43:一茎の葦;詩、そして音楽

 前回音楽のちから、などという、大きなタイトルをつけてしまい、このあとどうしたものかと考えあぐねてしまいました。何しろ私ときたら音楽にはずぶの素人ですし、といって心理学者でもありませんから。

 思い返せば、1950年、初めての大学の夏休みに、アルバイトをしてもらったお金1か月分殆どはたいて買ったのが、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」のレコードでした。

 グールドはこよなくバッハを愛し、そのスタートは、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」の公演だったことあまりにも有名です。

”私の世代の人間は、戦争直後、好むと好まざるとにかかわらず、感情表出を重視するシステムのなかから出てきた・・・・私たちはこう教えられた、物憂げなものを生み出すことにこそ教養や文化があるのだと” この言葉はあの当時の日本の青年の言葉ではありません。もちろん私のモノローグでもありません。これグールドが回顧して云ってる言葉なんです。

 やはり同じ世代なんだ、と国情も何もかも違うのに、変に納得して、しみじみしてしまいます。同じ宇宙の同じ風に乗りあわせ、同じ思いを抱く、やはりせかいは一つなのかもしれないと。

 1974年、アメリカのルポライターで、グールドの大ファンでもあったジョナサン・コットは電話で、グールドと話した6時間に及ぶインタビューのすべてを記録して発表しました。「ローリングストーン・インタビュー」と呼ばれるものでした。聴き手がすばらしいからか、まさに「道に遊ぶ」グールドの面目が躍如しているインタビューです。上記のかれの言葉は、その時の発言でした。

 この時の電話がもとで、その後、グールドとコットとの親交は深まったのですが、1982年、グールドは突如世を去ります。2年後にジョナサン・コットはこのグールドとの「ローリングストーン・インタビュー」記事に、さらに、グールドが1957年にクリープランド公演で捲き起こしたあるエピソードを加え、小さな本を作って出版します。そしてそれをグールドの思い出に捧げるという献辞に、思いがけず芭蕉の俳句がともに捧げられています。詩人ロバート・ブライによる英訳も美しいですが、日本訳の本では、元の句そのままで添えられているのがなんとも言えない趣があります。


     鐘消えて花の香は撞く夕べかな  

          芭蕉  

音楽と詩心は、やはり繋がりあうものなのでしょうか?                         

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