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ラーメンと海



寒くなって眠りが深くなったからだろうか。朝起きると昨日の出来事が遠い昔の出来事のように感じられることが増えた。かと思えば直後に食パンを焼いて食べたときに火傷して、高校生の時に食べていたアツアツのはちみつトーストを思い出すことがある。思い出すどころかそれでプレーントーストが甘くなったりする。

世界の連続性とは何だろう。と、考えてしまう。

今日も明日もこの瞬間も、いつ世界が狂ってもおかしくないくらいに、連続性が感じられない。なんというか、とびとびなのだ。自分の周りの環境も。自分自身も。もしかしたらいつもすでに狂っているのだろうか。


さっきは起床直後のことを話したけれど、ここに夢が混じるとたちが悪い。例えばしばらく会ってない友人に夢であったとする。以前ならそれが現実の記憶と区別がついた。だからそれを受けてさみしくなったりもした。だが、最近はそうは思わない。夢であえた人は自分の中で「最近あった人」のカテゴリに分類されてしまう。これもまた連綿と一直線につながっていると思っていた幼少期から今までの脳内自分史を狂わせる。

でもまあ、それでいいか。と思う。

こんな風に考えてゆくと畢竟歴史の教科書というのは何か本当は並べるのに違和感があるようなものを誰かの馬鹿力で一直線にしてしまったものなのだろうか、という考えにとらわれる。それはまるで人間の目にはまっすぐに見えた針金が顕微鏡で見たとき、よりミクロレベルではつぎはぎであったり、微細な屈折痕を伴っていたりするようで、なんだか嘘っぽく思える。

何が言いたいかと言われれば、人は自分の色眼鏡で世界を見るというけどそれってもっともっと根本的なレベルな話なのではないだろうか。ということ。
世界は人が思っているよりもずっと連続していなくて、時間的にも物理的にももっととびとびでダイナミックにつながっているのではないかと。そういうこと。


(突飛なことを言っているけれど、とても頭は冷静で、むしろ頭は冷たいくらいだ。毛も年とともに薄くなってきているし。寒い。)


さて、いつもよりやや面倒な感じの導入部分を終えて、ラーメンの話をしたいと思います。あるいは海の話。

ラーメンが好きだ。熱せられて香ばしくなった油、うまみが何層にも重なったタレとスープ、やや噛み応えのあるほんのり縮れた黄色い麺…それらと具の絡み合いも素敵だ。細かい味の分析ができなくても、とんでもなく複雑に1つ1つの要素が力を合わせてあの構造物を作っているのがわかる。


いいね。ラーメン。

今日はなんだかしょっぱいラーメンが食べたくなった。
というよりしょっぱいラーメンを食べるしかなかった。ここから月末にかけて若干のキャッシュ不足が懸念され、クレジットに頼るしかなかったのです。クレジットが使えるラーメン屋さんは限られている。そんなこんなでしょっぱいラーメンを食べた。

ただでさえしょっぱいラーメンなのに今日は「味濃いめ」にしてしまった。
しょっぱいものが食べたかった。

うん、うまくてしょっぱかった。堪能した。

こんなんも食べた。しょっっっぱい。


ふと。ここで味蕾の立場になってラーメンを眺めてみた。
味蕾は我々の舌にある、味を感じるための最先端の機構だ。
1つ1つはとても小さい。長さが60~80マイクロメートル、直径が約50マイクロメートルくらいの大きさだそうだ。1マイクロメートルは0.001ミリメートルだそうだよ。小さいね。


味蕾がラーメンのスープを眺めていたらどんな心境だろ。
しょっぱくて、訳のわからない物体が溶け合ったりとけてなかったりして。

でもそんなことはどうでもよくなるくらい大きくて。それはたぶん大きくて、圧倒されているんじゃないかしら。あの小さなどんぶりに。そんな気がする。



そういえば。


そういえば、と思い出す。私は今3度目の独身生活に突入していたのでありました。妻子は里帰りのため、船で向こうの実家に帰っていきました。

船で。海を渡って。遠くへ行った。

今日はラーメンを食べに行った後、妻子が渡った海を眺めに行った。

海。
しょっぱくて、訳の分からない物体が溶け合ったりとけてなかったりして。

でもそんなことはどうでもよくなるくらい大きくて。それはたぶん大きくて、圧倒されていたんじゃないかしら。あの大きな海に。そんな気がした。

(海見てる間、何か写真を撮る気になれなくて写真はないのであったよ。)



思えば妻子とは10日に一回くらいラーメンを食べに行っていた。妻と結婚する前は、仙台にいたころは、二人だけのころはもっともっと食べに行っていた。時においしく時にしょっぱく、それはいつも我々の前にあった。

ラーメンを食べに行ったあと、深夜に海辺へ行ったこともあった。
ラーメンを食べて眠って、朝一番に松島へ行ったこともあった。
ラーメンを前にして、あまりに衝撃的な味に二人立ち尽くしたこともあった。

妻子はなにをしているだろう。
ラーメン食ってるかな。

なんかそんなことを考えていたら、ラーメンを食べるという行為がそのまま君らとの生活を味わっていることのように思えた。そんな一日だよ。

おれは海水みたいにしょっぱいラーメンを食べてさっきまで眠っていた。

不思議と今でも口の中がしょっぱい。あとなんだろう。目の周りが、ちょっとべたつく。

ついに涙まで、ラーメンになったのだろか。
そんなわけない。

そんなわけ、ないでしょうが。ねえ奥さん。好き。






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