36:一茎の葦;寒い夏

 盛夏というのに、雨が降り続き、昨日は東京も気温27度という冷え込みようで、突然の異変に震え上がった。若い者たちは平気な顔をして、口では寒いね、などと云いつつも、いつもの服装でいるのに、私は抽斗をかき回し、長袖シャツにカーディガンを重ね、夜は電気行火までひっぱり出して寝た。

 旧約聖書の列王記は、2篇にわたり、ユダヤ民族の建国と治世のあらましを述べ、王たちと神のお告げを語る予言者の列伝みたいなものだが、最近よく想起するのは、第一篇の冒頭のダビデ王の挿話で…”年を重ねて老人になっていた”そして”いくら夜着を重ねても暖まらなかった”というくだりである。

 かつては紅顔の美少年、父の羊を飼う末息子に過ぎなかったダビデ、部族を脅かすペリシテ人の英雄、身長2メートル80余り、50㎏はある青銅の鎧兜に身を固めた巨漢人ゴリヤテを、石のつぶて一撃で倒したという勇敢な少年であったのに、迫りくる老いには勝てなかった。

 そこで、則近の人たちが考えた対処法がまた奇抜である。心療医学的にはともかく、権力者の介護として実に奇想天外だ。、”かれの家来たちは、王さまのためにひとりの若い処女を捜してきて、世話をさせ、王さまのふところに寝させ暖めさせましょう”と申し出て国中捜して非常な美女を見つけて王さまに捧げた、というのである。少女アビシャブは王のお世話を心を込めてしたが、王はもう(多分男性として)それを知ることはなかった、とさらりと書かれている。雛が子を暖めるように・・・。3000年も昔の話であるが、母性は、いつの時代でも、男にはできない役割を担うことができる。

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