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読書:井波律子、マッカラーズ、藤崎衛、鹿島茂、小倉紀蔵

井波律子『裏切り者の中国史』

無学なので知らない人物も多かったし、伍子胥、王莽、司馬懿、安禄山など、ごく浅くしか知らなかった人物の印象的なエピソードを仕入れることができた。(たとえば?と問われると答えに窮するけどね。)生きた時代の異なる裏切り者たちをポンポンと紹介するだけじゃなくて、その人物が登場するまでの歴史の流れとか王朝の興亡とかを軽く書いてあるのである程度、通史的な勉強にもなった。元代末期、知識人が食いっぱぐれるようになったので、俗文学に人材が流入して、それが西遊記や水滸伝や三国志演義が生まれる機縁になった、という話は面白い。

藤崎衛『ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか:カノッサの屈辱』

意外と読むのに労力がいる本だった。馴染みのない人名や出来事が増えると、歴史の本はとたんに読みにくくなる。とはいえその分、勉強にもなるのだが——。ローマ司教が押しも押されぬ教皇となり、その権威を固めていく過程がわかりやすく記述されている。教皇の権威が象徴的な形で示された事件の背景を知ることで、ヨーロッパ中世におけるキリスト教の権威の源泉や変遷がわかる。カノッサの屈辱がメインのトピックだったが、それ以外にも、十字軍と相続の話とか教皇と教皇庁が法律的な仕事を担うようになり実務能力が必要になる話とかが興味深かった。

鹿島茂『『パサージュ論』熟読玩味』

やっぱりベンヤミンは難しくてよくわからない。好きだけど。解説者である鹿島茂も、わからんところはわからん、と率直に言ってくれるので、すこし安心する。近代と資本主義と集団の夢、ボードレールと娼婦、テクノロジーとアルカイックなもの、など心惹かれる論点は目白押しなのだが、『パサージュ論』はいわば論点のコレクション、カタログにあたる書物なので、導き手がいなければ原典には歯が立ちそうにない。この本はよい導入になると思うが、それでも『パサージュ論』を実際に読んでやろうという気は起きず、いまだ買い揃えるには至ってない。

カーソン・マッカラーズ『悲しき酒場の唄』

「悲しき酒場の唄」は読みごたえのある中編だ。100ページ程度の小説の中で関係性やアイデンティティの変容が描かれている。双方の愛が等分に釣り合うことがかなわない世界で、その不均衡によって人は落ち着きをなくし、ドラマがうみだされていく。ひとびとがある構図のもとに配置されて、その中を動いていくのに、その動き方がすこしも図式的でなくむしろ荒々しいところにマッカラーズの真骨頂があるのではないか。フォークナーやオコナーのように暴力描写が際立つわけではないのに、なんか荒々しくてドキドキする。

小倉紀蔵『京都思想逍遥』

思ってたより変な本だった。散歩しているときの、いろんな考えやこころが一挙に去来する、あの感じ。逍遥というの語をタイトルに掲げたこの本は、そうした精神の迸りをなんとかナマのまま捉えるということを試みているのかもしれない。そうした試み自体は歓迎したいものの、なんかこの本は肌に合わない。スポーティーじゃないからだろうか。ちくま新書はたまにこういうちょっと変な本を出す。アプローチの仕方はちがうんだけど、おなじくちくま新書の一冊だった、平井玄の新宿本とどことなく似ている。

金には困ってません。