰に属し、『魄』とも呼ばれる。一方、『気』は呼吸で陽に属し、魂と言いかえられる。生きている間は魂と魄が結合しているが、死ぬと分離し、魂は軽くて天に昇り、魄は重くて地中に降る。
『鬼神』に関しては、宋の張載や朱子の解釈に基づき、二気陰陽の良能、すなわち良き働きとされている。魄が鬼、魂が神に当たるとされ、これが吉凶をもたらすものであるが、必ずしも人格を具えた神ではないとされている。
陰の精と陽の気が結合するとき、形ある物が生じ、分散すると魂が浮游する。この現象は鬼神の作用とされ、易経は鬼神の情状をあますなく把捉する。鬼神のもたらす吉凶は、易経の卦爻に歴々と現れるのである。


陰と陽という二つの対立する原理が、万物の根源的なエネルギーを生み出し、それがあらゆる現象を織り成している。『易経』を紐解く君子は、天を仰ぎ見て星々の運行や気象の変化を観察し、地上の風景を高台から眺めて地理的な特徴を把握する。
形而上の目に見えない事象も、形而下の目に見える事象も、すべてが陰陽の相互作用の原理に基づいて説明される。そのため、『易経』の原理を理解することで、目の前の現象だけでなく、その背後に潜む深い意味や流れを読み取ることができる。例えば、今起きていることの始まりを遡れば、その終わり方を予測することも可能となる。これは、生老病死という人間の根本的なサイクルも例外ではない。
陰と陽が交わり、万物を生み出し、そして万物が常に変化し続ける。このプロセスを理解することは、単に自然現象や人間社会の出来事を予測するだけでなく、宇宙全体の秩序や理法を理解することにつながる。易を学ぶ君子は、これにより神仏を尊び、天地宇宙の理法を深く理解することができる。

ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る

「幽」は形なく眼に見えないものを指し、「明」は形があって眼に見えるものを指します。これを具体的に例えるなら、身体は「明」であり、精神は「幽」です。また、現在は「明」、過去と未来は「幽」です。経営においても、目に見える現象だけでなく、その背後にある目に見えない要素を理解することが重要です。

ここに示された「幽明」の教えは、表面的な現象だけでなく、その背後に隠された本質を見抜くことの重要性を説いています。例えば、企業の業績は「明」であり、その基礎となる従業員の士気や組織風土は「幽」に当たります。単に売上や利益という数字だけを追うのではなく、その原動力となる見えざる要因にも目を向けなければなりません。

天の巡りを仰ぎ見るとは、広い視野で状況を俯瞰し、地上の理を観察するとは、現場の実態を熟視することを意味します。経営者は上空から見渡す大局的視点と、足元の細部に目を凝らす現場主義の両方が求められるのです。

物事の表層だけでなく、その奥底にある真相を知ることで初めて、全体像が明らかになります。これは企業経営においても同様です。財務データや営業実績といった表面だけを追うのではなく、その背後にある従業員の意識、組織文化、内部プロセスなど「見えない」部分にも注意を払う必要があります。

例えば、ある製造業の工場では、最近製品の不良品率が上がり始めていました。単に工程の見直しや設備の更新といった表面的な対策ばかりでは根本的な問題解決にはつながりません。工員の意識調査やヒアリングを行ったところ、新人教育の不備や熟練工の引退による技術継承の課題が浮かび上がってきました。製造現場の見えざる部分にスポットを当て、そこから課題を発見することができたのです。

また、サービス業の場合、顧客満足度調査の数値だけを追うのではなく、クレームの内容を詳しく分析し、その背後にある本当の不満の種を掴む必要があります。商品自体の機能不足なのか、接客対応の不備なのか、抜本的な改善のためにはその奥にある問題の所在を特定する目が求められます。

組織のパフォーマンスが思わしくない時、表面的な数値ばかりに目を奪われがちですが、その背後にある諸問題に思い至れば、改善の道筋が見えてくるはずです。

みなさんの組織においても、いま表面上うまくいっているように見えても、それは氷山の一角に過ぎないかもしれません。従業員のやる気、モチベーションの源泉など、見えにくい部分にもスポットライトを当て、その奥にある実態を見抜く眼力が経営者に求められています。

これは経営だけでなく、人生においても重要な教訓となります。人は往々にして目に見えるものにとらわれ、そこから見えてくるモノの見かけだけで判断してしまいがちです。しかし、物事の本質を知るには、その奥にあるものの在り様を探らねばなりません。

例えば、子供の素行が悪ければ、表面的な叱責や制裁だけではなく、その原因究明が不可欠です。本人の心の内、環境の影響など、目に見えない背景を洞察することで、真に建設的な解決につながるはずです。

医学の分野でも、症状の現れる部位への対症療法だけでなく、その根源にある病因を突き止め、より根本的な治療を行うことが肝要とされています。視野を広げ、奥底にある要因を見抜く目が何事においても欠かせません。

経営においては、データに基づく分析も重要ですが、時には直感に頼ることも必要です。直感は長年の経験と洞察から生まれるものであり、これもまた「幽」の領域に属します。成功する経営者は、この直感とデータのバランスをうまく取ることができる人です。

ここで一つ、興味深い例を挙げましょう。画家のパブロ・ピカソは、「私は存在するものを探すのではなく、見つけるのだ」と言いました。これは経営にも通じる考え方です。目に見えるデータや現象だけでなく、その背後にある見えない真実を見つけることが重要なのです。

目に見える現象の裏にある真実を見極め、未来を見据えた判断を行うことで、より確実な経営が可能となります。そして、直感とデータを融合させることで、より柔軟で創造的な経営が実現できるのです。

物事の表面的な現象だけで判断を下すのは短絡的でしかありません。目に見えるものだけに意識を向けていては、本質が見えずに、的確な対処も施せません。幅広い視野から物事を見渡し、さらにその奥底にある実体を見抜く眼力こそが経営の神髄なのです。


参考出典

「幽明」の「幽」は形なく眼に見えないもの。「明」は形あって眼に見えるもの。たとえば、身体は明、精神は幽であり、現在は明、過去と未来は幽である。天の巡りを仰ぎ観て、伏して地上の理を観察するとは、物事の情態をしっかりと観て、その真相を知るならば、必ず眼に見えない裏の情態も見えてくるということである。

易経一日一言/竹村亞希子

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