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水槽の脳で良い

「ファンタジーの世界がきっとどこかにある」って言う私の中の思考を、哲人達の力を借りて解釈してみました。
でもそれは確信的な証拠もなければ保証もない、とんだデタラメにすぎないかもしれません。

ファンタジーとは

ファンタジーの世界が存在するなんて言ったら鼻で笑われるかな。たぶん、そう。空想的なものとして定義されているわけでもあるから。

でも本当に「ファンタジー」って想像の世界でしか無いって証拠はない。他の記事でも書いてるんですけど、それは誰かの記憶かもしれないし経験かもしれない。誰かにとっては現実ということもあり得る。

確かに私のこの意見は希望も含んでるんだ。だってファンタジーの世界が現実(と仮に区別するとして実際)にあったら、それほどワクワクすることないと思わない?魔法が使えたり未知の生物と交流したり。もちろんその真逆でディザスター的なモノも存在することになるわけだけど。

存在と空想

どうして空想の世界と言えるのかな。作者(仮)もその存在に気づいてないだけかもしれない。この世界をみんな同じように見ているという保障もない。この世界が「現実」である証拠もなければ、この世界しか「存在」しないという確信もない。

もっと深掘りしたいところではあるけれど、「現実」や「存在」の話はここまで。それらの言葉を持ち出したら、それをみんな同じように認識しているだろうか?という「言葉」についても触れてしまうと思ったから。

ぜーんぶひっくるめて、この世界にあるすべての物事において「確信」だとか「絶対」だとかそう言ったものは無いと思ってる。全てを疑ったらキリがないし、疑いながら過ごす生活や人生なんてムリ。笑だから、思い出した時に疑うくらいで、絶対は無いんだなーぐらいで過ごしてるってことをわかってほしいんだけれども。

だからこそ、空想の世界が「ある」かもしれないということを言いたい。(矛盾にはなりますが、私は「ある」と思っています。絶対なんて無いとか言ったくせに)その人の頭の中で考えたことが現実になる、あるいは現実であるというのもありなんじゃないかなと思いますね。引き寄せの法則とか。

きっとどこかに

それを空想と分類するでも、頭の中で考えたことだけれどもそこに「ある」と思うのも自由だと思う。きっと、パラレルワールドも映画や小説の世界も、街ですれ違った人が話していた会話も、昨日自分が体験したことも、どれも同じように存在するんだと思います。もしくは、存在していいかと。

私たちが選択することはいくつもの世界を作っている。私たちが想像することも、私たちが夢を見ることも、私たちが感じることも。

仮に私が水槽の脳であったとしても、ここに「存在」する私は私が認知している限り、私でしか無い。つまり、私がどのように認知してどのように「世界」を創っていくのかも自由。それに、それを他者が理解することはあり得ないかもしれない。

ファンタジーの世界があるかどうかって話から、ちょっと小難しい話になっちゃったけど、私が言いたかったのは【結局のところ今の「世界」は自分だけの世界でしか無いんだから、どんなモノが自分、あるいは他者の中・外に「存在」していても否定できないよね】ってことです。

皆さんはファンタジーの世界、あると思いますか?

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