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幸せになりたい

自分の人生は、この一言に尽きます。

闘病中の今、いや、これまで生きてきて何を求めていたかというと、それは幸せだと思うのです。幸せが欲しいというよりは、「幸せになりたい」といったほうが正しいかもしれません。


幸せを感じられるものを手に入れることは、大小は様々であれどできることもあると思います。美味しいものを食べたりだとか、好きな歌を聴く、好きな場所へ行く、好きな人と話す…等。

叶えられるものもあれば、叶えられないものもあるだろう。実際にそれらの幸せが叶った時には、とてつもない喜びを感じられることもある。その喜びを噛み締めている瞬間が、幸せだなあと思うこともそれなりにあったと思う。

けれどそれがいつからか、「そのような喜びはいずれ無くなったり薄れていくものであり、自分の人生をずっと幸せにしてくれるものではないのだから、やっぱり虚しい。」と思ってしまうようになった。

それは病気になってから思い始めるようになったのかもしれない。とはいえ、この気持ちが病気のせいなのか、はたまた自分の人生観、性格や思考によるものなのか何とも言えない。自分としては、病気で気分が落ち込んでいることによって表れる自分の悲観的な思考によるものだと思っている。病気のせいであるけれども、病気が治ったからといって変わるものでも無いような気がする。自分の根本的な人生観の問題だ。

その喜びを感じている時間が一生続けば満たされるのか?一つの喜びはすぐに消えるとしても、喜びが絶えないくらい幾つもの幸せを手に入れていけばいいのか?

実際に、喜びに溢れている時間が長らく続けば、その間は幸せであると言えるかもしれない。

けれど、そのような“手に入れた“幸せはずっと続くわけでも無いし、自分の望んだ幸せが全て手に入るわけではないことを、これまでの経験から感覚として知っている。幸せな時間ばかりというわけにはいかなく、悔しい想い、辛い時期、悲しい思い出、嫌な気持ちというのは生きていればどうにもこうにも避けられないもの。

辛くて悲しい負の出来事を受け入れ難く、そんな思いをするくらいなら人生をやめてしまいたいと思うのが、最近の自分の負の感情です。

では反対に、正の感情は無いのかというと、全く無いわけではありません。

病気になって中々治らないけど、これまでの生き方を改めてもっと自分が幸せになれる人生を送っていこう!そうすれば、少しずつ治っていくかもしれない。というような、前向きな気持ちもあるにはあるのです。

正と負の感情が攻めぎ合っているような状態です。

ただ、やや負の感情が優勢なのは、負の感情については正体がはっきりしているのに対して、正の感情については向いている方向が曖昧なのです。


自分が幸せになれる人生って、何だ?

幸せになりたいと言うけれど、具体的にどのようになりたい?


幸せになりたいを叶えるためのヒントは、“心の持ち様“にあるのかな。


まだまだ答えはわからぬまま、日々は続いていく。闘病も続いていく。

もやもやした想いを抱えながらの闘病は、とてもしんどいことも多いです。

それでも少しずつ、自分を甘やかしながら、周りに甘えながら、

自分のペースで、歩んで生きたい。



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