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定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ

日本人はとにかく真面目です。と言われても、日本に生まれ育っただけなら、その意味が分かりません。世界と比べて、ようやく日本人の細やかな性格が見えてきます。1分単位で電車の時刻表が作成されて、その通りに運行されるなんて、世界中見ても日本だけらしいです。これは真面目じゃないと熟せないことだと思います。

「しつけ」として子供の頃に親や学校からいろんなことを教わります。その中に「時間を守る」「ウソをつかない」ということがあります。おおむね教わったことを身につけ、社会人になってもしつけを守って生活するから、だいたいの人はうまくやっています。

新型コロナが蔓延した時、「〇〇警察」などという人たちが登場しました。あれは「真面目な人」が正義感を振りかざしたから生まれたのだと思います。何が社会に迷惑になるのかは、その背景や時代によって変化することでしょう。

さて、定年退職した人に「遊び半分で生きろ」と提唱するのは「和田秀樹先生」です。

責任感や義務感から解放されて自由に生きればよいと言われるのです。まさしくその通りだと私も思います。ところが、子供の頃から真面目に生きろと育てられ、しつけられた人が定年した途端、自由に生きろと言われても、それはたぶん無理ですよね。

「中途半端に投げ出すな」と子供の頃よく言われました。始めたら最後までやり通せと親から言われたものです。そうやって育ったのに、私は何一つやり通したものがないので、そのことでずいぶんストレスがかかったこともあります。

おそらく多くの人はそう言われてきたと思います。なのに、「遊び半分で生きろ」と言われても、すぐにはできませんよね。ではどうしましょう?

やっぱりできることからコツコツと始めるしかないのです。どうでもよいことに時間を費やしたり、労力を使うことをとにかくやめていきましょう。身近にあることで、できることからやめていく。そしてどんどん身軽になりましょう。

65歳を過ぎても、60歳までの価値観、人生観を引きずっている人が多いので、何かを始めるとき、どうしても不安や懸念を感じてしまうのです。

「長続きしなかったら、みっともない」「やるからには、中途半端なことはできない」と、見栄から生まれる懸念もあります。

「やっぱり、自分に向いてない」ということもあるでしょう。それなら、「やーめた!」と放り出せばいいのです。 65歳からは、万事がこんな調子のほうが、うまくいくと考えてください。

「〇〇しなければならない」ということは、老後にはほとんどありません。あるとしたら、健康寿命を延ばすためにやらなければならないことくらいです。とくに人間関係でギクシャクしそうなところがあれば、そんなとこさサッサとやめることです。無理して人に合わせなければならないことはありません。どんどん自由に考えましょう。

私は、自治会長をしている頃、自治連合会をサッサと脱会してやりました。頭の固い連中には付き合っていけませんから。自治会は今も存続しています。何も問題ありません。無意味な組織と付き合う必要はないのです。

もっと気楽に考えて生きていきましょう! きっとやめてもいいところ、いっぱいありますよ。


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