見出し画像

大人になれない僕たちは 第1話 冷めないコーヒーはない

【あらすじ】
コロナ禍の2021年を舞台に、テレビに携わる人々の人間模様を描く。ドラマ・バラエティーの制作部、脚本家、漫才コンビ、マネージャー、芸能事務所…、それぞれの日常を生きる者たちの大人になれない大人たちの物語。1話完結でつなぐ短編小説集。

「おいおい、ケガしたんだって」
 番組収録で滑って転んだ芸人が骨折し、現場は、早朝からその対応でバタついていた。全く、スベるのはネタだけでにしろよと、おどけてみたが、周りは笑う気力さえ失っているようだった。

「頼むよ、純平。ここはお前の力で」

 スポンサーの根回しと上司の機嫌とり、いつしかそれが自分の得意分野に指定されていた。

「お前みたいな性格になりたかったよ」

 要領がいいやつ、太鼓持ち、周りの評価は今のところきっとこんなもんだ。好きでそうしているわけではない。明るく振る舞うように、これでも努力をしているつもりだ。

「とうとうドラマ枠、打ち切り路線らしいぞ」

 新しい層を取り込もうと始まったドラマ枠は、大きくハズれ、迷走していた。先輩は、俺の予想通りだっただろう、と自慢気に笑っている。企画のストックは十分にある。打ち切りが決まれば、動き出す準備はしていた。
 ドラマとバラエティー、部門は違えど同じテレビ番組を作る側としては、新しい挑戦が迷走しているのは笑えるものではなかった。

 テレビは、もう若者から必要とされないコンテンツだという人がいる。皮肉にも、テレビの未来を語り合う番組が、ここ最近では一番評判がよかった。専門家達がいくら討論したところで、何かが変わるわけではない。中にいる人間の考えも二極化している。見切りをつけ、YouTubeやWebに流れていくヤツもいれば、未だに熱くテレビを語るヤツもいる。

「なぁ、お前も考えとけよ」

 先週末、YouTubeの制作チームに入らないかと先輩から誘われた。あぁ、自分はきっと流れるヤツに見えているのだとムッとしたが、すぐに断ろうとはしなかった。しなかったと言うより出来なかった。迷いがあった自分に、少し嫌気がさした。

「こっちの方もいいぞ」

 先輩は、手でお金のサインを出した。苦笑いをする。好きなことを仕事にしたい、とか、自分を表現したいとか、そんな大層な夢があった訳ではない。小さな頃からテレビが生活の一部で、それが当たり前だった。向こうの世界はどんなものだろうかという好奇心、ただそれだけで大学卒業後は迷うことなく、この仕事に就くことを決めた。

 人に気に入られる自信はあった。小さい頃から、片親で育った自分は、なるべく迷惑をかけまいと大人の顔色を見て生活することに慣れていた。人が考えている事は意外にも単純で、誰もが孤独を抱えている。ただ、そこを少し刺激してあげるだけで、大抵の人は、寂しさを埋めるように自分に優しくなる。

 番組制作の現場は過酷だ。下が入ってきてはすぐに辞め、いつまでたっても年下らしいポジションは変わらない。それなりに上司にも気に入られ、今では企画が通ることも増えた。何かを成し遂げるやりがいも感じないわけでもなかった。

「ここ、置いときますね」

 3ヶ月前に入社した朱樹が、慌ただしく机にコーヒーを置く。礼を言って口にすると、甘さが口の中に広がった。ブラック好きだと話しても、朱樹は覚えない。親は大手広告代理店のお偉いさんで、いわゆるコネ入社というやつだ。仕事は今のところ出来やしない。でも、憎めないヤツだった。

「2代目太鼓持ちは、朱樹だな」

 ブラックが苦手な先輩は、コーヒーを口にすると顔をしかめた。

「冷めないコーヒーでもあれば」

「なんだそれ」

「いや、昔、隆二さんが言ってたなって。冷めないコーヒーがあれば、いつだって美味しく飲めるのに、何で開発されないんだろうって」

 隆二さんは、ドラマ制作部の人間だが、同じ大学を卒業したということで、色々と教えてもらった指導係のような存在だった。朝から、制作部の前を通りかかった時、落ち込んで見えたのは、きっと今、上手くいっていないのだろう。

「冷めないコーヒーが出来たら、困る人がいるって事ですかね」

 朱樹の言葉に、はっとした。

「だってそうでしょ。困る人がいるから開発されない。人が望むものを世に出すことが正しいことだとして、困る人がそれをよしとしないとしたら、それは実現できない。文明は人々の望むもので発展してきたようで、実は人間の欲に支配されているってことです」

「コーヒー一杯で、ずいぶんと壮大な話になったな」

 先輩は、そう言うと呆れたように笑った。

「おい、純平、呼んでるぞ」

 会議室に呼ばれて席を立つ。先輩が目配せをして、上手く丸めこめとサインした。上司の機嫌取りには時間がかかる。戻れば、きっとコーヒーは冷めているだろう。
 冷めないコーヒーを開発するのは、きっと朱樹みたいなヤツだ。流されるまま、歯車の一部になっている自分はこのまま変わらず、ずっと太鼓持ちだ。
 冷めないコーヒーなんてない。隆二さんにそう答えた自分は、人に左右されて生きていくしかない。

 上司の機嫌取りを終え、席に戻ると、予想通りコーヒーは冷めていた。

「ここ、置いときますね」

 朱樹が憎めない顔をして、コーヒーを机に置いた。

「僕がいれば、コーヒーは冷めないですよ」

 返事も忘れてコーヒーを手に取る。コーヒーはあたたかい。湯気が、自分をしがらみのようなものから解放してくれるような気がした。
 冷めないコーヒを、僕はいつか作れるだろうか。口の中には、ゆっくりと甘さが広がっていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?