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ラジオが運ぶ

日常生活の楽しみのひとつに「ラジオ」ができて半年以上たつ。
暗いニュースが続く2020年に見つけた自分を癒す方法のひとつになったラジオ。楽しみにもなるほど聴くようになった経緯としては、今年の初めにジャニーズのSixTONESにはまり、彼らが4月から始めたオールナイトニッポンから。そこからオードリーさん、ハライチさんなど芸人さんが多いかな・・・興味を持ったところからいろいろ聴いている。〇曜日だ、今日はこの人!という風にちょっとした時間の楽しみ。最近ではなんで今まであまり触れてこなかったんだ・・・と少し後悔したほど。

笑いたいなあ、人の声聴きたいなあ、BGMほしいなあというときに聴いて笑っていることが多い中で、たまにはっとする言葉に出会ったり、考え方を知ったり新しい発見がある。ラジオに触れなかったら知ることのない瞬間。感情だったり思ったことを言語化することが苦手なわたしは、言葉でしか伝えることのできないラジオの中で自分の心情と重なる部分が見えたときによりおもしろさを感じて引き寄せられてしまう。ラジオはメディアの中でも映像で見えない分、その人(パーソナリティーやゲスト)の内面が出やすいように感じる。もちろんすべてオープンなわけではないけど、テレビとかよりも距離の近いメディアな気がするというのが個人的な見解。本のジャンルでいうとエッセイに近いのかな、日記を読んでいるような、その人の日常を「おじゃましまーす」って覗いている感じ。

この前、以前のnoteにも記載していた大好きな高山都さんがパーソナリティーを勤める「コツコツの達人」を聴いた。インスタグラムで彼女自身も発信していたのだけれど11月3日に配信された5回目の回はその中でも特に心に残る内容だった。ラジオは基本的に寝る前だったり、なにか作業をしながらの“ながら”に聴くことが多く、なかなか100%前傾姿勢で真正面から受け止めることはしないのだけれど、そのときは思わず手を止めた。そしてもう一度聴きたくて終わってから再生のボタンをすぐに押した。

5回目のラジオのゲストはBRAHMAN、OAUのTOSHI-LOWさん。
二人の会話の中で、印象的だったものを。


「コツコツの達人たちはみんな泣いてるよ」

たまに、「自分だけなんで・・・」なんて悲劇のヒロインモードに入ってしまうときがある。理不尽なことにぶち当たったり、悔しい思いをしたり、傷ついてしまったとき。なんで自分はこんなにも生きるのが下手なんだろうって考えてしまうときがある。年齢を重ねたらそんな風に考えることも減るのかと思っていたのにそんなことはなかった。このときも自分のダメさにうつむいていたときだった。輝いて見える人たちも、あたりまえだけれど一人の人で、わたしはその一部の部分しか見ていないだけなんだと、気づかされる。

答えなんて何個あってもいい
白か黒かじゃない。グレーもあったらベージュも生成り色もある
その間はアジャストできる
答えを探していたけど、答えなんてなくていいな
自分が楽しくないことは相手が見ても楽しくない

今年に入ってからずっと答えを探し続けていた。答えを探さないと、好きを仕事に、やりがいを求めて、そして金を稼ごう!そんな広告ばかりを目にして、どうするべきなのかをひたすら考えていた。でもそうか。こんなにもたくさんの人がいる世界で、たくさんの考え方があって、その中のわたしという一人の人間なのだから、これ!という正解なんて答えなんてないし、あっても変化していくのだろう。やっとその事実にたどり着けた気がした。

コツコツの漢字の意味→高く突き出ること
でもコツコツは地味なよう
高く突き出るイメージと地味な小さいことを毎日積み重ねることが必要
見えないところでコツコツする
漢字に全部表れている

「好きを仕事に」。そんな言葉を本当によく聞くようになった。そんな社会の中でも高山都さんはそれを体現している人だと思っている。モデル、女優、ブランドとのコラボ、執筆などジャンルの幅を狭めない活躍は見ていてとても輝かしくてワクワクする。それはSNS内のキラキラしているところしかわたしの視界に入らないから。すごいな、心から素直にそう思っている。そんな彼女も泣くことはあるし、立ち止まったり、下を向きたくなることがある。当たり前のことなのに、人のことになるとわたしは鈍感になることがある。知っているのに、わかっているのに、自分の都合に合わせて変えようとする。人間の使える能力である想像力を無駄遣いしていた。それは余裕がないときに特に多い。

一回離れてみてもいい

これは好きを仕事にするためにもがきながらも進んできた高山都さんのような努力と継続をされてきた方たちだと、その好きなことから離れてみるという考え方になる。でもわたしは、「好きを仕事に」という言葉から離れてみたいと思った。もちろん、素敵なことで理想的だと思う。でもそれに雁字搦めになって身動きの取れない状態になっていたな、と我に返った。自分を縄でしばって動けないようにしていたのは、まわりでも社会でもない、わたしだったんだ。

もしかしたら、わたしのこの受け取り方は届けたい側の意見としては「そうじゃないんだよな」かもしれない。それは今のわたしの状況にも状態でも変化することだから仕方ないとして、これはひとつの捉え方。それでもいえることは、わたしはこのラジオに、この二人の会話に救われたんだってこと。何者でもなくて、何者になりたいのかもわからないわたしは、いつも自分自身に入ってくる言葉に救われる。人との会話から、読んでいた本から、何気なく聴いた音楽から、そっと聴くラジオから。
高山都さんのお言葉を借りるなら、これも『ご縁』。

このラジオを聴く前にもうひとつ聴いていたラジオがある。
自分と重なるところがあったから、やけに鮮明に覚えている。
お笑い芸人 パンサーの向井さんがパーソナリティーをしている「むかいの喋り方」。直近の回でサンボマスターさんの「忘れないで 忘れないで」を流したときのこと。向井さんがラジオを聞く理由について話していた。
この曲の歌詞にこんな部分がある。

忘れないで 忘れないで キミがこの世からいなくならないでと
ぼくが祈ってること

おそれないで おそれないでくれ
キミの目の前を暗くするそいつを壊しにきた

この歌詞に対して

「俺がラジオとか聞いている理由って結構大きい部分でこれがあるな
自分の中のもやもやとかテンションが下がるようなことを
ラジオを聞いてたらぶっ壊してくれるような人が現れるんだよな」
(だいたいで書いています)

これを聴いたとき、「あ。すごくわかるな」って思った。

エッセイとかブログやnoteを読んでいるとたまにあるこの感覚。
本は欲しているから読む。でもラジオはちがう。何がくるかなんてわからないから、ふわっと聞いているときに自分の心にノックするような言葉が急に訪れる。ラジオを聴く理由についてあまり考えたことはなかった。好きだから、おもしろいから、ただそれだけ。自分の好奇心に対して、なんでだろうと考えたこともなかったためか、たいていの好きへの追求はそれだけだった(だから就活の好きなことへのなんで?という問いで頭を抱えていたんだよ・・・)。ただただトークがおもしろいとかコーナーのリスナーさんのメールが楽しみとかもある。笑いたいな、だれかの声を聴いていたいな、そんな気分のときだったり、なにかの動きのついでに聴くことが多い。その中で、たまに自分と重なる瞬間があったり、その人の普段見えない部分を見たりする。すっごくくだらないことで声出すほど笑ったり、散歩しながらくすっとしたり、ああ今週もなんもなかったなぁなんて考えたりもするけれど、なんか実はあったんじゃないかって、そういえばこれおもしろかったなとか思い出したりもする。すーっと耳に入って出ていく流れの中で、止まる言葉に出会うことがある。聞き終わったあと、いつの間にか持っていたモヤモヤがなくなっていることがある。そんな効用があるのかもしれないな、なんて考えてみた木曜の夜。

そこから前述の高山都さんのラジオ。
なるほど、これだ。ラジオを聞く理由。

もやもやをぶっ壊してくれた。
ギチギチに縛っていた縄がゆるんだ、そんな夜。

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