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大人になれない僕たちは 第8話 ナラノノメ

「そこは、埋まるのか」

 私は、口ごもる。このご時世、単独ライブ開催は、リスクが高いのは百も承知だ。感染者を出してしまったら一大事だし、ましてや売れないお笑い芸人のライブに、そもそも客が集まる見込みもない。

「埋まるのかって聞いてるんだ」

 社長の高宮は、大きな声を出した。

「埋まります…」

「は?聞こえない」

「埋まります、というか埋めてみせます!」

 啖呵を切ってしまったことを後悔しても、時すでに遅し。高宮は、その言葉を覚えておくと捨て台詞を吐き、去っていった。

「あぁ、言っちゃったね」

 青田が、皮肉った。私よりも3つも年下のくせに、ほんの少し先に入社したというだけで、青田は、よく先輩ヅラをした。

「責任取らされちゃうな、お前」

 煽らせると天才。こんなに性格の悪い男に育てたやつは一体だれなのか。私は、青田を睨みつけた。

「あぁ、怖い怖い」

 トランスボロン。私が担当するお笑いコンビだ。今年、結成10周年の節目を迎える。職人気質のタクヤと、天才肌、というか自由主義のマサジは、ただ今絶賛、解散の危機を向かえている。私は頭を抱えていた。

「ピンの仕事が軌道に乗ってるっていうのに、漫才ライブだなんて採算が取れないことするなよ。その穴埋めは誰がするのか分かっているんだろうな」

 本当に嫌味なやつだ。言い返せない自分が悔しいが、青田がいるからこそ、この事務所は多分、潰れない。だから、青田には頭が上がらなかった。 

 養成所を卒業後、いくつかの事務所を転々とし、トランスボロンは、この事務所に流れ着いた。青田は反対したが、私は彼らにかけた。高宮は、今回と同じように私に聞いた。

「売れるのか」

 私は、その時、売って見せます、と同じように啖呵を切った。2人の漫才は、評価されるべきだ。視察に行ったライブで、私はそう思った。2人の空気感は新鮮で、目が釘付けになった。必ず売れる、そう思っていた。だけど、まぁ、いくら待っても売れる気配はない。私の描いていた未来は、全く近づいてはこなかった。

 ピンでの仕事は順調だ。青田の担当する芸人が高熱を出し、代打で出たバラエティーでマサジが爪痕を残す。それから、マサジへのオファーが少しずつ増え始めた。一方、職人気質のタクヤは、先輩から誘われ、ラジオのパーソナリティを始めた。ネガティブな性格から発せられる毒舌がリスナーに受け、徐々にファンを獲得した。今ではラジオだけではなく、劇団のシナリオ執筆まで幅広く活動している。

「運が回ってきたな」

 ある日、青田が言った。それは、お前の力じゃ売れなかったのにな、と言われたみたいだった。
 
 トランスボロンは、漫才だ。私は、ずっとそう思ってきた。コンテストで賞を逃した日、2人は大げんかをした。それから、2人の関係はギクシャクしたままだった。ピンの仕事がうまくいっている今、解散だってあり得る話だ。2人の関係は、最悪だと言っていい。

「え、すぐ向かいます!」
 それからしばらくして、マサジが収録中に怪我をしたと連絡が入った。私は慌てて事務所を飛び出した。
「私のせいだ…」
 私は、マサジが疲れていたことを知っていた。休みたいな、ポツリと呟いた言葉。なのに私は、無理矢理ねじ込んだバラエティーに穴を開ける気かと、内心苛立って、その言葉を無いものにした。昨夜、入り時間を連絡した彼の返信は、“ナラノノメ“とあった。どうやったらそんな文字が打てるのか。私は、疲れている彼の心配もせず、そのままやり過ごしてしまった。その矢先に、この出来事が起きた。

 責任を感じた私は、すぐに病院に駆けつけた。病室の彼は、私の心配をよそに至って元気で、笑顔で迎えてくれた。

「いやー、参った。全治2週間だって」

 スケジュール帳を開くと、バラエティーが3本に、クイズ番組が1本…、調整しないといけない番組をリストアップしようとして、手帳を閉じた。これでは、昨夜と同じだ。私は、人としてのやるべき行動を危うく忘れてしまうところだった。

「大丈夫?」

 そう声をかけた私に、マサジは、けろっとした顔で笑っていた。机の上には、ノートが一冊あり、私は、それを手にとった。ノートを開くと、それはマサジのネタ帳だった。マサジがネタを書くなんて信じられない。私は、驚いていた。

「俺、タクヤに捨てられたくないんだよね」

 マサジの言葉に、胸を打たれた。先日、タクヤに、あいつがどう思っているか知らないけど、俺は漫才をやりたいと思ってるんだ、と打ち明けられた。マサジは、ピンでやりたがっているかもしれない。どこかで疑っていた私は、タクヤの想いを無駄にしたくないと、それから上司を説得し、かけずり回って、二人には内緒でライブ会場を仮押さえしていた。
 2人は繋がっている。この2人は壊れない。きっとこの先もだ。私は確信した。

「あ、これ、お前に荷物、届いていたよ」

 マサジの怪我から3ヶ月が過ぎた頃、青田が私に小さなダンボールを手渡した。宛名は、トランスボロン。心当たりがなかった私は、すぐに中を開けることにした。
 すると、なんとも言えない猫のぬいぐるみが、ぐったりと箱の中に現れた。その猫は、とても疲れている顔をしていたが、何処か癒される風貌をしていた。ふと、メッセージカードを手に取った。

 “誕生日おめでとう。PS.笹原さんに、そっくりなので買いました。たまにはゆっくり休んで“

 私は、カレンダーを見つめる。自分の誕生日を忘れるなんて迂闊だった。おっちょこちょいのヒロインを演じているみたいで笑えてきた。

「あれ?」

 涙が、頬をつたう。私は、慌てて拭った。ライブは大成功だった。仲違いしていると勘違いしていたのは私だった。いきいきとステージ上で輝く二人は、はじめてであった頃と変わらない。きっと二人ならやれるはずだ。
 と、目の前に缶コーヒーが現れる。振り返ると青田が指をさした。机には小さなショートケーキが2つ並んでいる。

「俺の奢りだからな。有り難く頂戴しろ」

 青田は、もう一つは俺のだと、子どものように言い放つ。全く、たまに可愛いことをするから、私は、青田を嫌いになれなかった。
「よかったな」
 青田は、また、上から目線でそう言った。

「おい、笹原、チラシ出来上がったぞ。あ、お前たちサボってないで仕事しろよ」
 高宮は、今日だけ大目に見てやると言った。手渡されたチラシは、ずっしりと重い。全て配り切る。これが私の仕事だ。その前に、私は2人に謝らなければならない。信じていなくてごめん、疲れさせてごめん、と。

 私は、ショートケーキを、口一杯に頬張る。机に、猫のぬいぐるみを置き、付箋に名前を書いた。

"ナラノノメ"

 今日から君が、私の相方だ。必ず次のライブも成功させよう、次はもっと大きな場所で。私はそう誓っていた。

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