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【夢日記】<中④>鳴かず飛ばず

※これまでの内容


【前回の終わり部分を引用】

>僕と礼二さんの間では、気まずい沈黙が流れていたのだが、その空気を振り払ってくれたのも、やはり、礼二さんだった。

~~~

「〇〇(僕の苗字)さん、お手玉しましょう!」

僕は「お手玉しませんか?」ではなく「お手玉しましょう!」と、やるのは既に決まっている、と言ったような口調で提案してきた礼二さんに、若干、気圧(けお)されたような感じになりながらも、曖昧に、コクリ、と頷いた。

口が開かなかったのは、気圧された証拠だとも取れるが、僕の感覚としては、「ハイ!」と、相手の調子に合わせ、二つ返事で元気良く答えることは出来ない意思の表れにも思われた。

だからと言って、「お手玉はしたくないです!」という言葉を告げられずに、コクリ、と頷いたわけでもない。自分の予期しないワードに驚いていて、咄嗟(とっさ)に、何と返すのが正解なのか導き出すことが出来なくて、とりあえず頷いて、賛成の意を示した。それが最も正しいのであろう。

こういうリアクションを、僕は、割と取ることが多い。

言語化するならば「えぇ・・・」とか「はぁ・・・」とか「まぁ・・・」になるだろうか。イントネーションとしては、ボソリと呟いて、言葉に感情を乗せずに発する感じと推測されよう。

僕の場合は、口を真一文字にして、コクリと、大きめに1回頷くか、あるいは、コクコクと、小さめに数回頷くか、これは、その時々で変わって来る。僕自身、意識して使い分けている感覚は無い。

注釈

言ってしまえば、”自分の意見を持っていない人”、に分類されるのかもしれないが、僕の意見を言わせてもらうと、前述したように、”咄嗟に返答する難しさ”、が、要因としては一番大きいように思われる。

誓って言う。僕は、自分の意見が、無いわけではない。むしろ、周りに流される生き方を好いていないし、そういう、”長い物には巻かれろ、を良しとしている人のことを、嫌っていたりもする。

ただ、面と向かったコミュニケーションのライブ感であったる、話の流れであったり、相手の意図などを勘案していると、”自分の意見”、を出す前に、”この場で最も正解と思われる選択肢”、を選んでしまうきらいがある、それは否めない。

ゆえに、”自分の意見が無い”、ではなく、”自分の意見を言う優先順位が下がりやすい(≒言えない)”、とか、”自分の意見を言ったところで相手が僕の話に耳を傾ける状態に無いと判断した(≒言わない)”、などと形容した方が、僕にとってはしっくりくるのだけれども、相手からしたら「そんなの知ったこっちゃねえよ!どうでもいいよ!」となるのも、容易に想像出来る。

結果として、僕は、”別にどっちでも良い人”、に属する人間だと判断されることもしばしばあるのだが、それを良しとは思わないながらも、異議を唱えて諍(いさか)いのタネが生まれるのも、双方にとって面倒であろうと思うと、”別にいいかぁ・・・”、となるのも、また事実なのだ。

余談

そんな僕は、やはり、”長い物には巻かれろの精神で生きている”、と言われれば、「まぁ確かにそうなのかもしれないなぁ・・・」とも思えてくるし、「長い物には巻かれたくないが人間関係の諸々を考慮して結果的に巻かれているのであって『巻かれろ』なんて微塵も思っていない!」という反発心もまた生まれて来る。

「長い物には巻かれろ」というスタンスで生きている人と「長い物には巻かれたくないと思いながらも結果的に巻かれている」という抗えない現状で生きている人の違いを明確に示す言葉が欲しい。

そんなことを考えているから「生き辛い」とか「世知辛い」なんてワードを、たびたび口に出すのであろうと思うと、ますます、嫌になってくる。

その「嫌悪感」を、他者(結果的に長い物に巻かれることになっている対象物)に向けると、それはそれで、責任転嫁をしている自分に自己嫌悪の念がわいてくるし、かといって、自己に向けると、ストレートに自己否定の念が強まって、それはそれで、しんどくなってくる。

けれども、「嫌悪感」は、抑圧したからといって、消えて無くなることはない。むしろ、肥大化して、取り返しのつかない事態に発展してしまうおそれすらある。

だから僕は、その時々で、自己に向けたり他者に向けたりして、両方ともに負のエネルギーが充満して心身の限界を悟ったら、一時凌ぎのストレス発散に身を委ねて、「躁状態」と「鬱状態」を繰り返すことで、なんとか、今この時まで、生き永らえることが出来ている。それが現状なのだ。

いったい、この感情の矢印は、何処に向けるのが、正解なんだい?

吐露

僕は、礼二さんの提案に従って、お手玉を始めることになった。

礼二さんは、お手玉は「手」と「口」を同時に動かす遊びなので、パワーストーン占いで、僕がつまずいた、相談者とのコミュニケーションの動作(口)と、その内容に基づいて鑑定する動作(手)の連動を良くさせるのにうってつけだと考えて、僕にそう提案してきたらしい。

「お手玉しましょう!」と言われた当初は、意図を察することが出来なかった僕も、明確な根拠があったことを知り、「なるほど!」と思うのと同時に「さすがだ!」と、更にリスペクトの念を強めることとなった。

礼二さんとしては、場数をこなして「慣れ」を待つよりも、一度、パワーストーン占いから離れて、気晴らし感覚で楽しみながら、手と口を同時並行で動かす能力を高めた方が、結果的に上達の速度がはやいはずだ、と判断したみたいだった。

しかし・・・。

僕は、「パワーストーン占い」から「お手玉」に変わっても、手と口を上手く連動させることが、出来なかったのだ。

まず、お手玉は二つからスタートして、「あんたがたどこさ~♪」と口ずさみながら、上に投げたお手玉をキャッチして、また上に投げて・・・、の動作を行なおうとするのだが、どうも、上手く行かない。

上に投げたお手玉をキャッチ出来ず落としてしまうミスをしたり、上に投げる際に力配分を誤って、上下左右(高く上げ過ぎたり、逆に低く上げ過ぎたり、あるいは、真上に上がらず、左右に傾いてしまったり)、色んな方向へとブレてしまって、キャッチ出来なくなったり・・・。

そういうミスが目立つと、上に投げる動作とキャッチする動作に意識が向かうことになるわけだが、そうなると、「あんたがたどこさ~♪」と口ずさむ余裕がなくなって来て、歌をうたうよりもお経を唱えるような感じになってしまったり、口を開くことすら出来なくなってしまったり・・・。

結局、パワーストーン占いでつまずいた時と、全く同じようなつまずき方をしてしまった僕を、見るに見かねた、といった具合で、礼二さんが「ちょっと厳しそうだね・・・。(苦笑)」とポツリと呟いて、”お手玉作戦”、は失敗に終わってしまった。

さすがに、礼二さんをもってしても、僕の不器用さはどうにもならないと判断したのか、その後は、重たい沈黙だけが、流れることとなった。

僕は、これ以上礼二さんを頼ることは出来ない、という気持ちと、これ以上礼二さんが困る姿を見たくはない、という気持ちで、勇気を振り絞って、言った。

「礼二さん、色々と尽くしてくれて、ありがとうございました。もう、大丈夫です。僕の不器用さは、誰よりも僕が、知っていますから。一朝一夕で、なんとかなるものじゃなかったんだ。やっぱり。この宿命を背負って生きていくしかないことが、ハッキリと分かりました。むしろ今は、清々しさすら感じています。スパッと諦めさせてくれたという意味でも、ありがとうございました。」

僕は、礼二さんの返答を、はなから期待していなかったので、言い終えた流れで、そのまま立ち去ろうとしたのだが、

「一朝一夕で、なんとかならないことは、僕も良く分かった。でも、『だから諦める』というのは、僕は違うと思う。『だからこそ克服出来れば新たな道が開ける』と考えると、未来がパァッと明るくなるんじゃないかな?」

・・・。

僕は、礼二さんに見限られることを恐れて、自身を見限った発言をもって、別離の道を選んだつもりなのに、それでもなお、僕のことを見限ることなく、可能性を信じ続けてくれた礼二さんに、思いっ切り、胸を打たれた。

しばしの沈黙の後、僕は、「仰る通りです・・・。もう一度、腰を据えて、頑張ってみます。」とだけ告げて、再び、礼二さんのもとへと歩み寄り、ガッチリと握手をかわした。

~「下」へ続く~

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