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見下せばクズ。見上げれば希望。「苦役列車」西村賢太

人間のクズとは、
世間一般の常識を持たない者や、
それに準じた生活が出来ない人のことを言うのだろう。


しかし、
普通とクズの境目は実に曖昧で、
流動的だ。

今日普通だった者が、
何かの拍子で、
明日クズになっていることもある。

主人公の貫太は
19歳という若さにも関わらず
日雇いの港湾人足の仕事で
食いつなぐ日々を繰り返していた。


楽しみは
酒とたばこと風俗で、
稼いだ日当のほとんどを
それらにつぎ込むため、
家賃を滞納し続ける
自堕落な生活から抜け出せずにいる。


しかしある日、
いつものように人足の仕事に出向くと、
見慣れない若い男に出会う。

同じ歳の青年「日下部」は
貫太とは正反対の
気さくでサッパリした性格の
専門学生で、
貫太にも親しく話しかけてくる。

小学生の頃、
父が性犯罪を犯して捕まった事から、
対人関係を上手く築けなくなった貫太は、
久々に友人ができたことで、
それまで休みがちだった
人足の仕事にもよく行くようになるが…。


貫太のドロップアウトは、
貫太自身のせいではない。

父の起こした性犯罪に起因するもので、
まさに昨日まで普通だったのに、
今日はクズの父親を持った子供になってしまったのだ。

しかし、

「貫太が自堕落な人生を送っているのは彼だけが原因ではないから、多少は甘く見てやろう」

などと、いちいち配慮してくれないのが世の中だ。


さらに、日本人は

「復活のドラマ」

を美化するきらいがある。


借金地獄から復活した人や、
難病を克服して社会に出た人は
この世の善行の鑑にされる。



それ故に、
復活出来ないまま自堕落に過ごす
貫太のような人間は、
社会全体が無意識的にも
それらの復活を遂げた人々と比較して

「彼らは頑張ることを諦めた奴らだ」

と断定して、見下しはじめる。


「苦役列車」には
西村賢太の悲哀と憤怒が
溢れんばかりに閉じ込められてる。

それはどうしようもない人間の、
理不尽な怒りや悲しみかもしれない。 



しかしそれは同時に、
世間が見下し続けるクズたちが、
不条理な世の中の真実を体現していることも
感じ取らねばならない。

なぜなら、
明日の自分を保証するものなど何一つないのだから。

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