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仕事で適応障害を発症し、その後うつ病となり休職。 リワーク通所を経て復職したが、半年ほ…

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仕事で適応障害を発症し、その後うつ病となり休職。 リワーク通所を経て復職したが、半年ほどで再休職。 再度リワークにて自分を見つめ直し、ぼちぼちと再復職。 心身を養生しながら、生きていけますように。 自分が心から喜べる瞬間、熱くなれる瞬間に出会えますように。

最近の記事

不調との付き合い

果たして、めちゃくちゃ体調が悪かった。 メンタルというよりも、 風邪気味による身体のしんどさがまずあって。 それにより動けないこと、 単純に身体の調子が不安定でしんどいこと、 仕事を休んでしまっていること、 これらが重なってメンタルに来るのである。 今はまあ、しんどい時は休むことが大切だと 切り替えられているけど。。。 やっぱり身体がしんどいと色んな面で 凹むんだよなあ。 身体を鍛えたい。丈夫な身体になりたい。 身体の健康って、ほんとメンタルにとても大きく関わって

    • 生きていきたい

      ここ最近、疲れが出てきている。 勤務時間もまだそこまで長くないのに、 ひたすら疲れを感じてしまっている。 病み上がりだし、疲れているのはまあ当然と言えば当然だろう。そういう時はゆっくり休みに限るとといえば限るのだが・・・。 だが問題なのは、楽しみしたい、楽しもうという心持ちや気力も喪失しかけていることだ。 疲れにのまれて、あれもしたいこれもしたいという気力が枯渇している。 好きだった趣味も楽しめなくなってくる。 こうなってくると、危険信号なんだよなあ。 疲れないための

      • 生きがいが欲しい

        久方ぶりの投稿です。 復職して1ヶ月経ちました。頑張りました…! 頑張りすぎず、できるだけ勤務が続けられるようにぼちぼちと頑張っていたわけですが、 ちょくちょく休みをはさみながらも、ひとまず1ヶ月を終えた…! これは自分に拍手…! とても勤務の配慮には恵まれていて、午前中の勤務だけから始めさせてもらったり、事務の補助的な作業から仕事を慣れさせてもらったりと、だいぶ気を楽にさせてもらっています。 以前の自分なら、なんかあまりにも仕事をしなさすぎてもっと役に立てないかと

        • うつ病を再発しても生きていく

          久しぶりの投稿です。 うつ病が再発して、再休職してから半年ほどが過ぎました。 考えすぎる癖がある自分なので、これからのことをあえて考えないように努めていたのですが、いよいよモヤモヤがおさまらないため文字に起こすことにしてみました。ひとまずは再休職から現在までのことを書き記したいと思います。 再休職する時から今までのことを振り返ると、最初に休職した頃とはだいぶ心境の違いがありました。 再休職する時に、もう少し頑張れなかっただろうかという思いや、休職することへの罪悪感は、1

        不調との付き合い

          自分と未来を、変えること

          久しぶりに文章を打ってみてはいるのだけど、キーボードを打っている間は無心になれて楽しいかもしれない。 自分なりに、これからの人生について考えてみた。 と、正確には、考えてみようとしたということかもしれない。 なかなかに先の未来を考えることを頭が拒否するんだよね。 それをしていると、段々と身体も具合悪くなってくるというか。 だから先のことを考えるのは今はやめにして、心身が喜びそうな自分にとってやりたいことからひとまず考えてみることにした。 そもそも何も考えないぐらいが今

          自分と未来を、変えること

          もう生きていたくないと思う時に。

          生きていることに意味なんてない。 こんなに辛くてしんどい人生なら生きていたってしょうがない。もう人生を終わりにしたい。 そんなことを思うことが、たまにある。 いや、たまにではないもしれない。 そんな時に、どうしたらこの状態から抜け出せるのかを考える…のだけれども、それは難しい…。 なぜならその思考に陥っている時は、もう心身共に「生きない」モードになっているからである。 どうしたらこの辛い状況から抜け出せるかを考えようとしても、身体と心が、「生きない」方に向かっているから

          もう生きていたくないと思う時に。

          疲労と疲労“感”について

          ☆復職して1ヶ月半 4月も中旬になりましたが、気温の変動が激しくなかなかに疲弊している毎日です。 復職して1ヶ月半ほど経ち、出勤することには少しずつ慣れてきてはいるものの、業務を週5日でこなしていくことはまだまだしんどい状況です。 「疲れているなあ」と、感じることができて、認知することができているだけまだマシなのかもしれません。 めちゃくちゃ疲弊しきっている時は、疲れていることすらも認識できず、頭も回らないので休むという選択をとる判断すらできなくなったりしていました。

          疲労と疲労“感”について

          元気になるために

          寒い日が続きます。 雪の降る空をみて、寒いし滑るし嫌だ!という思いだけではなく、「美しい」と思えたのは、回復してきている証拠かもしれないと思いました。 ずいぶん前に書きかけていた記事を、投稿しないのも勿体無いなと思ってさきほどようやく書き終えました。 闘病中で調子の波が激しく揺れ動く中、それでも元気になりたい、なんとか生きていきたいと思えるために自分がやっている効果的な方法を紹介したいと思います。(あくまで個人的な感想であり、確固たる根拠があるものではありませんが)

          元気になるために

          幸せになりたい

          自分の人生は、この一言に尽きます。闘病中の今、いや、これまで生きてきて何を求めていたかというと、それは幸せだと思うのです。幸せが欲しいというよりは、「幸せになりたい」といったほうが正しいかもしれません。 幸せを感じられるものを手に入れることは、大小は様々であれどできることもあると思います。美味しいものを食べたりだとか、好きな歌を聴く、好きな場所へ行く、好きな人と話す…等。 叶えられるものもあれば、叶えられないものもあるだろう。実際にそれらの幸せが叶った時には、とてつもない

          幸せになりたい

          【休職中の過ごし方】休職しているけれど、休まらない

           ろんと申します。  前回に引き続き、自身の闘病体験記を綴っていこうと思います。今回のテーマは、休職中に感じたことや、過ごし方についてです。  なお、自分は現在2回目の休職中であり、今回は主に初めて休職した時のことを書いていきます。  休職の1回目と2回目では、感じたことも実際に行った行動も違ってくるものがありますが、やはり初めて休職した時の衝撃を忘れられないので、できるだけ詳細に記そうと思います。  では、始めます。 【初めての休職中に経験した3大ショック】 ・

          【休職中の過ごし方】休職しているけれど、休まらない

          自分が適応障害になった理由

          今まで取り留めのない文章をnoteに書いてきましたが、これからは主に自分の闘病体験について綴っていこうと思います。 自分の考えのまとめにもなるし、また、この地球上のどこかで同じように苦しんでいる方の助けになれば、なお嬉しいです。 さっそくですが、タイトルにあるように自分が適応障害になった理由は、大きく分けて3つの理由(原因)があると感じています。 その3つとは、 ・何から何まで我慢をしていた ・愚痴や悩みを人に打ち明けられなかった ・上手な休養の仕方を知らなかった そ

          自分が適応障害になった理由

          悲しみの隣にあるもの

          突然ですが、悲しみの隣にあるものは何だと思いますか? そもそも、悲しみの隣って、どこでしょうか。 悲しみの隣…悲しみの近くということなのか、悲しみの傍にあるということなのか… ここでは、悲しみの隣とは、悲しみを感じた時に、連鎖的にたどり着くであろう場所ということにします。 完全に個人的な感覚ですが、悲しみの隣には「喜び」があるということを確信しています。(※だからと言って悲しみが多ければ良いというわけではないが。) これは、よくある「悲しいことの次には嬉しいことがあ

          悲しみの隣にあるもの

          【嫌われる勇気】を読んでみた感想

          長期に休んでいる最中ですが、月日はあっという間に過ぎていきます。 あまり読書する気力も沸かない中、以前から読んでみたいと思っていたアドラー心理学関連の書籍で、めちゃくちゃ話題になった【嫌われる勇気】を読んでみました。 ざっと読んでみた感じなので、著者の伝えたい内容と齟齬があるかもしれませんが、自分なりの感想を述べてみたいと思います。 まず感想の1つ目は、 【人は人の中でしか生きられない】ということです。アドラー心理学では、すべての悩みは人間関係であると述べているように

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          生きる意味はどこにあるのか?

          おはようございます☀ 朝から色々とTwitter等で色んな呟きを眺めながらぼっーとしていました。 そんな中、前の上司と、今お世話になってる産業医の方と話したことを思い出しました。 まずは上司の言葉。 「自分を守れるのは、自分しかいない。誰かが守ってくれるわけでない。」 ということ。 …とまあ発言の本意はどうだったかはわかりませんが、周りの人や環境に文句ばかりたれていた自分にはふと刺さるものがありました。(もちろん劣悪な環境であれば文句も出ますし、環境の改善を求める

          生きる意味はどこにあるのか?

          生きる気力の源

          果たして、いったい全体、何を毎日、どうにかこうにか生きているのだろうか。  やることなすこと、全てが面倒になる。 やらなきゃいけないことに追われ、自分の好きなことですらやる気が起きなくなる。歩くのは愚か、立つことも、息をするのも面倒。 いっそこのまま消えてなくなりたいと思う時が最近多い。 そのような時に、悶々と自分はなぜ生きているのだろう?とか、生きる意味なんてないしどうしたら良いんだろう?とか考え出すことは、負のスパイラルにハマってしまうことが殆どだ。 それはなぜ

          生きる気力の源

          今を生きるということ

          いつも思い悩む時は、未来への漠然としたモヤモヤを拭い去るために、ひたすらノートに書き殴ったり、空を見上げたりしてぼっーとしたりしていた。 これは、悩みを整理したり、スッキリさせたりするために有効であるし、これからもよく行う悩み解消の手法になると思う。 人に話してスッキリすることもあるし、たくさん人に話すことが好きな人もいる。それは自分には当てはまらないので、ひたすら1人の時間を大切にして、生きる活力を充電している。そんなことが自分にはよくある。 今もまさに、そんな状況で

          今を生きるということ