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No.19  丑年が終わる🐄 関係性/性/そのた色々/進撃の巨人/映画分析入門/ロミオとジュリエット/スター・トレック/チョコレートドーナツ/タイタニック/グッドフェローズ

*雑念日記(大学生の)
ー 関係性/性/そのた色々
*今週の読書
ー 進撃の巨人
*今週の映画
ー ロミオとジュリエット/スター・トレック/チョコレートドーナツ/タイタニック/グッドフェローズ
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)

♦この世界のすべてが虚構のように思えてくる。この世界はただ、誰かのゲーム画面上に展開されてる世界に過ぎないんじゃないか?どうしてこんなにも難しい言葉が溢れかえり、自分の本心を伝えることをせず、見栄を張り、形作られた幸せを追い求めるように社会に強制をされるのか。

漫画や映画のように、整然としたエンディングはあるんだろうか?気がついたら終焉を迎えていたなんてことにならないのか?創作物に私たちが魅力を感じるのはやっぱり終わりがあるからだよな。今、こうして生きてタイピングをしているとこの時間が永遠に続くように思えてくる。寿命があるだけましなのだろうか。永遠を決定的なものにしなくて済む。

なんで自分がこの世界に生きているのか疑問に思う。生物学的にということではなく哲学的に。他の人も同じように感じるから必死に自分が与えれる価値を探すか、生きている事の意味づけをするのか。

人に対してどうしても深い関係性を築くことができない。相手と自分との間にある程度の距離を置きたい自分が絶対にいる。よくもまぁ、チームプレーが最も必要とされるかもしれないスポーツをやっていたと思う。やはり、今となっては「同じ集団に属している」や「共同作業を必要とする」など外的な抑圧が無かったら、そもそも興味なんて湧かないんだろう。めんどくさいもん。かといって、自分一人だけの世界に閉じこもって暮らすということに寂しさを感じる僕もいる。これが話をややこしくしてしまう。

そいつがちょっとした色気を見せることで、関わらないといけない人が増えてしまい、後々めんどくさくなる。めんどくささだけでなく、喜びや悲しみも当然同時に味わうんだけど。

思い返すと、子供の時から親友と呼べる人はいただろうか。いや、いた。ありがたいことにいた。



♦恋をして、その恋が上手くいっていない時、全く頭が回らなくなるのは僕だけだろうか。5分に一回くらいはその恋のことを考えている。だから、何をやっても手につかない。

本当に恋なのか?と何度も自問自答する。それが恋だと思う時もあれば、そんなのは恋じゃないと思う時もある。だからこそ、自分の本心が掴めず余計に混乱してしまう。

この文章を書いているときも、頭はずっとボーッ😑😑としている。

最近、恋愛ものの映画を見ているからなおさら、影響を受けてしまっている。

と、思ったら全く興味が湧かなくなっている今。本当の気持ちは一体何なのか自分でも理解できていない。

♦TSMC、半導体競争。世界シェア50%以上。時価総額はトヨタの2倍超え。

台湾政府の半導体人材育成の成果がついに実る。大学との協力。一方、日本のシェアは10%に留まる。日本で現代使われている半導体はそのほとんどが中国や台湾、アメリカからの輸入品となっている。

巣ごもり需要の増加によって、みなが半導体入りの製品を買うように。パソコンやゲームなど。それによる世界的な半導体不足。このままでは日本の産業がヤバくなる。半導体が無ければ、それを必要とする自動車や電化製品などの生産も滞ってしまう。雇用へのダメージもでてくる。

税金を数十億通じて海外企業の誘致に乗り出す日本。ただ、どうしても否めないのが魚の釣り方を教えているのではなく、魚を与えている感。

土壌ができていない中で、TSMCを誘致したとしてもそっぽ向かれる可能性はある。大学の理系人材への投資などもより重要になってくるんかな


♦「孤独」な時間を楽しめなくなっているのかもしれん。前よりも。


♦面白かった記事。

欲求とはあくまで遺伝子を残すためのシステムであり、個体の「幸福」を実現するためのものではないということだ。わたしたちが肥満や生活習慣病になって苦しんだり、セックスばかりを追い求めて虚しい日々を過ごしたりしてしまうリスクについては、遺伝子は考慮してくれないのである。
人間とは孤独であると不幸になり、他人を求める生き物だ。とくに、わたしたちの祖先は男女でつがいになって共に子どもを育てる生き方をしたために、現代でも多くの人が、セックスのパートナーとの間に情緒的な「絆」を築いて、結婚をして子どもを産み育てることへの長期的な欲求を持っている。つまり、愛情も、幸福にとっては不可欠な要素なのである。


♦ふと、大好きな映画「ズートピア」について考えていたら、羊たちの沈黙と似てる所がいくつかある?と思い立ち、物思いに耽っていた。確かに、よくよく考えてみると、ズートピアの主人公ジュディと羊たちの沈黙の主人公クラリスは周りが男性に囲まれた中ちょこんと存在するという点で似ているし、連続して発生している事件を悪い奴と協力して解決しようとするのも似てるし、自らの故郷を振り返るシーンがあるのも似てるし、で色々と共通点があることに気づく。これは見返すと面白い発見がありそうな予感✨


♦日本に賃金ってやっぱり安いんやな。チップもらえる文化が羨ましいわ。

賃金が上がることで消費が増える。それによっていろんなものを買っては捨ててというのを繰り返して、環境に負荷がかかるのではないか?と最初は思ったんだけど、よく考えてみるとお金があるとそれだけ質にこだわった物を買うことができ、良いものを長く使うようになり、結果的に環境に良くなっていくんじゃないか?

実のところはどうなのかは全くわからん。大体こういうのに取り上げられるのって外れ値が多いし。。


♦群れの最大許容人数が150人と言われている中で、やっぱり多くの人と関わるのは疲れるな。いや、今は多くの人と関わらない方が逆にリスクになってしまうのかもしれない。自分たちの群れの中だけで完結するような社会では無く、群れ同士での交流があってこその成長だから。

それに置いていかれると、後々しんどくなってくる。けど、そのような状況に置かれてること自体がしんどい。深入りしすぎてどっちも後に引けずに依存関係になりがち。


「やらない善よりやる偽善」の発祥がまさか、こんなところにあったなんて。。基本文字ベースのやり取りだけでここまで企画設立から実行まで移せるのはマジですごい。


♦ジョジョ、岸辺露伴は動かない視聴。

やはり、ジョジョ特有の色使い、髪型、ファッションは見ていて鮮やかで奇妙な感覚を抱く。そんなぐちゃぐちゃな世界なんだけど、綺麗に風景が描写されているものよりも、現実味を感じる。空の色とか絶対に違う、赤・紫・黄色など、なのに。不思議なんよね🤔🤔


♦冷凍凝固治療を足裏にもしたのだが、手の指の3倍くらい厄介なんだが笑。いや、ほんと笑い事じゃないくらい。親指の付け根位だから、ちょうど接地面なんよ。普通にしてても痛いから歩くときにかばいながら歩くんだけど、そうすると今度は他のところが痛んでくるんよ。結果、右足全体が痛くなってくるという負のループに陥っている状況。

耐えるしかないのか。。痛みのせいでいつもより頭が鈍くなっている気がする。。


♦これはマジで悪質すぎる。ネットリテラシーとか警戒心がいくらあったとしても全てを判断できるわけじゃないし。


♦人間が今の状態にあまんぜず少しでも良い生活をしたい、と思う限り格差は無くならないだろうな。


良い生活をしたいと思って頑張る
→自分の努力を絶対視・正当化
→頑張れば良い生活できるという理想をみんなに広める
→自分の利益のみを求めて頑張る人が増える
→利己主義の完成


一定数このような人がいる以上、全員がチキンレースを戦わないといけなくなるからな。社会全体が成長していたり、頑張った分だけ見返りが貰えるならまだしも、一部の人が何もせずとも利益を上げるようになったらそりゃ格差はできる。労働者と資本家に別れる以上は・・

年収1000万円超えた人は映画館に強制的に来させて『タイタニック』見せたら、「うわ😔 自分だけ富を独占するのもちょっと考えようやな。。」と思うかもしれんから、やってみると面白いかもな🤣


♦性の持つ力は限りが無く、一度許してしまうと瞬く間に増幅し権力が民衆を統治することが困難になってしまうからだと思う。また、性は争いの火種になる可能性を持っていることも取り締まられる理由として挙げられる。性はその単純さ・強力さゆえ、文明化された生活様式をいとも簡単に壊してしまう。親しいものとの人間関係が最も壊れるものとして理解しやすく、もっと広い視点で見てみると国家間での性に対する認識の違いによる衝突や一方的な攻撃など性は様々な問題を引き起こすものを内在している。それを取り締まらずに野放しにしておくと、民衆の関心は性に引き寄せられてしまい社会が機能しなくなってしまう。私たちの社会は信頼を前提として成り立っている側面があるが、その信頼が崩れてしまうからだ。ただ、信頼が崩れ社会が機能しなくなるのは悪いことであるとは一概に言い切れない。性を規制している現在の社会が良い社会とはキッパリ言うことができないからだ。性を取り締まることは事実上、不可能でありいかにして性を開放する場所を作っていくかが論争の的になると考える。

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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~


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今週の読書

♦進撃の巨人

ついに、ついに読み終わった。

最初に読んだのは小学生くらいの時かな?そこから、かれこれ約10年。おびただしい数の伏線や、ストーリーの世界観が二転三転としていく度に理解が追い付かなくなっていった。結局、戦いは続いているという描写で終わるんだが、エレン含めた訓練兵の同期達・リヴァイ達が後悔を残さずに使命を全うできたことが全てなんじゃないかな。

♦映画分析入門

第一部「技巧と意味」という章については、映画の中の構図がどのようなメッセージ性を持って撮られているのかを少々荒い写真を用いながら説明してくれており、面白い。誰がどのように配置されているか・背景に何が映っているか・どのようなカメラワークなのかによって人物間の関係性や映画全体に込められたメッセージを表現している。ここの章だけでも読む価値はあると思う。

特に2000年以前の映画を見る際には役に立つはず。これらの予備知識を受け取ったうえで映画を見るとより一層楽しめるはず。ただ、映画は1回目を見る時はその内容にのみ注目して、2回目の時にこのような事細かな映画分析を行うのがいいんじゃないかな。


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今週の映画

♦ロミオとジュリエット

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清い純愛が美しい俳優や表現と共にスクリーン上に投影された本作。美しかった。。それだけでなく、なぜ「愛」はわずかな期間しか享受できなかったのか。を考えさせられた。

かの有名なロミオとジュリエット。本作を観るまでストーリーを知らず、どんな作品なんだろうと非常に興味が湧いていた。また、映画の講義で扱われるということもあって、急いでみなければ!とその講義の直前になんとか見終わることに成功。いやぁー嫌いな早起きをしなければいけなかったんだけど、それだけの価値が十二分にありましたね。。

昔、携帯電話が無かったからこそ成り立つ愛のストーリー。偶然性を兼ね備え、その時・その一瞬が今よりも大切だからこそ、実際に会えた時に過ごす時間の濃さは現代とは比べ物にならないほど熱いものに。

ロミオとジュリエットが最初に出会うシーン。ロミオが水に顔を突っ込んでドラッグの酔いを醒ましたのち、鏡で顔を確認。鏡に映りこむ水槽の存在に気づく。水槽の中を泳ぐ魚たちを目で追っていくと、水槽の向こう側にジュリエットが。水槽を挟んで両者は互いの存在を確かめ合いながら、まさしく一目惚れをする。あの、ロマンチックさは奇跡でしょ。

わずか5日間の間に起こった出来事だけど、体感は1年くらい。それだけ今の世の中はスローな恋愛が主流なのかもしれない。というより、あそこまで運命的な出会い方で惹かれるものを持った相手と出会うことが天文学的な確率だろう。夢を見させてもらった。ディカプリオはカッコよすぎる。言葉の1つ1つが詩的で素晴らしい。本当に、映画の中の世界では通信機器など普及してなくて、、あの世界線も良いなぁ。今よりも正直な関係性を築けそう。

ロミオとジュリエットがどちらも名家だからこそ成り立つ愛。だとは思った。ある程度、暮らしに余裕があるからこそ叶えられた愛。そもそも、恋愛って余裕が無いとできないのかもね。

ジュリエットのおばさんが優しすぎる。神父が紳士すぎる。

ジュリエットはまだ13歳。自分の13歳を振り返ってみると雲泥の差がある🤣 13歳で結婚のこととか考えられないもん。あそこまで夢中になれる恋愛になんて出会わなかったし。ジュリエットさん凄い。考えも大人びてるし。


「若者は目で恋をしている」というロレンス神父の言葉。

ジュリエットの墓所に行ったときに原作だと本当の婚約者になるはずだったパリスとの戦いがあるっぽいけど、映画ではカットされてた。だから、あのシーンは両家の戦いなどは脇に置いて完全に2人だけの世界が展開されてた。

ロミオは恋に恋してる。恋をするということに対して恋をしている。

“Do not swear by the moon, for she changes constantly. then your love would also change.”
日ごとに形を変える月に愛を誓わないで。貴方の愛も変わってしまう


死ぬことによって完成される愛。これは君の膵臓を食べたいに通ずるところがあるかもしれない。

♦スター・トレック

自らを犠牲に、800人の乗員の命を救った伝説のキャプテンを父に持つ若者ジェームズ・T・カーク。それまでの生き方から一転して、偉大な父親の道をたどることを決意した彼は、一士官候補生としてUSSエンタープライズ号に乗船する。

ワームホールに捕まった敵とスポック(未来の)が現在にタイムスリップ?してきて、、

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このポスターを見る限り明らかに真ん中にいる人物が悪役でしょ、と思ってたんだけどめちゃくちゃ正義のヒーロー側でびっくりした。

スターウォーズはおとぎ話で、スタートレックはSF。なるほど。ん?おとぎ話とSFの違いってなんやろ。個人的には、おとぎ話はどこまでいっても空想の世界に留まる。子供に読み聞かせてあげられるようなわかりやすさを含む。SFはどこかしら現実味を携えており、対象は科学技術がめっちゃ進歩したもの。的な?


核エネルギーを動力として動く宇宙船。そして、僕がイメージする宇宙空間というのは重力が無いため宙に浮いた状態。しかし、本作では宇宙船内にあたかも重力が存在するかのようにみんなが動いている。これは人口重力の技術が進歩したその先なのか?上も下も、左も右も無い宇宙空間で歩くことを可能にするということは、宇宙船のコアとなるところに何かしら引力を生み出すものがあるのか?


Live long and prosper 
長寿と繁栄を
🖖

というヴァルカン式あいさつがかなり印象的だった。まさか、絵文字にまでなってるなんて。。

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ヴァルカン人は理性的なのか?🤣


Wikipediaによると人類とのファイ―ストコンタクトは2063年らしいが、下記の様な宇宙に関する動画を見ていると、既に宇宙人とコンタクトを取っている人類がいてもおかしくないと思ってしまう。

なんでも、日本人は宇宙人の中でも罪人の部類に入る人たちがもととなる種らしい。そして、既に罪人じゃない方の宇宙人の方たちも日本に幾度となく来訪しているらしい。気づかないうちに自分の周りをめっちゃ高速移動してるかもしれんな、これ。


ワームホールから現在に戻ってくる、つまり未来から過去に戻ってきているんだが、、現在から未来に行くことは相対性理論的に可能だと思う。だが、現在から過去に行くことはできるのか?理論的には無理っぽくね?

速く動くほど自分の経過時間は短くなり、周囲の経過時間は長くなる。


♦スター・トレック イントゥ・ダークネス

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面白い!!SFはこうでなくちゃ!

途中まで、まさかマーベルとのコラボ!?Dr.ストレンジ出てくるんか!とビックリしてた。それほど、Benedict Timothy Carlton Cumberbatchに対してDr.ストレンジ役のイメージが植えついている😅 

実際は、300年前に遺伝子操作を受けて誕生した改造人間のカーン。頭脳や身体能力は人間を凌駕するものを持ち、無酸素状態でも生存できるという驚異的な生命力。その相手に後半の戦闘シーンでよく互角に渡り合えたなとツッコミを入れたくなるが、主人公補正であろうと受け取っておく。遺伝子操作をされた超人人間の無機質さ、冷たさを凄く上手に演じられていて、感動しました。

カーンとカークがガラス越しに話をするシーンがあったんだけど、ふと「羊たちの沈黙」でのレクターとクラリスの牢屋の檻を挟んだ会話シーンを思い出した。本来尋問をされている立場のカーンやレクターが、カメラワークを通じてカークとクラリスに尋問をする側の立場へと移行している。檻の中に閉じ込められているにもかかわらず、支配している側にいるのではないか?と感じさせる表現。おぉー!と思った。


冬眠マシーンが面白かった。脳が腐らないような細工がしてあり、マシーン内は冷凍庫みたいに凍っている感じ。

宇宙は最後のフロンティア。

本当に宇宙が最後なのかすら怪しく感じている、最近。宇宙もめちゃくちゃ大きなサラダボウルに入っているような感覚で、他のサラダボウルの中にまた別の宇宙があって、、みたいな訳が分からない無限構造になってるかもしれん。

ルールを破れぬものが、敵を破れるか?


♦スター・トレック BEYOND

5年におよぶ宇宙探査へと旅立ったエンタープライズ号。それから3年あまりが経ち、ジェームズ・T・カークの中には艦長という役目に対する迷いが生じていた。一方、副艦長のスポックもまた別の理由から迷いを抱える。そんな中、宇宙基地ヨークタウンに寄航したエンタープライズ号一行は、救援要請を受けて動く。しかし、途中で謎の異星人からの攻撃を受け、船員たちは離れ離れになってしまう。

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前回の「イントゥ・ダークネス」では、敵は惑星連邦が自らの利益追求のために作り出したいわば古代の生物兵器。そして、本作の惑星連邦の敵は惑星連邦を発足するために犠牲になっていった勇敢な戦士。彼ら彼女らは長い間、今は同盟関係にある相手と戦っていた。が、連邦ができた今、なぜ私たちは闘っていたのか?戦うことでこそ、強くなれるのでないか?と疑問を抱くようになっていく。そうした中で、現在の平和に敵対心を抱き、これまた生物兵器を使って崩壊させようとするのである。。

まずストーリーに関係ないけれど最初のシーン、フィボナン共和国の代理人として停戦調停にカークが行くシーン。一見、相手の宇宙人たちが大きく見えるけどカメラワークの錯覚。あのシーンはおぉーと唸りました。

そして、「スター・トレック」の映画は映像が綺麗すぎる!!!なおかつ緻密。細部まで加工されていて、凄いなぁ。この映像美だけでも見る価値はあると思う。

シリーズ3作目となると、やはりストーリー展開の面白さや辻褄の合い具合は落ちてくると感じた。これはもう、続編シリーズのある意味ジンクス的なことなので仕方ないかもしれない。キャラクターにも慣れ始めるころだしね。


宇宙翻訳機・ホログラムによる錯覚の演出・人口重力など、色々な未来技術が最新の演出で表現されていたのは、未来への希望を感じさせてくれて純粋に凄い!と思った!


チョコレート・ドーナツ

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1979年、カリフォルニア州ウエスト・ハリウッドが舞台となる本作。同性愛者でゲイバーでパフォーマとして働くルディ。ドラッグクイーンを彷彿させるような華やかなシーンで登場する。そして、ゲイバーにやってくるポール。彼も同性に対して好意を抱くがそれを包み隠しながら生活しており、弁護士として生計を立てている。結婚もし、順風満帆な生活を送っていたものの、やはり自分を偽って生きることはできず離婚をし、その虚しさをなだめるかのようにゲイバーへと赴き、ルディに出会う。

初対面で両者ともに一目惚れをし、車の中で一時をきたす。その後、ルディの隣に住むマルコを引き取ることに。マルコにはどうやら父親らしき人物はおらず、ドラッグ中毒の母親と暮らしている。そして、マルコはダウン症を患っている。そんなマルコをルディとポールは真の愛を与えながら養っていくことを決意する。

しかし、世界は彼らの中だけでは完結しない。当然、周囲からの目や偏見が彼らを苦しめていく。ポールの同僚の男性も彼らの関係性を良しとせず、刑務所で捕まっていたマルコの母親を半ば強制的に釈放しマルコの親権を回復させる。

マルコはルディとポールに引き取られた当初は、家に帰りたいと思っていたものの1年間一緒に過ごしていく中で、本当の家族の様な深い関係性が築き上げられていく。偏見を持たないマルコの特別学校の教師やマイノリティ側の人たちは快く接してくれる。が、裁判官・弁護士・職場の人などは断固として拒否する。

最終的に、マルコはドラッグ依存の母親のもとへ強制的に送られる。当然、母親はマルコの面倒をしっかりと見るはずが無く自らの欲を晴らすためにのみ生きる。マルコはそんな環境に嫌気がさし、ルディとポールが待つ家に帰ろうとするも、たどり着けず3日後に飢餓であの世に行ってしまうのであった。



ゲイ・障害・黒人・低所得者と様々な社会的マイノリティをいっぺんに扱った本作。マイノリティ対マジョリティの対立構造を描くのではなく、マイノリティ側はあくまで最低限の幸せをただ求め続ける。しかし、その最低限の幸せを悪しきものとする人たちによって阻まれる。マイノリティは調和を求めるが、マジョリティは断固拒否するのである。

これが公開されたのが2012年。約10年前。当時はやはりこのような差別・偏見が各地で見られたということなんかな。今となってはLGBTQなどという言葉も誕生し、多様性がより認められやすい社会になっているが。

もうすぐ 今日にでも
私は解き放たれる
私の光がやってくるのが見える
西から東へ輝きながら
約束する 信じてほしい
愛する人よ
私たちは必ず解き放たれる

という曲をマルコが無くなったことを知ったと思われる後に唄うルディ。誰を歌った歌詞なんだろう。マルコか?家族3人か?

マルコがルディとポールのところへ行こうと夜の光が虚ろに光る街を歩いていくシーン。その手の中には女性の人形。ルディかポール、どちらかが本当にsex(生物学的に)女性であれば周りにとやかく言われること無く一緒に暮らせたはずなのに

と、同時に傍から見るとルディとポールにダウン症の子供の面倒を任せることは意外と難しいかもしれない。今回、ルディとポールは非常に良い人たちでマルコのことを愛情を持って育んでいこうとしていたけれど、全員が全員層とは限らない。だからこそ、なるべく偏見を捨てて客観的事実に基づいて判断を下すべきという結論に至る。それを放棄した裁判官や弁護士の罪は重い。

なぜ、ルディは赤い服を着ていたのか。やはり、ルディが2人の関係で女性役を担っていたのか?けど、どちらが女性役でどちらが男性役なのか?は明確に提示されず、ハッキリとしない状態であった。


鏡に映りこむルディとポールがたくさん出てくる。そして、最初にルディとポールが出会ったシーン。車中の2人を映すショットは車の窓枠が2人を囲んでいるという構造。セクシャルマイノリティはどこか閉塞感を強いられる状況に置かれ、制約が設けられていることを暗示しているかのようだった。


♦タイタニック

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どこを取っても美しい情景。死があるからこそなのか。結末を知っているからなのか。ロミオとジュリエットに続き、またしても死によって完成される愛。そして映し出される階級格差。危機に瀕した時に問われる人間としての本質。2200人を乗せた海に浮かぶ階級社会・浮かぶ豪邸。

様々な感情が入り乱れる濃厚な約3時間。この事件を後世にまで伝える役割が本作品には存在する。


乗客の数に対して救命ボートの数が明らかに不足していること、救命ボートまでの導線は1等の乗客たちを優先に作られ、1等・2等の女性子供の生存率と3等との生存率との大きな差、、そして階級に属さない炭を燃やして船の動力を支えていた大勢の人たち。

これほどまでに当時はヨーロッパといえども階級の格差が如実に存在していたのか。


約3時間というかなりのボリュームの時間だけど、タイタニック沈没までの2時間40分を観客に体験させるためだったのか。そして随所にみられる階級社会の名残り。船に渡るための桟橋。部屋。服装。デパートのトイレ。階級だけでなく男女の差。

タバコを吸うのにも見られる階級。1等は船内でも喫煙できるが3等は船外の専用スペースでのみ喫煙可能。そして、偶然にもそこでジャックとローズは出会うのであった。ローズが見つめる海はヨーロッパ側。やはり戻りたい・離れたくないという思いが溢れる。一方、ジャックはアメリカ側の海で「I'm a king of the world」と。アメリカに思いを馳せる。


キャメロン監督のタイタニックに込めた思い。ロシアの潜水艇で10時間ほど潜水し沈んでいるタイタニックを目の当たりにする。そこには、本当にタイタニック号があった。良い者も悪い者も一緒くたに乗せて動いていたタイタニック。その看板に偶然潜水艇は止まり、ほんのわずかな感動の後撮影を開始。しかし、神聖なその場所でわいわい騒いでいてはダメだと気づくのであった。。

第1幕:状況説明、30分
プロットポイント1
第2幕:葛藤、30~90分
転換点
プロットポイント2
第3幕:解決、90~120分



船が沈んでいく様を見る人たち。ボートに乗ることができた人たち。ボートに乗ることができず海に浮かぶ人たち。そして、海に向かって垂直に傾く船の竜骨が大きくそびえたつ描写。周りは暗闇。誰が誰かは区別できない。画面中央に位置する船の竜骨。それを取り囲むように左右に配置されたボートと海に浮かぶ人たち。シンメトリー構造が完成されていた。つまり、闇に包まれた海の上では階級など関係なく、すべての人が平等に扱われるのだ。

僕がこの映画で一番感動したのは、ジャックとローズの恋模様ではなく、別れた後に再び集まる演奏団の人たち・この映画で描写されていなかった大勢の人たちの死・設計士の最後であった。中でも描写されていない大勢の人たちには何とも言えない気持ちが込み上げてきた。自由を求めアメリカに出発した3等の人。自らの最後を悟って最後くらい落ち着いて死を迎え入れようとした人たち。

そう言えば、、客室に残って2人の子供にお話をしてあげていた女性の親の姿。あれが最も切なかった。本来なら優先的にボートに乗せてもらえるはずの女性・子供。なのに、なぜ客室に居残ったままだったのか。3等だからか?上に行こうにも行けなかったのか?ということが頭をよぎる。とても切なかった。

そして、ラストシーンでローズの周りに置かれていた写真。そこには、飛行機に乗るローズ・馬にまたがるローズ・逞しく生きてきた証がくっきりと刻まれていた。それらは船の中で周りのしがらみに圧迫されていたローズの姿では無く解放され、ジャックが予言していた真の姿のローズであった。その写真を見たとき、「うわ~これはただの恋愛じゃない。もっと固い言葉では言い表せないような絆が2者間に存在している。そしてそれはジャックの死によって確固たるものとなるのか。。😭」と感動した。ジャックが生存していたシナリオでは実現しえなかったかもしれない感動である。ずっと持ち続けていたダイヤモンドのネックレスの価値もジャックの死と約束があって、なおのこと重要度・意味合いが増す。

ローズは深い眠りについていき幻想?を見る。そこには死んだジャックや船の設計士、その他大勢のタイタニック沈没で犠牲になった人立が並んで拍手をし、ローズを歓迎する。階級など関係なくみんなが一緒に。ローズはジャックとの約束を全うし、人生の幕を閉じたのであろうか?清いエンディング。ローズの、もちろん楽しいことはあっただろうが1から始める人生の苦しさを想像すると、、😢 そんな苦しいときにジャックが心の支えに。。


♦グッドフェローズ

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物心ついた時から大統領になるよりもギャングに憧れを抱いていたヘンリー。タクシー運転手をしながら徐々にギャングたちと仲良くなっていき、ついに自らもギャングとなる。豪勢な生活。妻・子供も手に入れることができたものの、ギャング仲間の殺人の尻拭いをしなければいけなかったり、、「グッドフェローズ」という言葉で結ばれてはいる者のお互いを完全に信用しきっているわけでは無く、いつ自分が殺されるかもしれないという緊張感を常に持ちながら活動を続ける。
遂には自らと妻の欲、そしてお金儲けのためにドラッグ商売にも手を出し、最終的に警察にしょっ引かれ破産寸前に。ギャング仲間はヘンリーが捕まった時に警察に情報を流したのではないかと疑い、殺そうと画策。もう成すすべはないと悟ったヘンリーは自ら証人保護プログラムを活用し、仲間の情報を垂れ込むことで安全な暮らしを手に入れるのであった。。


友情や絆の鎖で無く、恐怖でお互いをしばりつける恐怖政治が基本となる集団体制。驚くほどきらびやかな豪遊を味わいながら、裏では恐怖と緊張がひしめき合っているという、常人だと感覚が狂ってしまい「自分」という個人を軸として行動するのではなく、没個性化してしまい「集団の1部としてのジブン」としてアイデンティティを保ち始める。時に、普通の集団よりも強固な繋がりを見せることはあるものの、統制は全く取れておらずジブンが好き勝手やり始め、崩壊の危機を招きうる。

そして、トラブルが起こったとき、その弱さが一気に露呈する。トラブルにはより強いトラブル・後始末で対処しようとするため、一見すると万事解決しているように思われるものの、一個ドミノが倒れ始めると一気に今まで溜め込んできたものが溢れてしまい、本作のように瓦解する。

ヘンリーとその妻カレンとの関係性が壊れていくのと同時に、ヘンリーとギャング仲間との関係性が壊れていく様。男女の関係性と男同士の関係性。男女の関係性においてはその暴力性で妻を支配しようとするヘンリー。男同士の関係性では弱弱しい姿を晒し、女性的な役割を担う。男性性と女性性が混在しているヘンリー。ギャングと一緒にいる時のヘンリーは本当に女性的な役割を演じているんよな。母親的というか。

最終的にはその女性的な役割が占める割合が大きくなっていき、アメリカという父親のシンボルともいえる母体によって守られるヘンリーとカレン。ギャング集団のリーダーという父親的存在とそれより大きな父親的存在である国。この対比がなされ、結局は国の方が頼りがいがあるでしょ~というのを言いたかったのか

大きな建物と対比されるヘンリーやカレン。組織から見た彼らの存在の小ささ、無力さが表現されているのだろうか? それは集団の一部として生きていくしか道はないことを暗示しているのかもしれない。。


「マトモな稼業はアホ。つまらない仕事でケチな金をもらい、毎日地下鉄で通う奴らはクソくらえ」

という思想を青年期の時に持っていたヘンリー。こりゃ見事に洗脳されている、というかギャングに染まっているなぁと😂 


金で何でも買収できてしまう地元の鳥かごに囲まれたような閉鎖感。

お金は怖いね😱


何でも、映像に音楽を挿入する演出はこの時代斬新だったらしく、この映画が一種の転換点となったらしい??

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ではでは~また来週に😊


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