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「セカンドライフ」「第二の人生」という言葉がありますが、この言葉を使う人は、ほとんどがサラリーマンを引退された方だと思います。

あるいは、大病をして社会復帰した人だって、第二の人生だと考える人もいることでしょう。交通事故で死の淵から生還した人も同じように思うかもしれませんね。

それらはその人にとって「大きなターニングポイントだった」ということです。命に関わるような体験をした人は、自分の人生を見つめ直すことができます。

ところが定年退職した人が使う「第二の人生」というのは、ちょっと意味が違う気がします。

「これから何しよう」「自分の居場所探し」などという言葉が出てくるように、のんびりした感じです。確かに長年勤め上げたわけですから、一つの区切りであり、少し休みたいという気持ちが生まれて当然のことです。

ここからは私の勝手な考え方です。

区切りをセカンドライフという言い方をするのであれば、早い段階からもっと細かく区切って考えてみてはいかがでしょう?

例えば・・・

学校を出て仕事に就いたことで第二の人生の始まりです。結婚するとまた一つの区切りですから、そこから第三の人生の始まりです。子供が生まれて親になったことで、第四の人生の始まりです。

このように解釈していくと、たくさんの人生を送っているように考えられると思うのです。

自分の人生を振り返ると、いろんなことがあったはずです。なにもないように思えても、思い出していくと、笑いも涙もいっぱいあったことでしょう。だとしたら、それぞれに節目をつけていくと、今は何度目の人生を送っていることになるのか、考えてみるとおもしろいと思います。

節目で、自分が生まれ変わった気持ちになって切り替えることができていたら、自分の人生はもっともっと深いものになったのではないか。私はそう思うのです。

以前テレビで「人生の折れ線グラフ」というのをやっていて、興味深く見ていました。街頭インタビューで「あなたの人生の山あり、谷ありを、折れ線グラフに書いてみてください」というものです。普通の人だって、いろんなことありますよね。

有名人や成功者であれば、生い立ちから手記にまとめて出版すれば、読みたいと思う人もいることでしょう。しかし、商店街でたまたま出会った一般人の手記でしたら、きっと読むことはないでしょう。それがインタビュー映像になると、なかなかおもしろいものです。他人の人生がどんどん気になっていきます。

私は以前ブログで自分の人生を振り返って書きかけたことがあります。でも途中で止めてしまいました。成功者ではないから、書けば書くほど虚しくなりました。誰も読まないだろうと思いながら毎日書き続けたのですが、どこの誰かもわからない人から誹謗中傷を受けるようになってイヤになりました。私は包み隠さず正直に書いていただけです。それを作り話だとか、嘘つきだとか勝手に書き込まれて書けなくなったのです。機会あればそのうち、サラッと書きますね。

第二の人生から話が逸れましたが、本当に第二の人生だと考えるのであれば、華々しくデビューしたいものです。死へ向かう階段を上り始めたわけではなく、引退したら枯れるわけでもないはずです。バラ色の人生を夢見て、新しい旅立ちを羽ばたいてほしいです。きっとそう考えることが、充実した人生を送ることになると思いますよ。

サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。