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60歳を過ぎても精力的に働ける人のたった一つの特徴

「なんと魅力的なタイトルなんだ!」と、私は思います。しかし「いい加減、ゆっくりさせてくれよ〜!」と言う人もいるでしょう。正反対ですね。

この正反対の気持ちが、晩年の生き方にどう影響するのでしょう。

定年退職、あるいは引退したら、ゆっくりしたいと言われるのは普通だと思います。中には仕事が大好きで、引退するつもりなんてないという人も稀にいます。もしくは、仕事を仕事と思っていない人にとっては、引退なんて考えはまったくないことでしょう。

「いつかラクになれる」という発想そのものが、じつは錯覚なのです。

 マラソンをしている人に、「ゴールまでタクシーで行けば?」と言うでしょうか。魚釣りをしている人に、「スーパーで魚を買えば?」と言うでしょうか。

 それくらい、ピントがズレていることに気づかないといけません。

「いつか楽になる」と「ピントがズレている」の関係性の意味が分からない人もおそらく一定数いらっしゃることと思います。


満足した瞬間というのは、成長が止まるときです。


これは厳しい言葉ですよね。アスリートや経営者からよく聞きます。確かにそうなんでしょうけど、満足するかしないかより、「年を取ると望まなくなる」と言った方が合っているようにも思います。

若い時は知らないことも多いから突き進みますが、ある程度の年齢になると、それ以上高い所へ行きたいという意欲がなくなります。それを満足したと呼ぶならそうかもしれません。


「極めた」と思ったら、また次の景色が見えてきて、「まだまだこんなものじゃない」「上には上がいる」と思い続ける。
 しかし、その仕事をお試し体験でやったような素人は、「こんなもんか」「大体はわかった」ということを言い出します。

 どんな仕事も、やり続けると、つねに新発見があり、壁が現れます。
 それは、仕事をすることで、解像度が高くなるからです。
 それが一生、続くのです。

 60歳を過ぎても活躍し続ける人は、そのことを深く理解できています。

60歳を過ぎても活躍し続けるためには、こうでなければならないのでしょう。この考えで継続できる人は、かなり少ないことと思います。

組織でトップへ駆けあがる人のための言葉とすれば、これは正論です。しかし冒頭の「60歳を過ぎても精力的に働ける人」というサラッとした響きから考えると、間違った捉え方になってしまいそうです。

「60歳を過ぎても精力的に働ける人」ではなく、「60歳を過ぎても精力的に働ける経営者、もしくは管理者」という言葉に置き換えた方が、今回の言葉は合いそうです。


「何もしないラク」より「楽しいラク」へ


定年退職、あるいは引退した人であっても、「何もしないラク」を考えるのでは、人生そこで終わってしまう気がします。ですから、この記事にあるようなほど、そんなに高みを望むわけではなくても、今より「少し上へ」という気持ちは持っておきたいと思います。それは「楽しいラク」を手に入れるためになることでしょう。


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