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読書:荒川洋治、青山南、苅部直、平出隆、川端香男里

荒川洋治『文庫の読書』

現代詩作家、荒川洋治による文庫本書評集。とくに海外文学の書評が勉強になる。印象的なシーンの切り取りと、的確なプロフィール紹介。プロの仕事だ。日本文学の方は、作者や作品への距離の取り方がより近くて、それもまたいい。荒川洋治はいつだって、気を衒った褒め方は絶対にしない。そのことにまず感服する。ただ、こちとら俗物なので、他の技も見せてほしいと思ったりする。つまり悪口を聞きたくなってしまう、ということだ。あと現代文学への言及が読めればもっといいのにな、とも思う。『文芸時評という感想』を文庫化してくれ。

青山南『本は眺めたり触ったりが楽しい』

読書論として読むつもりはハナからなくて、ただ身体にすんと入ってくるおもしろいエッセイとして読む。いい感じ。共感ベースの会話がなくても、ただ酒場のカウンターに腰掛けて話に耳を傾けているだけで癒やされる何かがあるように、この本の文章によるマッサージには格別な気持ちよさがある。快楽という言葉では強すぎる、ただ単なる気持ちよさが。

苅部直『「維新革命」への道』

19世紀日本の精神史・思想史の本、とひとまずはいうことができるが、全体を貫く背骨みたいなものがあるようでないような、なんともふしぎな読み心地。もちろん、「江戸から明治の世になりました、そして近代化がはじまりました」という単純な図式にノンを唱えることが主題ではある。が、それが証明されるというよりは、色んな事象の連関を通してほんのり了解が浮かび上がる、そんな書き方なのだ。封建制と郡県制の交替という史観をいろんな論者が共有しているのは面白かったし、吉田健一と古文のリズムの話も意表をつく感じがしてよかった。

平出隆『私のティーアガルテン行』

生涯という迷路、獣苑(ティーアガルテン)に足を踏み入れる。散策が自ら道を見つけ出す試みであるように、回想もまた回想の内容そのものを新たに発見して検証する試みなのだと思う。平出隆の詩的な散文には、転がるボールの軽やかさや自由さがある。それは自然のなかにありながら、自然なるものの絶対性への抗いを内に秘めた動物たらんとする姿勢であって、その抗いが否定ずくめではなく、あくまでも転がり跳ね返るボールのような弾み、しなやかさに通じているところに、「先生」たちの姿を追うこの動物的なエッセイの魅力が宿っている。

川端香男里『ロシア』

ヒングリー『19世紀ロシアの作家と社会』を読むつもりでいたが、気が乗らないので、より広く浅く記述されていそうなこちらを読み始める。まあ、よかった。ロシア文学を読むとき、農奴がなんなのか分かってないのに「ああ、農奴ね」みたいな感じでとりあえずそういう社会的背景はスルーして分かるところだけ読む、という不誠実なことをしがちだったので、この本の簡にして要を得た説明は助かる。刊行当時(1998年)のロシアについての言及には古臭さを感じるし、20世紀の記述がもう少し欲しいが、薄い本なので仕方あるまい。


金には困ってません。