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どこかで間違えた、は最初から間違えらしい うつ日記

とある格言(?)で見かけました。

ならば鬱で狂った私が救いのように、どこで人生が間違ったのか何が失敗だったのか?と泣きながら思っていた事は、何もどこも悪くなく私が生まれた事が間違いだという解に辿りつきますね。


どこかのだれかの格言では、ですよ。

この格言(?)の読み取り間違いをしていないならば、生まれてどこかで間違うか失敗かをして正常なルートを外れた人は皆、うまれた事が失敗で間違いという原初が理由というか、原罪というかそんな感じなのだろうか。


それってゼロヒャク理論で考えてしまう私からすれば正しいというか、合っているなぁと感じる訳です。


でもなら今現在まさに苦しんで藻掻いて、どうにか正常に戻ろうとしている私は何なのだ!と泣き叫びたくなる。

開き直るとそんなの産んだ親が間違ったんやんけ!で終わります。
(笑)でも終われます、普段の状態ならば。

それがそんなたった一言で。大した意味も価値も証拠も何もない一言で脳の中が思考で無限にぐるぐるしパンクし、果てには悲しみに虚しさになってしまうんです。
私個人的にですが、それが鬱(の極一部)なのかなと。

私の鬱は違うよ!という方はすみません。

本当にそんな何気ない文字を見て落ち込んで鬱ループに入るので最近はテレビや音楽、漫画やSNS全てを避けています。
今回も日々の虚無が耐えきれなくて開いたネットで見た一文で、すぐにスマホを放り投げました。

鬱と現代ってかなり相性悪いよね……、ただの自業自得な今回ですが、鬱とはそれくらい脳が狂ってオーバーヒートして暴れているんだな、、くらいに理解していただけたら嬉しいです。

鬱も結局は一時期いわれていた"世の中個性"の結果、履き違えておかしいタイプが大量に生まれた、あんなものだとどうか生暖かく見てやってください。

本当に駄文だ、、なんだこれ。
まぁ、鬱は心の内を吐き出すのも良い事だと思うので。そういう事にしましょう。

では、さようなら。

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