44:一茎の葦;3角の世界

 20世紀の天才ピアニストとして世に知られ、なみはずれて気難しい、というより変わり者のグレン・グールドが、生涯愛読していたという夏目漱石の「草枕」彼はこの本の、どこがそれほど気に入ったのだろうか、漱石はすぐれた英文学者でありながら、漢文学、日本絵画、俳諧などに、なみなみならぬ知識をもち、かといって世俗の心象風景にも存分に眼が届く。その結果、この作品では、日本人でもやや嚙みこなしにくい文体と博識ぶりで、独自の芸術論や人生論を展開する。

 欧米の知識人が、日本文学に関心を持つ場合、古典文学では、平安朝の「源氏物語」や日記文学、詩文でいえば江戸期の松尾芭蕉やその1派の俳諧というのが、だいたいの道筋で、よし漱石にしても、猫、や、坊ちゃん以外では、近年は「こころ」などがよく取り上げられているようだが、「草枕」愛好者という話は、西欧世界ではあまり聞いたことがない。

 グールドは、もともと大変な読書家で、東西の文学への造詣も深く、ゲーテやニーチエ、トーマス・マンもお気に入りで「魔の山」などを愛読していたらしい。音楽の世界でも、実に事細かでユニークな見解を披露する知識人として、驚かされているが、よりによって漱石の「草枕」とは。どちらもかなりの変り者、というくくりでは、うなづけないことはないが、グールドの卓見には私も脱帽する。それだけに、かれがかかえもつ孤独が、しみじみ身に沁みる思いもするのである。余計なお世話ではあるけれども。

 ともあれ、早くから、正岡子規や、高浜虚子、中村是公などを友人に持ち、英文学の世界でも並々ならない学識の持ち主だった漱石だが、中年になって大学教授の職を投げうって、小説家に転身し、病勝ちの身で次々新聞小説という形で次々と作品を世に出し、1916年、49歳で世を去っている。

 そして、その作品は、いまも多くの問題提起をはらみ、識者の間ばかりでなく、一般人にも、もちろん読みやすい身近なテーマを含む作品として、いまだに人気は衰えない。ということは、つまりその内蔵する思想は今も新しく、人の心を揺さぶるなにかをもっている、ということになる。

 ついこのあいだも漱石の個人主義思想は、現代の日本社会でもいまだに色あせない重要な意味を持っている。今こそ、もっとみんなが耳を傾けて、社会に生かしていくべきだ、と知人と話したことがある。

 それにしても、グールドが愛好した「草枕」は、漱石39歳の時、友人たちの俳句誌、ホトトギスに書いた「坊ちゃん」に続いて「新小説」という文芸雑誌に、はじめて発表した、小説としてはごく初期の作品である。それだけに、力の入れようも格別で、云わんとするところは、かなり大胆ながら、わかりやすく平明だが、全体に文章は、彼のそれまでの教養の結晶みたいなもので、現代では難解、というよりほかないものである。

 これを英語に翻訳されたウイリアム・フォーリー先生は、グールドが出会った当時はセィント・フランシス・ザビエル大学教授の化学者であったが、かつて日本のさる女子大に赴任されていた時、この「草枕」を題名も「三角の世界」と改めて翻訳されたものらしい。そして帰国後、1967年、偶然旅行中のグールドと、モントリオール行きの車中で出会い、この本の話をされ、数日後、彼に送られたのだという。

 考えてみると、明治日本も鎖国を解いたばかりの新しい文化圏、カナダも、お隣のアメリカも含め、社会の文化的伝統の層は、日本ほどではないにしても、ヨーロッパ諸国に比べて厚いとはいえない。グーグル家も北欧からの移民であるという。(母方の曽祖父はノルウエーの音楽家グリーグの従兄弟だったとか伝えられている)。

 そんなこんなで、相互の社会理解の度合いは、ヨーロッパ諸国の人々より深かったとも言えるかもしれない。次回は、こうしたことを、少し考えてみたいと思う。 

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