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リトル・メルヘン

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2019年6月の記事一覧

フレンド・オブ・ベスト・フレンド

フレンド・オブ・ベスト・フレンド

「もう動けないよ」
「動かないで」
「もう何の力にもなれない」
「大丈夫。ここにいて。僕が最高のクロスをあげるから」

「えっ?」

「君は合わせるだけでいい。ね。いい?」
「無理だよ。オフサイドになるだけだよ」
「心配ない」
「線審を欺くことなんてできないよ」
「ディフェンスを一人つけていくから」

「えっ?」

「こいつさ。こいつは仲間だ」
「じゃあ。ここで待っていて」

「君はいったい誰?」

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幸福のクジラ

幸福のクジラ

エスカレーターはいくつもあったが、みな下りていくばかりだった。
僕は下りていくに任せて落ちていった。

読みたい本の前には、人が立って邪魔をしている。
邪魔者が読み尽して帰っていくまで、そっと隣で待っている。
僕はようやく、読みたい本の前に立つことができるのだ。
どうしてかな……。
その時、僕が立つと読みたい本はなくなってしまう。
足元のカーペットが気持ち良さそうだ。
誰か、一緒にボール遊びをしな

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ロケット・ベッド

ロケット・ベッド

「そんなところで読んでいると目が悪くなりますよ」
 どんなところだったか思い出せない。忠告も無視したくなるほど引き込まれていた。読んでいると誰かがまた別の本を薦めてきた。

「この本を読んでいる人は、こんな本も読んでいます」
 他人の意見を素直に聞くことは苦手だった。あんまりしつこいので時々は誘いに乗ってみた。案外に自分の好みに近かった。一度乗ると抵抗は薄れて乗りやすくなった。おかげで選択の幅は広

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8番ホーム

8番ホーム

 猫のことを考えていた。猫の振り返り。猫の足音。猫のあくび。猫の通り道。猫の足跡。猫の独り芝居。猫の霊感。猫の駆け足。猫のダッシュ。猫の横切り。猫のジャンプ。猫の好物。猫の壁登り。猫のつまみ食い。猫の威嚇。猫の後退り。猫のジャブ。猫のいる日溜まり。好きな猫のことを考えていた。

 8番ホームには誰もいない。いつもいる人がいない。祝日の月曜日。突然、鴉が降りてくる。何もないことを確かめて、羽ばたく。

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孤独のドリブラー

孤独のドリブラー

 灼熱のピッチの上で一段落のティータイムが提案されたのは、古い常識に縛られない主審の粋な計らいであった。ピッチサイドでは、解説者も選手も一緒になって、四万十川のおいしいみずを飲みながら、各自が持参した甘辛様々なお菓子を広げた。
「九州しょうゆ味だよ」
「これはなかなかいけるね」
「おまえチーズ味好きだな」
 色彩豊かな種々のお菓子は、それまでピッチの中にあった個々の溝を容易に埋めて、選手の口も軽く

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【退屈の話】退屈のはじめ

【退屈の話】退屈のはじめ

どこに行っても先々で猫に会った。
「いつも眠っているな」
 と何気なく言うと、
「おまえこそ」と言う。
 眠ってないし、まるで意味がわからない。
 そろそろ新しいことを始めなければ。

 何か始めなければならないと思い、決心して退屈を始めることにした。今までたかが退屈と馬鹿にしていたが、始めてみるとそう簡単でもないし、そう単純でもないとわかった。始めた以上は続けなければならない。何事も継続すること

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【小説】人間の扉

「行くんじゃない! そこを潜ったら元には戻れないぞ」
「大丈夫。僕は大丈夫」
「駄目だ。絶対に。そうはならない」
「どうしてわかる? 君にわかるはずがない」
「お前にだってわかるはずがない。わかるか?」
「何がだ?」
「その扉を抜けたら人間になってしまうんだ。そして一度でも人間になったものは、もう再び元の自分に戻ることはできないんだ」

「僕は違う! すぐに元に戻ってみせる」
「自惚れるな! お前

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月曜日のクジラ

月曜日のクジラ

 久しぶりだから今日は検査もしますと言われて椅子に座った。
「無理に答えなくていいですからね」
 いや、僕は答えるんだ!
右! 左! 上! 下!
 下へ下へと目標が下がっていく。上! 右! 右! 下!
 僕は少しも考えない。考えるよりも早く、答える。
上! 右! 下! 左!
 少しも迷わない。迷う自分は弱い自分。
 向こうが先に棒を下ろすまで、僕は黙らない。僕は全部わかっているんだ。こんなテストく

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風の議員

「傾いているようですが」
 新しく建った塔は西日を受けながら、今にもこちらに倒れてくるのではと思われた。
「わざとそうしているのです。安全上」
 それで合っているのだと議員は言った。
「風の強い日に、自転車をどうすると思います?」
 風の強い日だった。歩道の端に隙間なく自転車が並んでいた。何のことだろう……。風と自転車がどうしたというのだろう。

「今日は風が強い」
 自分が起こした風だというよう

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運命の人

運命の人

 昔むかしのことを考えながら歩いているとどんどん体が軽くなってゆくように感じられて、ますます弾むように先へ先へと歩いて行くと、時折風が吹いてかなしみが落ちて、かなしみが雨を降らせると、虹がかかりふわふわと虹の橋を歩いているとちょうど同じ頃に向こうからお姫様が歩いてきたので、結婚しました。
 めでたしめでたし。