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エッセー 一茎の葦

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46:一茎の葦;グレン・グールドが愛読した夏目漱石「草枕」⑵

 明治日本の文人夏目漱石と、昭和生まれで西欧の天才ピアニスト、グレン・グールドが、互いに精神世界で共有した感覚は、ひとくちにいえば、芸術の世界で生きるためには、四角四面の世に、従っていくのは、いかにしても生き辛い、”してみると四角な世界から常識という名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう”と考える。

 そこで、”ならばその一角を”摩滅して、三角の世界に住む”しかな

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45:一茎の葦;グレン・グールドが愛読した夏目漱石「草枕」(三角の世界)①

 ”山路を登りながら、こう考えた”。一人の絵師、日本画工が、とかく煩わしい世をのがれ、ひたすら画の世界に、つまり芸の世界に浸り切りたいという願いで画材を求めて旅に出て、山路を登ってゆく。道の途中でまず考えた、というのが「草枕」の始まりである。

 この画工、生来物を考え抜かねば気が済まないたち、つまり、かれもまた、考える葦のひとりで、引き続いて、その独自の胸の裡を吐露してゆく。

 かくして世に名

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44:一茎の葦;3角の世界

 20世紀の天才ピアニストとして世に知られ、なみはずれて気難しい、というより変わり者のグレン・グールドが、生涯愛読していたという夏目漱石の「草枕」彼はこの本の、どこがそれほど気に入ったのだろうか、漱石はすぐれた英文学者でありながら、漢文学、日本絵画、俳諧などに、なみなみならぬ知識をもち、かといって世俗の心象風景にも存分に眼が届く。その結果、この作品では、日本人でもやや嚙みこなしにくい文体と博識ぶり

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43:一茎の葦;詩、そして音楽

 前回音楽のちから、などという、大きなタイトルをつけてしまい、このあとどうしたものかと考えあぐねてしまいました。何しろ私ときたら音楽にはずぶの素人ですし、といって心理学者でもありませんから。

 思い返せば、1950年、初めての大学の夏休みに、アルバイトをしてもらったお金1か月分殆どはたいて買ったのが、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」のレコードでした。

 グールドはこよなくバッハを愛し、そのス

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42:一茎の葦;音楽のちから

 猛暑続きで、さすがに少し寝不足気味、ぐったりして音楽でも聴いていようとCDケースを眺める。最近は、グレン・グールドのピアノ曲のCDばかり、昼も夜もそればかり聴いている。バッハ、ベートーベン、シベリウス、シェーンベルク、ブラームス、R.シュトラウス、ごくたまにはモーツアルト,などなど。

 1930年、カナダ生まれのピアニスト、グレン・グールド、魔法の指の持ち主とたたえられ、たぐいまれな才能を持ち

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41:一茎の葦;知性の秩序とこころの秩序

 ここ数日、西日本を襲った台風で、あまたの被害が報じられたが、東京は幸い河川の氾濫や洪水の被害にも合わず、今日は、戸外を吹く風も、はや秋の気配である。 

 そして私はまた、付箋だらけの「パンセ」岩波版邦訳書を取り上げる。いまさら言うまでもないが―こころには,知性とは別の秩序があるーとパスカルも書いている。つまり知性の秩序は、原理と照明から成るが、こころには別の秩序がある、と説き、愛の原因を理路整

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40:一茎の葦;ヨーロッパ文明の魅惑

 結局プラハ行きは実現しないまま、わたしたちは、またパリに舞い戻り、たか子さんが開いてくれた牡蠣料理店でのお別れの宴のあと、彼女はパリにとどまり、わたしは家族の待つミュンヘンに戻った。

 そしてその直後、わたしたち一家は、例のおんぼろ車でイタリヤ旅行に出かけ、間もなく2月に行われるミュンヘンの子供たち中心のお祭りに間に合わせるために、雪のアルプス越えをして、ミュンヘンに帰ってきた

「よく無事に

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39:一茎の葦;パリからウイーンへ

 どちらかというと、内向きで、観念的にものごとを捉え、ひたすら追求していきがちのわたしにくらべ、高橋たか子もたいそう内向け的人間ではあったが(それについては、彼女がこの後1975年ころに、婦人公論に「私の鈍感さ」という名目でコメントを書き、のちに「記憶の冥さ」という本にまとめた随想のなかにはっきり書いている)そして、かくいう私も、実はたいそう鈍感な人間であることを、しばしば自認させられている。

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37:一茎の葦;ミュンヘンのジルベール・ナハト

 今朝のnoteには夜来急変した東京の、というより日本中の気温差に驚かされ、身辺で平素から時々思っていることを短く書いた。そして続きは午後、昨日に続いてミュンヘンからヨーロッパに旧友の高橋たか子と共に旅行した遠い日のことを思い出しながら、昨年修道会のシスターが下さった彼女のエッセー集を読んでいるうちに、どうしようもなく気持ちが沈んできて、なにも書けなくなった。

 そのエツセーは「パリのコンサート

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36:一茎の葦;寒い夏

 盛夏というのに、雨が降り続き、昨日は東京も気温27度という冷え込みようで、突然の異変に震え上がった。若い者たちは平気な顔をして、口では寒いね、などと云いつつも、いつもの服装でいるのに、私は抽斗をかき回し、長袖シャツにカーディガンを重ね、夜は電気行火までひっぱり出して寝た。

 旧約聖書の列王記は、2篇にわたり、ユダヤ民族の建国と治世のあらましを述べ、王たちと神のお告げを語る予言者の列伝みたいなも

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35:一茎の葦:高橋たか子とわたし

 -私は行ったり戻ったりするばかりだ。私の判断もつねに前に進むとは限らない。それは漂い放浪する・・・・我々は前に進まず、むしろ、さ迷い歩く。ここかしこ経めぐり、逆戻りをする―モンテーニュ「エッセー」

 翌日高橋さんは、ひとりで南ドイツの街々を歩いてくる、と言って出かけ、2、3日して帰ってきた。そして、ある町の教会にあった古い螺旋階段を登っていたとき、ふと上を見上げたとたん、空から夕暮れの金色の光

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34:1茎の葦、その呟き

 その頃、私も高橋たか子も、まだキリスト教について、深く理解していたとはいえず、当時住んでいた南ドイツ一帯の民衆の心に沁み込んでいるカトリック信仰には、ほぼ無縁の生活を送っていた。そして会う人ごとに、信仰について訊かれたときは(それはたびたびあったことなのだが)やや口ごもり、別にない、などと答え、驚かれた。また「仏教か?」ときかれたときは、いちおう「はい」と答えることにしていたが、実はそれもひどく

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33: 1茎の葦. 分かれ道

 それが10月だったか、11月であったか、その当時すでに相当眼を傷めていた私はメモ書きすら残していないが、私たちの車は小さなワゴンだったので、同じ日本人学者留学者で、当時親しくしていたSさんが出してくれた車で、私たちは迎えに行った。高橋たか子は颯爽と、というか、決然というか、ミュンヘン空港に現れた。

 銀色と金色の布を2枚貼り合わせて、裾を広くしたパンタロンにブラウスはもう覚えていないが、確か白

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