もう生きていたくないと思う時に。

生きていることに意味なんてない。
こんなに辛くてしんどい人生なら生きていたってしょうがない。もう人生を終わりにしたい。
そんなことを思うことが、たまにある。
いや、たまにではないもしれない。


そんな時に、どうしたらこの状態から抜け出せるのかを考える…のだけれども、それは難しい…。

なぜならその思考に陥っている時は、もう心身共に「生きない」モードになっているからである。

どうしたらこの辛い状況から抜け出せるかを考えようとしても、身体と心が、「生きない」方に向かっているから、思考回路も「生きない」ようにできあがっていくから。

どうしたって、生きる気力なんて沸かない。

じゃあそんな時は、どうしたらよいか。

もう生きていきたくない、生きるのが辛い。
そんなことで頭がいっぱいの時は、どうしたらよいのか。


一概に答えはこれだと言えないかもしれない。


とはいえ、自分の中で1つ有効な手を述べるとすれば、


それは、「休むこと」である。


休む、これが意外と難しい。


ましてや、もう生きていたくないと思い詰めるほど真面目に誠実に生きてきた人であればあるほど、休むことに対してのハードルが高いのである。


生きることに疲れた時、それは心身が疲弊している可能性が高い。


だからこそまずは心身を休めて、その後でこれからどう生きていくかについて考えればいい。

のだけれども、休むってじゃあ具体的にどうすればいいんだ?ってなる人もいると思う。自分もそうだったので。


人によって休み方は様々で、これといって絶対的な休み方があるわけではいないけれど、

自分の身体が、心が、望むままに過ごすことが大事。

ただ、休み下手な人はこれまた自分の本心に声を傾けることが苦手だったりする。

周りに気を遣いすぎて疲れ果ててしまったりね。

周りに無理を言ってでも、今は自分が休む時。

身体が動かないなら動かない、心がついていかないなら何もしない。

甘えられるものには甘えるし、頼れるものには頼る。

そういう環境にいないのであれば、より自分が楽になれる環境へ身を少しずつうつす。その時は逃げるでも避けるでもなんでもいい。自分を守るための行動を、今こそする時なんだと思う。


長く休んだ経験がある自分からすると、休むことへの最も手強く障害となるものが、「罪悪感」であった。

これを感じながらでは、休まるものも休まらない。

自分が元気になって、周りの人に役に立ちたいと思うような人ほど、この罪悪感を凄まじく感じると思う。


その優しい心を捨てろというわけではなく、また誰かのために役に立ちたいのであれば、まずは自分の身を治すことが大切なのである。

自分をしっかりと休ませて、元気になれたらまた誰かの助けになれると思えば、自分を休ませることは周りのためになる。そして自分を休ませるためには、休んでいることへの罪悪感を少しずつ取り払っていくことが必要。罪悪感が薄れた休息は、自分に真の安らぎを与えてくれることと思います。

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