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ありすぎる情報と教えてくれる体験

「情報には、ふたつ、あるんです」
電話越しの転職エージェントの人は、そう言った。
「ふたつ、ですか?」
「ひとつは、事実としての情報。これは求人内容でいうと、会社概要だったり業務内容。確実な事実が記載されています。もうひとつの情報は、人の解釈を通した情報です。これに気をつけないといけないです」

人の解釈を通した情報。
事実を客観的に見て、それを見た(経験した)本人の意見・感想をプラスで追加しながら情報として伝えているもの。つまり、誰かの脳内・五感を通ったもの。例えば、転職活動で求人を見ている場合のわたしの脳内で判断するもの。会わずして、「なるほど、こういう内容でこういう社風だろう」という解釈もそのひとつのようだ。ネットのニュースに対してのその人の意見も然り、テレビのコメンテーターの人の意見も然り。口コミサイトとか、SNSのPRとかもそうなるのかな。それは情報であって、自分の脳内や五感を通した事実ではない。選択の判断材料のひとつなだけであってむやみやたらに信じすぎるのは少し危ないみたい。

これって、生活の中で情報の量や質が重要視されている今の社会だと、すべてのことで言えることなんだろうな。情報は常に変化するしアップデートされる。気づいたら通り過ぎていることなんてしょっちゅうある。わたしの持っている情報は全体の何割になるのかな。自分のフィルターに引っかかって初めて情報と対峙する。すでに人の解釈を通ったものもある。

事実と人の解釈を通したもの。
できる限り、事実をちゃんと収集したい。
でも、人の体験した声はやっぱり信じたくなるし、聞きたくなる。
自他共に認める「影響を素直に受けやすいわたし」は、考える前・体験する前に人の意見や感想を聞くと「なるほどな」となってしまうことがある。
食べログは☆が3.5以上しか見ないし、化粧品を選ぶときも@コスメには本当にお世話になっている。選択肢の多い世界だから、そういう判断基準を自分の中で持っておくのは大切かもしれない。
でも気を付けないといけないことは人から聞く噂だったり、スピード重視のネットニュースとか。Twitterにあがる個人の意見とか。たくさんの人の意見を簡単に吸収できる社会。調べる意識がなくてもどんどん入ってくる。
だからこそ、自分だけの判断ってなかなか難しいけれど、振り回されすぎないようにしたいな。

いつの間にか人の意見を自分の意見のように所有してしまう。
無意識のうちに。だからこそ、経験することが必要なのかも。
石田ゆり子さんがアナザースカイで言っていた言葉が印象に残っている。

「お金って紙だから。紙がいっぱい残ってるか、経験があるか。
経験に換えていきたい」

自分の目で見て、
自分の耳で聞いて、
自分の鼻で嗅いで、
自分の舌で味わって、
自分の手で触れる。

今年は行動したくても、なかなか動くことが難しい年だった。
まだ終わっていないのに、もう思い出したくない一年になった。
前向きな言葉を使わないと!と思ってしまうからどうにか明るくするけれど
やっぱり悲しい一年だったのは間違いないから、そこを無理やり変えようとは思わない。

それでも体験していこう!という気持ちはきらしたくないな、と思った。
むしろ、体験していきたい!という気持ちが高まった。

いつか石田ゆり子さんのおっしゃっていた言葉を、さらりと言えるひとになりたいなあ。かっこよいもん。あらゆることを経験してきた人の声は、説得力があるんだよな。聞いている方にもすんなりと入ってくる。

来年はもっと人と関われる、行動しやすい年になりますように、心から祈ります。

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