42:一茎の葦;音楽のちから

 猛暑続きで、さすがに少し寝不足気味、ぐったりして音楽でも聴いていようとCDケースを眺める。最近は、グレン・グールドのピアノ曲のCDばかり、昼も夜もそればかり聴いている。バッハ、ベートーベン、シベリウス、シェーンベルク、ブラームス、R.シュトラウス、ごくたまにはモーツアルト,などなど。

 1930年、カナダ生まれのピアニスト、グレン・グールド、魔法の指の持ち主とたたえられ、たぐいまれな才能を持ちつつ、32歳で一切の演奏活動から引退した。そしてその後は2度と公演活動はせず、録音による膨大な収録曲のアルバムを残し、1982年50歳で、孤独な生涯を閉じた。わたしとは2歳違いの、そういってよければ、まるで弟分みたいなひとだけれども、わたしは、最近まで音楽の世界にはあまり縁のない生活を送って来て、迂闊にも、その存在すら知らなかった。

 かれは音楽以外にも、自国(カナダ)のラジオ番組などに積極的に参加し、ドラマやドキュメンタリーにも精力的に取り組み、知る人ぞ知る最高の文化人として、欧米では高い評価を受けていた。

 残された作品や書簡のかずかずは、没後間もなく、世界各地の識者や愛好家の手によって編集され、書籍や刊行物として出版されていた。日本でも1980年代から、翻訳などの刊行物が世に出ていて、1999年にはみすず書房から、著作集2巻と書簡集1巻が、我が国のグレン・グールド研究者の第一人者の宮沢純一氏と、野水瑞穂氏訳で出版されている。

 また、ニューヨークの「ローリング・ストーン」誌の常連ライターで、グールドの熱烈なファンだったジョナサン・コットとの6時間にわたる電話インタビュー記事が、宮沢純一氏訳で日本でも翻訳され、その文庫本は私の愛読書でもある。

 ただの音楽好きというだけの私にとって、このインタビュー記事は、読むたびに、繊細きわまりない天才ピアニストとクラシック音楽のはんぱでない通との会話の難解さに、圧倒されながら、ひたすら愛読している。座右において、どうしても読むのをやめられないという厄介な本で、もうボロボロである。

 ぼろぼろといえば、グレン・グールドの愛読書が、夏目漱石の「草枕」の英訳本(ウィリアム・フオーリー訳「三角の世界」)だったというのも驚きだ。彼は1982年に急逝するが、死の床の枕頭に置かれていたのは、随所に書き込みや傍線入りの「草枕」(三角の世界)だったという。

 この本を、彼が訳者から贈られたのは25歳のときで、訳者のウイリアム・フォ―リー氏は日本の大学に赴任中に草枕と出会い、帰国後これを英訳した書籍を、偶然同じ列車に乗り合わせたグールドに贈ったものらしい。

 「草枕」の中で、漱石が主人公の画家に語らせていることばが、グールドに大きな共感をもって受け止められたものらしい。同じ時期、グールドはあるアンケートに答え「自我こそは、結局、芸術家の素養の最も大切な部分なのです」と答えていることなどなども思い合わされる。

 そしてわたしは、グールドの弾くピアノ曲を聴きながら、彼の指からほとばしる音の比類のない美しさと、ときには、うっとりさせられる優しさのなかに、こうした精神の営みを、あらためて痛いほど感じ取ることができるのである。

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