山田

(1989ー)健康・愉快・粗忽

山田

(1989ー)健康・愉快・粗忽

最近の記事

最近読んだ5冊

『センスの哲学』 千葉雅也「いかに鑑賞するか」が「いかに制作するか」になり、それがさらに「いかに生きるか」へとダイレクトに繋がる。整理や説明がうまいのもあるが、むしろアドバイスや教示が水際立ってうまい。跳ね回る様でいて、インストラクター的に寄り添いもする文体の妙。内容的によく準備され練り上げられているにもかかわらず、どこか即興演奏の手触りを残しているのが印象的だ(これは彼の小説にも言えること)。『夏目漱石論』といった蓮實の批評のたくらみと歴史的意義を簡潔に解説しつつリスペクト

    • 最近読んだ5冊

      『日本の歴史をよみなおす (全)』 網野善彦ごく少数の貴族や武士が圧倒的大多数の「農民」を支配していた、というような通俗的な日本社会像に対するオルタナティブな社会像の提示。人々はさまざまな生業に従事し、都市や港でそれぞれに交易していたし、権力の中枢を離れたところにまで金融が浸透しており、社会は複雑で活気に満ちていた、そう網野善彦は主張する。歴史の記述からこぼれ落ちてしまいがちなアウトローの存在をすくいとって現代人の眼前に在らしめること、そうした一連の網野の仕事は今もなお新しい

      • 最近読んだ5冊

        『「民都」大阪対「帝都」東京』 原武史疾駆する列車のスピードでぐいぐい読まされる、関西私鉄の近代史。中心となるのは小林一三の阪急だ。関西私鉄の特色は、官製の鉄道からは独立した形でターミナルと路線を展開し、自ら沿線文化を拓いてきた点にあった。しかしながら昭和の天皇即位を契機に「私鉄王国」の栄華にも陰りが見え始める。全体を貫く民と官という対立軸もよいが、近代的に開発されるキタと古代の都の面影をとどめるミナミとの対立軸も興味深い。ミナミから路線が伊勢神宮、熱田神宮へと接続・延長する

        • 2023年7月の読書

          本を読んでばかりいたように感じ、またぜんぜん読んでいなかったようにも感じる、ちぐはぐな1ヶ月だった。何かに忙殺されていたのか、熱に浮かされていたのか。ふわふわとしていて、最終的には舌先に砂糖の味とざらざらした感覚だけが残る、綿菓子のような7月。その読書記録だ。 J・M・クッツェー『マイケル・K』マイケル・Kは礼を言わない。たとえ親切な男が「人間はお互い助け合うべきだ」という考えからKを一晩泊めてくれても。それは助け合いという営みの中にKの居場所がないからだ。社会から隔絶し、

        最近読んだ5冊

          2023年6月の読者

          実家に帰ったときにイヤホンを忘れてきたので、今月はほとんど音楽を聴かなかった。でも、通りすがりの風景がふと音楽的に思えたりする季節ではあるので、イヤホンが無くともそれほど気にならない。特に夜にあっては。…などと、意味ありげな言明でお茶を濁したくなる程度には草臥れている。そんな6月の読書記録。 泉鏡花『歌行燈・高野聖』「高野聖」は怪奇・耽美の作家、泉鏡花の面目躍如といった感じで大いに楽しめた。他の収録作品はおどろおどろしさよりも、とにかく抒情に傾斜したものが多かった。「女客」

          2023年6月の読者

          2023年5月の読書

          暖かくなってきたので、だんだん調子が出てきた気がする。仕事に行ってもぼやぼやして、家族のことや文化のことばかり考えている。要するに仕事に手がつかないというわけだ。でもそれがいい。働いているフリをしながらも、のんべんだらりと生活と人生について考えている。これはよい傾向で、調子が出てきた証拠だ。 そういえば、この前はじめて渉成園にいってきた。敷地内からビルとかマンションがもろに見えていて、それがよかった。なんか京都っぽくないのが、とてもよかった。 ハイムの「don’t wan

          2023年5月の読書

          2023年4月の読書

          4月も忙しくて、速かった。1週間が経ったと思えば半月が経っていて、くしゃみを何度かしているうちに、さらにもう1週間が経っていた。新しくかわる組織や人間関係に急き立てられて、何かを始めなくちゃと慌てふためきながら、一方で毎日風呂に入って寝ることも不可欠であるために、引き裂かれて結局なにもできない。そのまま突入してしまった5月を前にして、とりあえず肩をすくめて驚いたり嘆いてみせている。そこまでが一呼吸。その驚嘆の身振りがすこし大袈裟だったとしても、誰もおれを責めたりしないだろう。

          2023年4月の読書

          2023年3月の読書

          3月はいろいろあった。でもまあ、WBCに尽きる。ね。すごかったよね、WBC。とくに準決勝は今まで見た野球の試合のなかでも、とびきり見事な試合だった。 年度末ということもあり、仕事でも私生活でもいろいろあって、慌ただしかったが、その「いろいろ」の中身はよく思い出せないし、思い出せたとしてもここには詳述できない。まあそんなものだ。そんなものだろ、人生ってのは。とにかく、いまはまだそれについて書くべき時ではない。よほどひどい悲惨を味わわない限り、生活の核心について書くことはないと

          2023年3月の読書

          2023年2月の読書

          2月のことはあんまり覚えていない。はやばやと過ぎていった。あるときふと、ルソーを読もうと思って、いろいろ関連書を買い込んだけど、結局ほとんど手を付けられなかった。唯一読めたのは『孤独な散歩者の夢想』が収録された『ルソー・コレクション 孤独』だけだったが、これは本当に読んでよかった。 そういえば「書物復権 2023」の候補のなかに、『自然と社会』という本があって、どうやらそれはルソーのいくつかの著作からそのエッセンスを選り抜いて一冊にまとめた本らしい。もし、めでたく復刊したと

          2023年2月の読書

          2023年1月の読書

          最近は忙しくてなかなか長い文章が書けない。なので、本を読み終わるたびに短文を残すようにしている。単純にストックしていくだけでは、どんどん古いデータが新しいデータの下に埋もれてしまって、結果的に各々へのアクセスがどんどん悪くなる。それなら、ある程度のまとまりで個包装にして保存しておいた方がいいんじゃないかと思った。そうしておくと何かと便利だし、そういった記録の類は写真と一緒で、未来の自分への贈り物にもなるだろう。 そういうわけで、これからはひと月ごとの読書記録を残すことに決め

          2023年1月の読書

          アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』

          単純化の弊害 戦争、虐殺、テロリズム。こうした歴史における負の遺産は、アイデンティティをめぐる不和によって築き上げられてきた。信じがたい暴力というのは、多くの場合、アイデンティティの極端な単純化とともに進行するものである。  ホロコーストにしろルワンダ内戦にしろ、そこで起きていたのは自他のアイデンティティを単純化し、敵・味方という判然とした境界線の両側に人々を配置するということであった。それぞれの人間は、たとえば宗教や文明に基づくただ一つのアイデンティティを割り当てられるこ

          アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』

          浅慮!

          バルザックは、彼の『人間喜劇』プロジェクトを支える「人物再登場」の仕組みを考えついたとき、思わず妹に「喜べ、おれは天才になったぞ」と宣言したという。一方、マヤコフスキーは「ズボンをはいた雲」というフレーズを思いついたとき、(それにただならぬ手応えを感じたので、)詩集を出すまでは決してそれを誰にも教えずにいようと決めた。 しかしマヤコフスキーは、あるとき不用意にもひとりの女性の前でそれを口に出してしまう。そのせいでマヤコフスキーは、なんとかしてそのフレーズを彼女の頭からかき消

          時本真吾『あいまいな会話はなぜ成立するのか』

           私たちは日頃より何らかの言語を使って他者とコミュニケーションを行なっている。しかしながらそうしたコミュニケーションは、直接的というよりむしろ間接的であいまいな表現に埋め尽くされている。たとえば、他人から充電器を借りようとするときに、直接的な「充電器貸して」ではなく、「充電器持ってない?」といった回りくどい聞き方をすることがある。こうした迂回表現はいったい何のためになされるのか? そこに理由はあるのか? 本書『あいまいな会話はなぜ成立するのか』は、哲学、言語学、心理学、脳科

          時本真吾『あいまいな会話はなぜ成立するのか』

          齋藤純一、田中将人『ジョン・ロールズ』

          ロールズの前半生 いまからちょうど50年前に刊行され、政治哲学に大きな転換をもたらした『正義論』。その著者であるジョン・ロールズは、どのような人物だったのか。中公新書『ジョン・ロールズ』の第一章にあたる「信仰・戦争・学問」では、彼が『正義論』を書きあげるまでの来歴が簡単にまとめられている。キャリアにおける選択肢のひとつに聖職者があったことや、従軍中のさまざまなエピソードがとくに印象ぶかい。その中のひとつを紹介しよう。  この経験については、本文ではさりげなく触れられている程

          齋藤純一、田中将人『ジョン・ロールズ』

          井波律子『中国侠客列伝』

          侠の精神について リチャード・ローティは『偶然性・アイロニー・連帯』のなかでジュディス・シュクラーによる「リベラル」の定義を紹介している。その定義は、「リベラルとは残酷さこそ最悪のおこないであると考える人びとのことを指す」というものだ。つまり残酷な目に遭っている人びとがいるならば、できるだけそれを取り除こうと努めること、それこそがリベラリズムの要諦というわけである。  いきなり横道から入ってしまったが、本書『中国侠客列伝』で主題となる「侠」の精神にも、それと似たニュアンスが

          井波律子『中国侠客列伝』

          黒川創『鶴見俊輔伝』

           分厚い本だった。鶴見俊輔の伝記。読み終わってみれば意外にも得たものは多くない。概ね面白く読んだのだけれども。  歳のせいか、近頃では自伝や伝記というものに惹かれるようにもなってきた。他人の生き方というものが少し気になるお年頃なのだ。でもやはりその人の作品それ自体に触れる方が性に合ってる。しょうもない言い方になってしまうが、やはりそちらの方がずっと、その作家じしんと直に向き合っている気持ちになるからだ。  とはいえまあ、伝記にも良いところはある。作家の人生を総体的に捉える

          黒川創『鶴見俊輔伝』