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読書:渡辺浩、テイラー、三木那由他、サルトル、大黒康正

ひじょうに忙しく、なにもできていない。通勤電車で本を読むのが唯一の文化的活動。気が滅入る。

渡辺浩『日本政治思想史』

オモシレー。思想の単なる紹介に終始せず、その社会的条件や制約まで含めて多角的に語られており、浮かび上がる江戸の思想史のモザイク状の輝きに思わずくらくらする。タイムスリップ体験。さりげない文章の端々から見え隠れする、すさまじい学識。さりとて一つ一つの章の記述自体は重厚長大というわけではなく、むしろ軽やかでコラム的とも言えそうな文章で構成されている。(平易に書かれている。が、時として縦横無尽に引用が埋め込まれるその文章は、お世辞にも読みやすい代物ではない。僕のごとき浅学非才はやや苦労を強いられた。)

チャールズ・テイラー『今日の宗教の諸相』

ページ数が少ないので、説明が駆け足すぎてよくわからんところもあったが、ジェイムズの『宗教的経験の諸相』のどこに現代的意義があるのかはある程度わかった。ざっくり言えば個人の宗教的経験に重きを置くジェイムズ本は、宗教的共同体や正統なるものがみるみる力を失っていく世においてこそアクチュアルに響く、ということだ。しかしながらテイラーは、そうしたジェイムズの現代性への着目によって見えなくなるものを指摘する。「旧/新/ポスト-デュルケーム的」という時代区分が完全なる移行を伴うパラダイムではないことを論じる第三章がいちばん面白い。

三木那由他『言葉の展望台』

「心にない言葉」がいちばん面白かった。言語コミュニケーションを哲学するという共通点から、柏端達也の『コミュニケーションの哲学入門』を思い出したりしたが、柏端本より三木本の方が、文体的にも内容的にも親しみやすく、つるんと読める。短い章ごとにエッセイとして完結しているし、漫画やゲームとかが題材が題材になっているせいもあるだろう。

サルトル『実存主義とは何か』

自由を高らかに歌い上げる。ニヒルで自堕落な哲学としてではなく、気力に満ち満ちた自己創造のための哲学として、サルトルは実存主義を擁護する。何も選ばずに済ますことはできない。我々は選ぶのだ。そして何かを選ぶことは主体性と責任という、ある種の絶望的な重荷を背負わされることでもある。それが刑罰じみているとしても、だからこそ人間はこの上のなく自由でいられる。サルトルは早すぎたロックンローラーである。見栄の切り方はどことなく岡本太郎とかぶる部分がある。だからこの本はいつまでも年若い読者を惹きつけると思う。

大黒康正『100分de名著 魔の山』

『魔の山』の内容についておおまかな理解を得られる。また、忘れていたプロットを思い出させてくれる本でもある。とつぜんカストルプが生理学や解剖学の本を読み始めて、その知識のお披露目会がはじまる部分など、忘れていた。思い出して、苦笑した。しかし、やはり、『魔の山』のなかの時間の歪み方とか、セテムブリーニによる「エンジニア」「人生の厄介息子」カストルプへの教育の苛烈さとかについては、原著を読んでみないことには分からないだろう。もちろんその案内役としては充分すぎる本だとは思うが。

金には困ってません。