読書が好きだ。小説やエッセイからいろんな味のする栄養をもらっている。 電子書籍が主流にもなってきているけれど、未だに小説やエッセイは紙で読むことを好んでいる。 ここ数年は多くの本を読むことを目標として、記録アプリにずらっと並ぶ表紙をうっとり眺めたりもしていたけれどそこに並ぶ本を紹介してほしいといわれれば言葉がすっと出てこないことがしばしばある。 これがしたかった読書なのだろうか。と思い、新しい本も読んでいくけれど手に持っている本をボロボロになるまで大切に何度も読んでみたいと
先週のはなし。 年末に声をかけられ、今年はじめてのいちご狩りへ。 はじめて、と書いたけどきっと最初で最後になるだろうな。 今日は雪が降ったりと真冬を感じる気候だったけれど、当日は雲ひとつない快晴。これぞドライブ日和。 それだけで胸が高鳴るから単純な性格のわたし感謝する。 いちご狩りは人生で2回目。 去年も彼女に誘われて初めていった(と思う), 練乳をもってくること!って去年のわたしが言ってたはずなのにすっかり忘れていたことを食べながら気づいた。 開始時間より早めにきてたの
小学生の頃、「エッセイ」という分野があることを知らなかった。 本は、自分が存在する現実とは程遠い場所へと連れて行ってくれるものだと無自覚に思いこんでいた。何がきっかけで「エッセイ」という分野を知ったのは覚えていない。 今、わたしはたくさんの言葉に助けられて生きている。 「エッセイ」は特にメモしたくなる言葉が多い。ひとりの人生や経験を経て生まれる言葉だからか?「ブログ」も然り。でももっとフラットなのだ。お?と思ってちらっと覗くイメージに近い。 中学生のころ、巷ではアメブロが流
初めて出店側でマルシェに参加した。 デザインを考えて、イラストを描いて、販売するというのは初めてのことで右も左もわかっていないままの当日。今年一番記憶に残る、心身ともに充実した一日であっという間の時間だった。 企画者の友人に誘われつつも、出店するには何度も迷った。正直イラストは趣味でしかしたことがなく、学んだこともない。初心者のわたしの作品をてにとってもらうことなんてあるのか?参加してみたい気持ちと、「わたしなんかが」という自意識によるマイナスな感情の中で毎日葛藤。終わりの
10月に入って身の回りのことに変化が起きた。 いや、正確にいうと「起こさせた」という表現の方が正しいと思う。地面に釘でもうちつけているんじゃないかと思うほどの重い腰をようやく上げた。 10月1日、ここ数年伸ばしていた髪の毛を40㎝ほど切った。 物理的にも軽くなったけれど、精神的な爽快感がとても大きい。見た目に大きな変化が生じるのは新鮮で何度経験しても楽しい瞬間だと思う。今回は前職場の先輩がしていたことから知った「ヘアドネーション」をしてもらいにいった。長年ミディアムヘアを貫
朝起きて、今日も起きれたことに安心する。 寝汗がひどいのは毛布にくるまりすぎたからかな。少し汗臭いパジャマに顔をしかめた。ベッドから起きて、カーテンを開ける。雲ひとつない空がこんなにも綺麗なことを、昨年家の中で気づいた。先月に比べると朝日が昇るのが早くなった。毎日同じ時間に起きるとそんな当たり前のことに気づくようになる。 少しぼーっとしてから枕元に置いているノートを開く。B5のノートにひたすら頭に浮かぶ文字を文を感情のまま書く。3ページ分。この前までA5のノートに書いていたか
少しずつ今の生活を愛でるようになってきた。 どうしても否定的・悲観的な思考をもってしまうことがあるけれど、そんな自分も自分で、どうしようもないことに今更ながら気づくようにした。 わたしはわたしと別れることはできないからね、悲しいかな、嬉しいかな。 自分の中の「枠」「ルール」を、心地よくないものは外してみては?という話をきいて、それも身軽になるひとつの方法なのかと知った。身軽という言葉に無条件に惹かれてしまう。だから素直にその話を受け止めて、何がいらない「枠」で「ルール」なの
昨年末から3年日記を書き始めている。 夜寝る前に、ささっと。 10行もないから、眠い中でもすぐに書けるのがちょうど良い。 まだ1年目だけれど、2年目、3年目になるのが今から楽しみだ。 行事ごとの楽しみを数えるのが難しくなってきてしまったなかで こうやって来年も楽しみができるっておもしろい。 文だけの日記を書き始めたのは社会人になってから。 絵日記なるものを大学のころからにもつけ始めた。 その日の服だったり、行ったカフェのショップカード、彼と行った水族館のチケットをマスキング
今年は書こう。よし、今日こそ。と思いながらもう半月が経っていた。 年々時間が過ぎるスピードが早くなっているように思う。 そのうち坂を転げ落ちるスピードで年を取るよ、という噂を実感する。 昨日、4年前社会人になりたての日記を読み返してたら、変わっている考え方と、全く変わらない感情と、当時の匂いと、感覚、記憶がぶわっとよみがえってきた。 あの当時は、このことでこんなに落ち込んでいたのか、こんなこと考えていたのか、と今では美しい記憶に変換していた部分も見つかり、人の記憶はあてにな
はじめに書いておく。 意識を高く持ったことなんてほとんどなかった。競争という言葉も好きじゃなく、聞くとうううっと心臓あたりがぎゅっとつかまれるような感覚になる。そんなわたしは自他共に認める、自分に甘い性格の持ち主です。 でも、なぜかやり始める前にはちょっとでも完璧に。なんて考えてしまう。ちょっとでも完璧に。どんな日本語だ。完璧をめざすならちょっとなんて言葉使わない。でも、ちょっとでも完璧に、って思ってしまう。 ダイエットを決めたものの、間食断ちした5日目にポテチを食べてす
「情報には、ふたつ、あるんです」 電話越しの転職エージェントの人は、そう言った。 「ふたつ、ですか?」 「ひとつは、事実としての情報。これは求人内容でいうと、会社概要だったり業務内容。確実な事実が記載されています。もうひとつの情報は、人の解釈を通した情報です。これに気をつけないといけないです」 人の解釈を通した情報。 事実を客観的に見て、それを見た(経験した)本人の意見・感想をプラスで追加しながら情報として伝えているもの。つまり、誰かの脳内・五感を通ったもの。例えば、転職活
”やりたいこと”について考えに考えこんでいたけれど、 全然思い浮かばなかった。 自己啓発本には9割の確率で書かれていることがあった。 「行動しろ」 訳してしまえば、どの本もその四文字がすべてを指しているんじゃないのかな、なんて嫌味ったらしいことを思ってしまう自分に嫌気がさした。 変わりたい、という思いが強いはずなのに、じゃあ動こう!となると脳は止まってしまう。止まっている期間を社会はなかなか認めてくれない。ずっと動き続けないといけない。脳も身体も。お暇の時間はあったとして
この国の価値観から離れ、違う価値観を見たい。 灰色の街から逃げるように、キューバへ向かった。 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』 お笑い芸人 オードリー 若林さんの紀行文。 若林さんの著書を読むのは3作品目で、これは夏ごろに単行本を読み、今月文庫本を購入し、新しく書き下ろされているところも含め再読した。 若林さんとわたしでは全く似ていない環境で状況なのに、なんでこんなにもおもしろく、「わかる」が多いのか。 人を判断する言葉で埋め尽くされていて、その中でも「協調
10年以上の付き合いになる友達に会った。 彼女と会うのはコロナウイルスの影響もあって久しぶり。数年前から会う頻度が高くなり3か月に一度ぐらいで会っていたのが、今年は先日で2回目。改めて今年は人との関わりが少なくなっていたことに気づかされた。コロナウイルスによって人間関係にも変化が起きたというのを雑誌やネットで何度か目にしたけれど、元々狭く深くの友好関係だったわたしにはあまりそこまでの変化はなかったからあまり共感することはなかった。たまに自分の友好関係の狭さに驚くことがあるから
日常生活の楽しみのひとつに「ラジオ」ができて半年以上たつ。 暗いニュースが続く2020年に見つけた自分を癒す方法のひとつになったラジオ。楽しみにもなるほど聴くようになった経緯としては、今年の初めにジャニーズのSixTONESにはまり、彼らが4月から始めたオールナイトニッポンから。そこからオードリーさん、ハライチさんなど芸人さんが多いかな・・・興味を持ったところからいろいろ聴いている。〇曜日だ、今日はこの人!という風にちょっとした時間の楽しみ。最近ではなんで今まであまり触れてこ
こうしなきゃ。 やりたいことを探して、やりたいことにむかって頑張らなきゃ。 そんな言葉で自分を縛っていた。 ここでほどこう。