見出し画像

僕の壮絶な高校野球人生No6


僕はグラウンドの周りに生えている雑草を、

1日中抜くということを夏休みの間ずっとやらされた。


はじめは物凄く嫌だったが、ずっと同じことをやっていると段々と雑草抜きが
楽しくなってきていた。


「正直、大変な練習をやるのだったら、高校野球生活ずっとこれでもいい」

とも思ったくらいだった。



逃げたことにより、僕は夏休みの地獄のような練習を、
雑草抜きで乗り越えることができた。


ちなみに7合ご飯もみんなとは違うところで一人で食べていたので、
全部食べなくてもよかった。



夏休みが終わり、

選抜高校野球(春の甲子園)の予選が始まったのだが、先輩たちはすぐに負けてしまい、まだ暖かい秋なのにもかかわらず、

冬練が始まった。




僕の高校の冬練には伝統的なトレーニング方法があった。


それは、

300メートルを3分以内で走ること。これを5本。


正直あまりしんどくなかった。

絶対に無理なタイムではない。本気で走れば、2分40秒くらいでゴールできる。



だが、これが5本で終わることはほとんどなかった。


なぜなら、

全員でスタートし、一人でも3分を切ることができなかったら、
連帯責任で全員がもう一本走らなければならない。



そして一人、ほとんどの確率で3分を切ることができない人間がいた。


この連帯責任ルールのせいで、僕たちは20本以上走ったこともある。



後、毎日バットは1000回振らなければいけなかった。しかも全員で号令に合わせて振らないといけない。

そのバットは普通のバットではなく、先端にゴムチューブを巻いた、
手作り特性バットだった。

そんなバットをそれまで振ったことがなかったので、僕の手はそのバットの重さに耐え切れず、手の皮は、バットを持つこともできないくらいボロボロになっていた。

そんな手でバットを握っていたので、バットのグリップは血だらけになっていた。



そんな冬練を11月から2月までの4ヶ月間耐え抜いた。


冬練が始まるのと同時に、僕たち野球部は新しいグラウンドで練習するようになっていた。

そのグラウンドは山の上にあり、毎日夜になると地面は凍り、身体を冷やす冷たい風がビュービューと吹いていた。


だが、そのグラウンドから見える京都の街の夜景やサンセットは
とても素晴らしかった。



たまに、練習で怒られて一日中グラウンドの外を走らされることがあった。

僕はそれが大好きだった。

怒られることが好きだったわけではないが、
外野の奥を一日中走っておくことができるので、常に一人だ。

顔を横に向けると、目の前には綺麗な街の景色が見えた。



僕はなぜそれが好きだったかというと、

街を見たり、太陽が沈んでゆくのを見ていると心がとても落ち着き、
高校を卒業してからの計画を考えることができたからだ。

もしかしたら現実逃避だったのかもしれない。

だが僕は、あの時間があったからこそ理不尽な指導にも耐えることができたし、
自分はこれから何がしていきたいのか。を明確にすることができたと思っている。




そんな長い辛い冬を越え、春になり練習試合が始まった。


僕は、なぜかよく分からないが、
練習試合の強化メンバーに入れてもらい、先輩たちと一緒に練習をし、
練習試合でもたまにピッチャーとして試合に出場する機会を与えてもらっていた。




そんな中、事件は起きた。。


あれは4月の上旬で、
もうすぐ学校では高校二年生になる。
そして新しい後輩たちが入ってくる時期だった。



その日の午前中は学校内の体育館で練習する予定だった。


ユニフォームに着替え、体育館に入ると監督がいた。

僕はダッシュで監督のところへ行き、挨拶をした。


そうすると監督は僕に何かを言ってきた。



だが僕は監督が何を言ったかを聞き取ることが出来なかった。



なので思わず、「はい!」と答えてしまった。



そうすると監督は、





「おい、お前ら、こいつ今、はい!って言いよったな。」と言い出し、
急に怒りだした。


お前らとは、体育館の中にいた先輩野球部だ。





僕は何が起こっているのか全く分からなかったので、その場で起立をした状態のまま、監督の方を見ていた。





すると、急に監督が立ち上がり僕の方へやってきて、
僕のお腹に何発もパンチをしてきた。





僕は息ができなくなってしまったのでその場に倒れこんだ。



そうすると監督は、僕を何発も踏みつけ、馬乗りになり、何発も殴ってきた。





僕はガードするのに必死だった。
お腹に食らってしまったパンチのせいで、息ができなかったので思うように身体を動かすことができない。
多分、ほんの1分くらいの出来事なのだが、僕の中では10分くらいに感じた。



それ以前にも、バットの先で叩かれたり、一発顔をビンタされるくらいのことはあったのだが、この時ばかりは身の危険を感じた。




その後、校舎の裏で正座をさせられていたのだが、
そんな仕打ちを受けてしまった僕は、心がズタズタになってしまい、
身体に力が入らなくなってしまっていた。


そして1時間正座させられている間に考えて出た結論が、





やっぱり、野球部辞めよ。明日また逃亡しよ。」  だった。。

続く。。     

こばりょう。https://linktr.ee/ryomakobayashi

僕の壮絶な高校野球人生No1

僕の壮絶な高校野球人生No2

僕の壮絶な高校野球人生No3

僕の壮絶な高校野球人生No4

僕の壮絶な高校野球人生No5







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?