【小説】人間の扉

「行くんじゃない! そこを潜ったら元には戻れないぞ」
「大丈夫。僕は大丈夫」
「駄目だ。絶対に。そうはならない」
「どうしてわかる? 君にわかるはずがない」
「お前にだってわかるはずがない。わかるか?」
「何がだ?」
「その扉を抜けたら人間になってしまうんだ。そして一度でも人間になったものは、もう再び元の自分に戻ることはできないんだ」


「僕は違う! すぐに元に戻ってみせる」
「自惚れるな! お前は何もわかっちゃいない」
「わかりたくないね。そうやって怖じ気付いてずっと眺めているだけの存在に成り下がるくらいなら、何もわかりたくないね」
「向こう見ずなだけでは破滅の近道を渡るだけさ。他者の忠告は聞くべきだ。特に私のような者の忠告は」
「嫌だね。僕の心はもう既にあの扉の向こうにあるんだから。それもずっとずっと以前からね」
「まだ肉体がこちら側にあることが救いだ。それにまだ私と話せている」


「話すことなんてない! もう心は揺るぎないほど決まっている」
「まあ待て。落ち着いてここにかけなさい」
「待つもんか。一秒だって待つものか。放せ!」
「一秒を急いで何になる。それが破滅へ向かう一秒だというのに」
「急いでなんかいない。ただ一秒だって無駄にしたくないだけだよ」


「お前は人間になることの意味を知らないんだろう」
「知る必要はない。人間になんてならないんだから。僕はずっと僕のままだ。今もこれから先も僕は僕のままだ」
「そう言っていられるのも今の内だけさ。あの扉を潜ったが最後、誰だって人間になることを拒むことはできない」
「君の話は今までの話にすぎないじゃないか。僕がそれを変えてみせる」
「無理だ。どうしても行くと言うのなら……」


「どうして無理と決めつける?」
「私にはわかる」
「僕にはわからないね」
「それでも行くなら、私もつれていけ」
「嫌だね! 人間に怯えた君をつれていくわけにはいかないね」


「お前だけで行くのか」
「そうだ。僕だけで行く。そして、すぐに戻ってみせる」
「戻ったとしてもその時はもう人間になっている」
「僕は僕のままだ! 自分を守ってみせる」
「いいや。人間になって、あっさりと私を殺してしまうだろう」
「馬鹿な……」


「今にわかるよ。だいたいお前は、何をしに行くんだ?」
「肝試しさ」
「馬鹿な真似はよせ」
「利口ぶっている君よりはましさ」
「やめろ。本当に、本当に人間になっちまうぞ」
「人間人間うるせーんだよ」

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