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【退屈の話】退屈のはじめ

どこに行っても先々で猫に会った。
「いつも眠っているな」
 と何気なく言うと、
「おまえこそ」と言う。
 眠ってないし、まるで意味がわからない。
 そろそろ新しいことを始めなければ。

 何か始めなければならないと思い、決心して退屈を始めることにした。今までたかが退屈と馬鹿にしていたが、始めてみるとそう簡単でもないし、そう単純でもないとわかった。始めた以上は続けなければならない。何事も継続することは必要だ。少なくとも、三日、できることなら三年、しかし特に三という数字に思い入れがあるわけでもない。大事なのはある一定の期間続けること。そして、もう少し、もう少しと自分に言い聞かせながら、自分の限界を超えていくことだった。一言に退屈といっても何から始めればいいのか、何が退屈に当たるのか、そういう思考の中に退屈の欠片が潜んでいるのか、むしろそこから退屈の崩壊が起こっているのかもしれない。

退屈始めました

「お煙草は汚水になりますか?」
「絶対ならないと思います」

「椅子はどうしましょう?」
「どうしましょうって何ですか?」

「金の椅子か、銀の椅子か……」
「木でいいですけど」

「スイカはいつお持ちしましょう?」
「食後でお願いします」

 退屈に負けて、店の前に水をまいた。
 こうしておけば誰かが、「雨降ったの?」って絶対言うよ。
 わーい!

退屈に負けました 何やってんだろ

 試合前日はゲンカツギに餅を食べてモチベーションを上げた。受付でサインして抽選するとくじ運が良くて予選を突破した。一回戦の相手は大会の雰囲気に呑み込まれて行方知れずになったとかで不戦勝になった。軽くため息をつくと二回戦も突破した。退屈な大会に嫌気がさしてひと眠りしていると準決勝に進出していた。いつの間に相手を倒したのだろうか。退屈で仕方なかった。カフェに入って、コーヒーにミルクを入れると歓声が聞こえ、自分が決勝に進んだとわかった。特に何もしてないのに。トイレに立って、少しだけ気合を入れた。決勝まで勝ち進んだ相手は、どんな相手であろうと決して弱者であるはずがない。なぜなら、強い者が勝つのではなく、勝つのが強い者なのだ。その時、わが身を振り返って、少しだけ自信がぐらついた。そして、そのぐらつきが相手への必殺の一撃となった時、優勝カップは僕の手の中にあった。
 優勝したのに、喜びが爆発しなかったのは、自分が敗者であることがよくわかっているからだ。

「お客様、スイカをお持ちしました」

 声の後に、スイカが置かれる音がした。
 僕は二、三歩歩いてハンマーを振り下ろした。
 スイカが割れ、四方八方に種が飛び散った。
 
痛い! 痛い!
 どこかで、おじいさんの声が聞こえる。

 壮大な退屈の中を歩いて、カラフルな野菜を集めて回った。色の数だけ、ビタミンも増えていく。メニューもレシピも何も浮かばないけれど、集めるだけ集めればきっと野菜たちから口を開いて、そのカラフルな色の数だけヴァリエーションに富んだアドバイスをしてくれるのではないか。色づく期待の中で、買い物籠はあふれていった。アスパラ、トマト、パプリカ、レタス、セロリ、パセリ……。おすすめに従って、お買い得に誘われて、思い思いの形あるものたちを手に取って。
「器を理解しなさい。あるいは寿命というものを……」
 冷蔵庫の管理人が、何やら目くじらを立てているのだった。
「あなたはそのどちらの理解も欠けている」
 どういうことだろうか。器、寿命、理解……。
 退屈を持て余していた。

退屈するには才能が必要だ

 灰色の空き地に行くとまた猫が眠っていた。一貫性のある眠りを羨望を持ち見つめた。
 猫はこちらに気づいたのか、少し顔を上げて瞬きをした。

「何をやっても長続きしなくてね」
「ちゃんと退屈続けないとね」

「また頑張ります」
「肩の力を抜いてやりなさい」

 パラパラと退屈の種が降り始めた。天気予報は今日もあてにならない。

「うん」
「退屈にはそれが一番なんだから」

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